ep.85 なにより、名前だ。
わたしが持たされたのは、モンスターで困る村人を救うための通路なんかじゃなく、兵士が村を占拠するための軍事通路だった。そう理解はできた。
ふざけるなと言いたい。
罠に嵌めてくれたなと激怒したい。
けど、今更どうしようもない。
なんせ文句を言いたい相手は遥か砂漠の先だ。
この村が占領されるスイッチなんて押したくない。
この対策の答えが浮かばない以上、わたしは本格的に村に骨を埋める可能性が出てきた。
そうは分かっても――出来ることはない。
「どうすっかなぁ……」
寝転びながら、そう呟くより他にない。
「どだっていいんじゃない?」
「お前な、仮にも村長だろうが」
「へへ、今は勤務時間外〜」
「役割から外れてるってことか?」
わたしたちは村長の家に泊まることになった。交易する人たちが泊まる場所としても活用されているから、遠慮する必要はないそうだ。
本来なら客用の寝室に、なぜか村長であるイオアンナも酒瓶片手に来ていた。
どうやら今日は一緒に雑魚寝することになりそうだ。
すでにデスピナはわたしの胸ポケットですうすう寝てるし、アマニアはわたしの手を掴んだまま、とても幸せそうな寝息を立てている。というか、彼女とは今日一日接触しないときがほぼなかったかも知れない。
長時間移動で疲れているだろうし、色々と魔術も使った。邪魔せず眠らせるままにする。
「まあ、あれだよ、無理なものは無理んだからさ、深く考えなくていいよぉ?」
「お前、お気楽すぎないか」
「村長とか嫌なんだよぉ、肩凝るんだよぉ」
「質悪い酔っぱらいだな、おい」
周りにけっこう多いのが困る。
アマニアとかカリスあたりも、飲める年令になったらそうなりそうだ。
「あのさー、この村、馬鹿な言い伝えがあるんだよぉ、トロス・イリオンだっけ? イオリだっけ? それがさー、来てたんだって、それが誇り? あー、違う……」
「……水、飲むか?」
「酔ってないよぉ、へへ」
「というかこっちが持ってきた手土産の酒、さっそく開けるつもりかよ」
島から持ってきた蒸留酒だ。
わたしは飲まないからわからないけど、それなり以上に良いものらしい。
村長の飲む動作が、さっきから一瞬たりとも止まっていない。
「そのための村とか言ってもさー、そんなわけないじゃんね?」
「……ひょっとして、ここも始祖七王国と関係あるのか」
「あるような無いような?」
「どっちだよ」
「風に吹かれて飛びまする?」
「ぶっとばすぞ」
呂律すらもう怪しい。
「あなたはクレオ・ストラウス」
「そうだな」
「それ、本名?」
変なことを言われた。
そんなのは当然――
「あー……」
「なに?」
「違うな、前は別の名前だった」
「なんて」
今はもう、クレオという名前に完全に馴染んで違和感すらない。
けど以前、メイド長で育ての親でもあるリリさんに言われて変えていた。
平気だろうけど、念のために改名した方がいいと。
「言う必要あるか?」
「ないねー」
初対面同然のやつにわざわざ伝えるようなものでもない。
とはいえ――
ここは「イロイーダ」村だ。女英雄を標榜しているところだ。
誰か過去に、そういう人がいたのかもしれない。
また、この村の町並みも思い返す。
偶然かもしれないが、よく知っているものの気がした。
馴染がどこかにある。
ただの錯覚だと言わればそうかもしれないけれど――
「まあ、いっか」
「どしたの」
別に秘密にするようなことでもない。
「ん」
「ぬん?」
だから、酔っ払いを引き寄せて、その耳元に告げた。
もうほとんど忘れてしまっていた、わたしの名前を。
鋭く息を吸い込む音が聞こえた。
「まあ……今となっては、何の意味もないもんだよ」
「――」
「けど、あんまり言いふらさないようにとは言われてるから、漏らすようなことするなよ?」
村長は酔っ払って顔が赤い。
だけど、その両目はまんまるに見開かれていた。
絶え間なく飲み続けていた動作が完全に止まる。
「え……」
「どうした」
「冗談?」
「人の名前を冗談扱いすんな」
「え、でも、え……? ゆめ……?」
「もう面倒だな、そうだよ、夢だよ。実はわたしは何にも言ってなかった」
「だよね!」
笑顔で頷き、そのままコテンと横に倒れる。
すうすうとそのまま眠りについた。
「ったく……」
ちなみにわたしの胸にはネズミがいるし、アマニアとは手を繋いでいる。
その手が、引かれた。
「ん?」
「……」
硬い目を爛々と輝かせた視線とかち合った。寝てなかったのかよ。
「クレオ」
「なんだ?」
「ぼくは、筆記者です、君がそう決めました」
「そうだな」
「ね?」
ね、じゃねえよ。
「……もしわたしが何も言わず、黙ったままならどうなる?」
「より深く調査する必要が出ます」
「わかった、言う」
きっと丸一日中、隙無く調査されることになる。
ため息をついて、アマニアの近くに寄り、名を伝える。
ところで――秘密というものは、一回漏れると連鎖的に漏れるものらしい。
ポケットで大人しくしているはずのネズミが、いつの間に寝息を立てていなかった。お前もかよ。
+ + +
結局のところ、わたしのあんまり価値がない秘密が暴露されただけで終わり、次の日は普通にやって来る。平穏は続くけれど、その内に兵隊はやって来る。
わたしが何もしなくても、第二や第三の「道路敷設者見習い」は派遣される。
派兵に際しては専用の道の上しか歩けないから、半端な長さに作っても意味がない。ちゃんと村の敷地内まで通す必要があるけど――
「引き返して適当な場所でこの八角形を刺したらだめかな?」
「役割を果たしていないと判断されて、死にますね」
「適当な仕事にも罰が与えられるか……」
本当に、どの方向に行っても詰みだ。
なにせこの村の平和は、あのスフィンクスによるところが大きい。
正気を失っているとはいえ、この村の周辺で暴れているからこそ他から狙われていない。
これを退治することは村を無防備にするのと同じだ。
だから、完全にフェダール国の支配下に入ってしまえばいいんだろうけど、その扱いは微妙なところがある。
だって「兵隊だけが通れる道」の5年間継続だ。
物流が途絶える状態が、そのままになりかねない。
「んー……」
そして、なにより、名前だ。
「墓」という村名は、フェダール国がわざわざそう名付けた。
これって徹底的な理不尽や破壊をしても、国民から不満や文句が出ないようにするための措置なんじゃないか?
かなり昔から、スフィンクスの力が削がれて失われる事態を想定していた。
それだけ、この村が目障りだった。本当の「墓」にしてしまいたいくらいに。
「ったく……」
腕を組んで考えるけれど、いいアイディアは出そうにない。
さっきから村長がちらちらと物言いたげな視線をこちらに向けてるけど、昨夜のわたしは何も言っていないことになっているので何も知らない。
「村長」
「なんでしょうか」
「なにその口調。あ、いや、一つ頼みがあるんだけど」
「はい」
申し訳ないなと思いながらも。
「このイロイーダ村が滅ぶようなことをするつもりなんだけど、いいか?」
こんがらがった事態を粉砕することを決めた。
本名は決めてあるけど、たぶんこの先も出てこない
なのであんまり重要じゃない




