ep.82 「イロイーダ村の長として、歓迎します」
引き剥がしたスフィンクスがわたしたちを追いかけてこないのは、きっとタフォス村の様子が見えたからだ。
レンガ造りの建物の奥には、いくつかのナツメヤシが生え、オアシスがあることを教える。
あのスフィンクスは、あの村に近寄りたがっていない。
墜落こそしたけど、その魔力や力は減った様子は一切ない。
あのモンスターの攻撃はアマニアだから防げたし、こっちの攻撃は一切通用していなかった。マトモに戦って勝てるような相手じゃない。
逃げ切れたことはまじでラッキーだ。
そして、今から帰りのことが少し心配だ。
いや、でも、あとは八面体を刺せば終わる。
ひと仕事完了だ、って喜べるはずだったけど――
「あれ、結界だよな」
「はい」
素直に喜べそうにない。
安全な場所へと到着できるはずだったのに、違和感がある。
「……かなり巧妙な隠匿がされている、吾でもこの距離まで接近しなければわかることはなかった」
町全体を、透明なものが覆ってた。魔術的な結界は、それこそ夜会がそうだけど「内外の規則を変える」性質を持つ。
世界に差があるからこそ、外部と内部を隔てる障壁になる。
「割と強そうな結界だな」
「はい、ぼくらでは打ち破れそうにありません」
「壊すなよ」
「魔力源は何であろうか」
「さあな、見当もつかねえ」
遠くからでもその威容はわかる。
接近するほど、肌がビリビリとするような圧力を感じ取れた。
「……なあ、怖いこと言っていいか」
「なんだろうか」
「あの町、本当にモンスターに襲われて困ってたのか?」
ちょっとやそっとではビクともしない。
平穏そのものの様子。
立ち上る煙も、昼飯のために煮炊きしたもの。
「吾には困っているように見えぬ」
「だな」
これで結界にヒビが入っているなら納得できるけど、まったく支障とかないように見えた。
「仮に救助要請が虚偽であったと仮定した場合、可能性として高いのは派兵ですか?」
「……だと思う」
モンスターから助けるために兵を出す――そういう名目で、堂々とこの町を占拠しようとした。
その理由は、一目でわかる。
結界だ。
あの町の中では「役割と厳法」が通じない。
異なるルールで動く、別の国のようなものが近くにある。
これを潰すために兵を送り出すのは、わかる気がした。
「……」
嫌なのは、それに巻き込まれてるこっちの立場だ。
疑われないように何も知らない人間として送り込まれた。
仮に問題が起きたとしても「あれは外国人である彼らが勝手に勘違いしてやったことだ」ということにして、関係の悪化を避ける。
被害にあってもいいような人間たちを生贄にすることで――罪人という役割を与えることで、「誤解」の手打ちにする。
邪推かも知れないけど、ありえることだと思えた。
この国は、「ルールに反した人間」にひどく冷たい。
「あるじ、どうする」
「行くしか無いだろ」
「歓迎されないかもしれません」
「わかってるよ」
推測が正しいとすれば、わたしたちは「フェダール国の尖兵」として扱われる。
+ + +
懸念は正しく、また同時に外れてもいた。
村の境となる地点に、三角帽子を被った人がいた。
わたしたちと同年代に見える彼女は眠そうに、魔術師然とした杖を持って出迎えた。
「ようこそ」
「わたしは――クレオ・ストラウスだ。歓迎感謝する」
返答代わりにコクリと頷いた。
敵対的とも友好的とも言えない、ものすごく淡々とした様子だ。
「イオアンナ・フォトプロス、この村の代表です……」
すでにランドヨットからは降りていた。
同じ視線の高さで相対する。
わたしは、ざっと周辺を観察した。
このイオアンナ以外に人影はない。本当に単独で来た。
簡易的な境となる部分はわかるけど、他にはなにもない砂漠だ。隠れるような場所はどこにもない。
眼の前の村代表は、魔力的にはすごそうだけど、あまり戦闘は得意そうじゃない。
特有の隙の無さとか、威圧感がない。
徹夜明けの仕事仲間を思わせる疲労具合だ。
どうして一人で来たんだ?
疑問に思う間もなく、イオアンナはゆっくりと尋ねた。
その目はわたしだけをまっすぐ捉えている。
「あなたは、この村の敵ですか? それとも、味方ですか?」
「味方のつもりだった。けど、聞いていた話と随分違うから、望まぬ形で敵となってはいないかと疑ってる」
「なるほど……」
頷くイオアンナは、ひどく疲れていた。
目の下のクマが濃い。
「……魔術的道路作成の起点となるものを起動しないまま、村の外に置いておいてください。こちらの結界と反応し、思わぬ反応を起こします」
「つまり?」
「村の中で、話をしましょう」
存外、親切だ。けど不審でもあった。村に害をもたらしかねない者たちを、わざわざ招き入れるのか?
「クレオ……」
裾を引いてアマニアが忠告してた。
「わかってる」
「むう?」
ネズミだけが分かっていない。
村には結界が張ってある。
そこではフェダール国の「厳法と役割」は届かない。
厄介な法と役割は、同時にわたしたちを守ってもいた。反する行動を取らない限り、害されることがない。
その保証がされている。
「ただ、まあ、どっちにしても変わらないけどな」
村が友好的であった場合、招き入れられる。
逆に敵対的であった場合でも、やっぱり招き入れられることになる。
「大丈夫ですよ……」
村の代表であるという彼女は、むしろつまらなさそうに言う。
「かの守護者を見事に撃退した様子は、こちらでも把握しています。現在、このイロイーダ村に対抗できるだけの戦力は、ないです、たぶん……」
守護者ってなんだと疑問に思うが、少しだけ理解できたこともある。
「ああ、そっか」
わたしはポイっと八面体のそれをランドヨットへと放る。
そのままずんずんと進み、境を越えた。
いままで常に肌にまとわりついていた魔力が消え、別のものが包むのを感じた。
「おお」
「クレオ?」
「まあ、大丈夫だろ」
「このあるじは……」
黙らせるために軽くポケットを叩く。
反撃として軽く噛まれた。痛いんだが。
「……悪くないですね、ここ」
遅れて入るアマニアは、どこか意外そうに言う。
「改めて、ようこそ」
「ああ」
「イロイーダ村の長として、歓迎します」
タフォス村ではないのか? なんてことは訊かない。
きっとそれは外部から勝手に名付けられた村名だ。
考えてみれば、そんな不吉な名前を、現在の住人たちが自称するはずがなかった。イロイーダは――「英雄」を意味する言葉だ。
より正確にいえば女英雄のことを指す。
自らの村をそう名付ける感性は理解できないけど、墓と名付けるよりは前向きだ。
「あなたの行動が英雄的であることを、村長として認めます……」
口調とは裏腹に、どこか諦めたような、深い疲労が声に滲んでいた。




