ep.81 スフィンクスというモンスターは地域差が激しい
スフィンクスというモンスターは、実のところ地域差が激しい。
人とライオンとの組み合わせは共通しているが、王家の守護者としてあることもあれば、死の使いとして扱われるところもある。
その中で、凶悪に笑いながら羽を羽ばたかせているそれは、謎を問うモンスターとして知られるものだ。
ライオンの体に女性の上半身をつけた形であり、その両手は鷲のような翼となっている。これはアイトゥーレ島などの地方に伝わる形態であり、残忍と知的を併せ持つ。
今はその面影すらない。
狂乱のままに、突進している。
そして――どのような場合であっても、上位モンスターであることには代わりはない。
たまたま飛行方向が重なっただけだという希望的観測は、クレオたちのヨットを見つけて嬉しそうに鳴く様子から違うとわかる。
明らかに、獲物を認めた歓喜だ。
「クソ、なんで……!」
「吾、身動き取れぬのだが!?」
砂面を焦がす太陽が、完全に顔を覗かせる。
容赦なく照らすそれが、飛行速度を伝える。
ついでに、ランドヨットの正確な位置もまたスフィンクスに教える。隠れることができるような場所はどこにもない。
「送風を使った加速も、下手したらやばいか……!」
「どれが刑罰となるかわからぬ!」
いざとなればトンカチで粉砕する。
いざとなれば魔力でごり押す。
それが根幹にある二人にとって、その選択肢を奪われることは凄まじい不安をもたらした。
何をすれば罰となるかを試すことすらできない。なにせ専用路から足をすべらせることすら致命傷となりかねない。
「登ります」
その中で、アマニアだけが普段と変わらずにいた。
彼女は帆柱を手早く登り上がり、マストの先端に到着した。
ちょうど、スフィンクスが直滑降で来ながら、獅子の前足を振りかぶる。
「無駄です」
高空からの位置エネルギーを利用した、大型肉食獣の一撃。
それすらアマニアのスティグマの防御は防ぎ切った。その肌に傷一つつかない。
スフィンクスの前足が、振り下ろしと同速で弾かれ、奇妙な悲鳴が上がる。
それでも、その一撃はランドヨットを沈ませ、疾走中のタイヤに異音を軋ませた。
「ふあ!?」
「くそ……!」
反動でヨットが少し跳躍し、スフィンクスは空中で錐揉みをしながらも体勢を立て直した。
ヨットは一度は強制停止させられたが、それでも風を捕まえ速度を上げる。
彼方ではスフィンクスが旋回し、機を伺い続ける。
「デスピナ、いざという時は送風の魔術を頼む」
「吾に死ねと!?」
「食え!」
薔薇の花弁を差し出しながらクレオは叫んだ。
「魔術的なつながりを強くする。デスピナ、お前が死ぬときはわたしも魔力が枯渇して死ぬ。その程度のリスクは払ってやる」
「呉越同舟か」
「一蓮托生な?」
もむもむとネズミは花弁を食する。
見た目としては何も変わらない。だが、魔力同士のつながりが深まることを確かに感じた。
魔力の貯蔵にラインが引かれ、同一のものと化す。
「くふ」
「先輩、ズルい……」
「すまぬな後輩、いつしか口にする機会もあることであろう!」
マスト上と下との会話だ。
遥か上空ではスフィンクスが旋回からの再攻撃をしようとしていた。
「デスピナはわたしの合図で加速を! アマニアは振り落とされないようにしろ!」
「諾!」
「マストを裂かれては移動できなくなります、ぼくはここで可能な防御を行います」
布とかどうでもいいという反論すら今は惜しい。
モンスターに襲われている船という意味では、航海のときと同様だが、要素として何もかもが違う。
敵の移動空間が海ではなく空だ。
硬い船底ではなく、複雑で柔らかいものが多く乗る甲板上を攻撃されている。
あのイカは周囲の命を吸い取り、爆発的な力を得ていたが、このスフィンクスは自前の力だけを使用している。
自滅するような加速は期待出来ない。
