ep.89 見下ろす姿は、どこか後悔しているように見えた。
作成した「道」に押し付けることで魔力を削ぎ、すぐにこれを回復させることでスフィンクスの正気に戻す。
言葉として言えば簡単だけど、実行するとなると難しい。
道による魔力削減は、色々と危うかったけれど上手く行った。問題は、回復の方だ。
人間だって、ちょっと片足を着いただけでやばかった。全身接触状態の相手の「ちょうどいい感じの魔力削減」をすることなんてできない。
だから、可能な限りすぐ魔力を戻す必要がある。
それはわかっていたんだけど――
人間同士でも魔力の譲渡にはそれなりの手続きがいる。
種族が異なるモンスター相手だと更に難しい。
だからわたしは、「わたしの血に染まった花弁」をデスピナに持たせ、消耗したスフィンクスの口に放り込ませた。
強引な契約を、無理やり結んだ。
これによって魔術的な接続が通して賦活、ついでにスフィンクスに巣食っていたフェダール国特有の魔力を駆逐した。
わたしとデスピナとスフィンクスは、今や魔力的にほとんど同体だ。
ええと、つまりなんというか……
「ふ、すでにスフィンクスは、吾の後輩! そう、吾はパイセンとしてこれに乗ることもまた当然の権利……!」
わたしが支配する対象が、増えました。
デスピナに次いで第二号だ。
ネズミは小躍りしてた。
最終的には神々からも褒められたいデスピナにとって、スフィンクスが後輩となったことは痛快らしい。
ちょっと喜びすぎだ。
少しは黙っていてくれ。
そう、ここで馬鹿正直に「わたしか今はこのスフィンクスの所有者だ」とか言い出しても事態が複雑骨折するだけなので伝えない。
あくまでも「イロイーダ村の守護者」として振る舞ってもらう。
「これは……」
困惑と安堵を混ぜ合わせたようなその表情に言う。
「仮に戦闘を開始したら、そっちは相応の痛手を負うことになる」
「……秩序がある、そのスフィンクスは手出しができない」
「試してみるか? 今は狂乱していないこのスフィンクスを攻撃できる道理があるのか?」
どういうやりとりがあってスフィンクスが秩序とやらを受け入れたかはわからない。
だが、法に従う限り、法はその者の味方となる。
このスフィンクスは狂乱こそしたけど、それで誰かを殺傷したわけじゃない。いまだ何の罪も侵していない。
あと一旦は魔力をすべて入れ替えたから、以前とは「別物」として扱われるかも。
下手をすれば、デスピナと同じことになっている可能性すらある。
「スフィンクスが会話できるほど知性を回復していることは、もう確認できたはずだ。退治すべきモンスターじゃないのに戦うのか?」
そもそもの大義名分は、もう崩れた。
「それは……」
「お前たちは、この村を守るための行動ができない。それはもう、わたしがやった」
いろいろと行き詰まった末に出したわたしの答えがこれだ。
課された役割は果たす。
狂乱したスフィンクスを正気に戻す。
そうして――軍の行く先を無くす。
派兵のための大義名分の一切を封じた。
「道を外れないためには、進むべきは元来た方角しかない」
とはいえ、全部理詰めだ。
頭では納得できても、単純に気に食わないというだけで全部を反故にすることはありえる。
というか、わたしがそういうひっくり返しをやりがちだ。「知るか」と叫んで突きつけられた理屈を粉砕する。
「――」
「王に伝えて下さい」
その葛藤を解きほぐすかのように、スフィンクスは言う。
その背には、「うへへぇ」と心底嬉しそうに笑うネズミがいる。うん、ちょっと自重しようか。
「ワタシが戻ったことを」
「はい……」
「テティシェリには苦労をかけます」
「いえ、あなたが元にもどったことは、素直に嬉しいですよ、私は」
知り合いだったのかな。
少なくともシェリの本名っぽいものを知るくらいには親しいみたいだ。
「しかし、このまま戻れば、アナタは役割を果たしていないとされますね」
「あ」
正直、そこまでは考えていなかった。たしかにモンスター退治という名目で派遣されたのに、何もしないまま戻れば、相応の罰が下るかもしれない。
シェリだけではなく、この軍全体に。
「いいえ、気にしないでください」
情状酌量とか柔軟な判断とか、この国が一番苦手とするものだ。
いや、けど、やっべえ、正直そこまでは考えていなかった。どうにかできないか、これ……?