実際、アマニアの防護に直撃してもさしてダメージとはなっていなかった。たとえここで夜会を開き、ランドヨットそのもののを結界としても同じ結果になる。
なにより――
「クソ、この船狭いんだよ……!」
戦える場所が少ない。
仮に制限なく戦うことができたとしても、現状と同じことになっていた。
「来ます!」
「デスピナ、今だ!」
「諾!」
クレオは力の限りに引き、帆を引き込む。
同時に強烈な魔風が吹きつける。
技術的な加速と、魔術的な加速だ。
組み合わさる力に、ランドヨットが宙に浮いた。
「む」
「この……!」
地面という最大の減速要素が消えて、さらに加速するがバランスもまた崩れた。
ヨットは空を飛ぶようには出来ていない。
地面へと落ちる数秒の間にも、「ヨットの帆? わかんないけど羽なんだから横にしなきゃね」とばかりに倒れようとする。
だが斜めに傾きながらも行った加速は、スフィンクスの攻撃を完全に躱した。
上方から斜めに、かすめるような飛行襲撃は何も掴めない。
女性の両手から伸びる羽、それを広げて減速しようとしていたが。
「これは自衛です!」
そこにアマニアの雷魔術が突き刺さった。本来であればさして効果がないものだが、飛行バランスを崩す程度のことはできた。
硬い目の令嬢の放つ一撃が、スフィンクスの羽を撃ち抜いた。
「ヂぃ!?」
妙な声を上げ、細い女性の手が焦げる。
秒の間もなく、爆発するかのように砂を巻き上げた。
ほぼ墜落だ。
「風角度を下から!」
「諾の諾!」
危機は脱したが危機は続く。
崩れたランドヨットのバランスを立て直そうとするが、上手く行かない。
ヨットの車輪が、砂に触れた。
実はこれは一輪車でしたとばかりにそのまま進む。
奇跡的なバランスだが、すぐに横転すると思えた。
「あ、ぼくですか」
なにせ帆柱の先端に、アマニアという重量がある。
それが傾けを加速させた。
モンスター撃退の立役者が、ヨット破壊の立役者になろうとしていた。
「では」
気づいてすぐに、アマニアは飛び降りた。
余計な重荷を軽くするために。
バランスが戻り、帆柱が直立しようとするが――
「馬鹿がッ!!」
クレオは吠えた。
瞬間的に帆を操作する。
強烈な風もまた同時に吹き、砂地の傾きも利用した強引な補正を行う。アマニアの落下位置の下につける。
だがそれでも加速した分だけ進んでしまっていた、アマニアは砂地へと落ちていく。
「この後輩ッ!」
透明で柔らかい魔術的な板が、それを補った。ヨット後部からそれが伸びる。
当たり前のような顔で墜落したアマニアが、目を丸くしてそこで跳ねた。
さして強度の高くないそれが壊れるよりも前に、クレオが腕を伸ばし、その体を引きずり戻した。
強引なそれは救助というよりも、片手投げだ。
硬い床に背中を打ち据える感覚に、アマニアは何度か咳をした。
「なに考えてんだお前!」
「いえ、ごほ、余計な重量を減らそうかと」
「わたしのことを、眼の前でダチが飛び降りるのを見過ごす馬鹿にするつもりか!」
「そういうつもりは決して……」
アマニアには防護があるが、遠くには吠えながらも傷一つ無く、ふたたび舞い上がるスフィンクスの様子がある。
その近くに放置することが、良いことだとは思えない。
モンスターが何をするかわからないのもそうだが、流砂によって生き埋めにされる危険性もある。
クレオが激怒しているのも、そうしたことを思ってのことだろうとネズミは思う。
珍しくオロオロとするアマニアを横目に、そういえばと呟く。
「……考えてみれば吾はすでにこの国で、この板の魔術を使っていたか」
フェダール国における役割と厳罰は、主に人間を対象としたものだ。
ネズミが魔術を使った場合についての記載などありはしなかったのだと気づくのは、もう少し後のことになる。
より正確に言えば「もはやネズミとも呼べない新種」のため。
使い魔も厳密には違う。