解決策が見いだせないわたしと違い。
「……クレオ」
「なんだ?」
スフィンクスは、自らがすべきことを見つけていた。
「アナタにはワタシを正気に戻してくれた恩があります」
「別にそんなもん恩に感じなくていいけどな」
「ワタシは、彼女に手土産を与えたい」
何をしたいのか、なんとなくだけど伝わる。
「……わたしの許可なんて必要ない。おまえの体は、おまえの自由に使えばいい」
「感謝します」
「けど、あんまりいい趣味じゃないぞ」
「クレオという名を持つものよ、憶えておくべきです」
スフィンクスは、女性の上半身に両腕に羽をつけ、下半身はライオンの形を取る。
その羽の片方を横へと伸ばす。
「ときには血を流さなければ解決しない因縁と謎があることを」
まっすぐ伸びる道には完全武装の軍隊がいる。
その直ぐ側にはランドヨットが所在なさそうに立ち尽くし、わたしとシェリが向かい合う。
ちょうど三角形を描くような位置関係にいたスフィンクス、その片翼が、切り離された。
「え」
瞬間的に発動させた風魔術が、それを行った。
右腕に相当する箇所を、音もなく切断した。
千切れた羽がいくつも舞い、こぼれてあふれる血が、それらに色をつけた。
全員が目を丸くする中、ゆっくりと分かたれて、地面に向けて剥がれ落ち――
「お、っと?」
落下途中で、わたしがキャッチした。
思ったよりも重い。
切断面は、とてもキレイだ。
「クレオ、ありがとうございます」
「いいって」
唖然とする遠征軍責任者に――シェリにそれを手渡す。
まだ切断面から血が流れる新鮮なものだ。
受け取ったその手が震えたのを見た。
事態を上手く理解できていないその顔に、近づき、確認するかのように言う。
「その羽には、道による魔力吸収の傷跡が残っている。この道によってスフィンクスは弱体化したという痕跡がある。間接的とはいえ、これは軍の手柄と言っていい」
これが、スフィンクスのやりたかったことだ。
何もせずにズコズコと引き下がった軍勢を、一太刀を浴びせた英雄に変えた。
「……そうか」
シェリの言葉は、どこか複雑そうだ。
深く考え込んでいる様子がある。
軍として恥をかかせない、そのためにスフィンクスの片翼が失われた。
「物証として、これに文句なんてない、だが……」
「なんだ」
「……この村の守護者はもう飛ぶことができない、そういうことか?」
「ええ」
デスピナとアマニアの二人が急いで止血していた。
それをどこか他人ごとのように眺めながら、スフィンクスは頷く。
シェリの痛々しさと苦悩に満ちた表情を気に留めず、言葉を続ける。
「この村は、ワタシにばかり頼りすぎました。その歪さを、もっと自覚すべきだったのです」
+ + +
せっかく戻った村の戦力を、自ら放棄するようなことをスフィンクスはした。
けど、まあ、それも仕方ないことだと思う。
だって、わたしはこのスフィンクスを簡単に支配できた。
それで何かをするつもりはないし、この村から引き剥がすようなこともしないけど、「次」がどうなるかはわからない。
もしフェダール国関係者が支配すればどうなるか。
強力すぎる力は、それだけ多くの人に狙われる。
飛行し、どこでも自由に移動できることは、この上ない魅力だ。
是が非でも欲しがる。
だからこのスフィンクスは、自らの価値を落とした。
落としたその上で、村を守れるだけの力を残した。
飛行できなかったとしても、「スフィンクスの片羽を一撃で落とすような風刃魔術」を使えることには変わりはない。
移動速度こそ失ったけれど、逆を言えば失ったのはそれだけだ。
シェリは、ふと気づいたようにわたしに訊く。
「そういえば君は、クレオというのか」
「そういう説もある?」
そういえばわたし、偽名を使ってたな。まあ、シェリって名前も短縮名みたいだし、似たようなもんだ、きっと。
「いや、それはいい。ただ、クレオはそこまでこの村を守りたかったのか、それについて聞きたかった」
「あー」
わたしは本来、この件とは関わり合いのない人間だ。
頼まれごとをされたに過ぎない。
なのに、ここまで肩入れするのは、何か理由があるんじゃないか?
そういうことを聞きたいらしい。
「気に食わなかったからだな」
町並みの懐かしさとか、細かい理由はいろいろある。
だけど、根本的には。
「わたしの自由を奪い、わたしの行動に制限をかけた、それが善意だろうと悪意だろうと関係ない、わたしが望まぬ形の拘束をされたからこそ、粉砕した、それだけだ」
「……なるほど」
どこか呆れたようにシェリは。
「君は、従わない者か」
ポツリとそう続けた。
両手で持つスフィンクスの片羽を見下ろす姿は、どこか後悔しているように見えた。




