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夜会厄介 〜たまには薔薇も粉砕する〜  作者: そろまうれ
二章 フェダール国編
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ep.78 半端な欠陥品であることを、ようやく伝えた

砂漠を行く振動に身を任せながらも、アマニア・アンドレウは思う。

痛いことは嫌いだと気づいたのは、最近のことであると。


軽いものならばともかく、強すぎる苦痛はただ辛い。

一瞬では終わらず繰り返しやってくる激痛は、この世にあることを呪いたくなる。


そもそも――アマニアは、人生の大半を痛みを知らずに過ごした。

生身のそれはもちろん、人形コーキィアを経由したものであっても、刻まれたスティグマは弾く。害をもたらす不都合として排除する。


今こうして巻き付いている帆布のようなものだ。

常に、いつでも、取り囲むものを纏っている。

この分厚く強固な「障壁」越しにしか、触れ合うことができない。


それを打ち壊したのは、やはりクレオだった。彼女が苦痛を教えた。


最初の方、クレオと出会った時分に、中心となる花を傷つけられた。

夜会の薔薇、そこから枝分けされる形で作られた「アマニア自身」を思いっきりトンカチで叩かれて、彼方へと放物線を描くアーチとなったのだ。あれは今思い返しても酷い。


そう、それまで本格的な苦痛をアマニアは感じたことはなかった。だが、クレオのそれはトンカチ越しの、人形ごしであっても「痛かった」。幾重にも張られた防護のすべてを貫通した。


己自身を、容赦なく硬い鈍器で打ち砕かれたそれは、この世で初めて感じた「死ぬほどの痛み」だ。


混乱し、苦悩し、ただのたうち回りながらも、他の部員に計測した身長を伝え、他の学院生と照会するよう指示できたことは奇跡だ。あまりの苦痛に、それをもたらした者が「今まで探し求めていた相手」であることすら否定した。


駆け寄り、心配する部員たちにすら毒ついた。あまりにも不公平だ。


どうしておまえらは今、この痛みを味わっていないんだ?



 + + +



そうしたことを、夜の砂漠で訥々と話した。

今はもうデスピナは眠りこけている。

すぐそばで寝息の音が聞こえている。


この夜に、二人しか起きているものはいない。

言葉の秘密は、砂漠に埋もれて消えていく。


風の音と車輪の音。

騒がしさの中であり、すべてがきちんと伝わったとも思わないが、アマニアはどこか清々しい気分でいた。

自分が半端な欠陥品であることを、ようやく伝えることができた。


当たり前の、普通の人間のように振る舞う心苦しさが、どこかにあった。一方的に恩恵を得続けていることが、クレオと触れることで獲得しているメリットを隠すことが、騙しているような気がしていた。


「ぼくは――」


そうして、続ける。


「子供の頃、ぼくを狙ったテロに巻き込まれて死んだ子は、とても不幸だったし、とても済まないことをしたとも思っていました。頭では、たしかにそう考えていたのです」


葬儀の際、悪しざまに被害にあった子の親が罵っていた様子を思い出す。

あの時もまた「たしかに一方的な不利益を与えた」と考えた。


投資家の損と同等のものとして、子を亡くした親のことを捉えていた。

家族愛の大切さは本で多く書かれていたが、やはりそれもメリットやデメリットで言い換えることができるものだと信じた。


「違うんですよね……」


クレオは答えない。

アマニア自身はいまだに毛布に包まり、暗闇の中にいる。

上を覗き見れば、クレオの顔の一部と、静謐な夜空がヨットの振動で揺れる様子が確かめられる。


それでも、その意識がアマニアの方に向いていることは理解できた。


「あの痛みを知り、わかりました」


そう、テロに巻き込まれ死んだ子は、痛かったのだ。これ以上ないほどの苦痛を味わった。それこそ死んでしまうほどだ。

だというのに、その標的となったものは、平気な顔をしている。


不公平じゃないか、と確かに思う。

我が子が散々に苦しめられたというのに、そのきっかけとなったものが傷一つ無く平然としているのはどうしてだ。

お前も、苦しむべきだ――


そうした呪詛と怨みであったのだと、ようやく知る。


「あんなものを、誰も得たいと思わない。本当の意味で、ぼくは巻き添えとなった子に同情をしました。けれど――」


けれど、そう、けれどだ。


クレオと触れ合わずにいた期間は、わずか2週間程度だ。

だが、それだけであっても心底思い知った。理解させられた。


死ぬほどの痛み、苦痛。

決して得たくない地獄。


それらですらも「無いこと」に比べれば、まだ良かったのだということを。

クレオがいないということは、世界から色が失われるのと同じだ。

どれほど綺麗な花であっても、そこには匂いがない、感触がない。


何を飲み、何を食べたところで変わりはなく、触れられたところで接触せず、魔力を凝らした攻撃ですらも届かない。


世界とアマニアが、分断されている。

スティグマがそれらを通さない。


――今のぼくは、本当に生きているのか?


何度そう自問したかわからない。


「ぼくはクレオが傍にいなければ、幽霊も同然です。幽霊は、生きている人を理解することも、同情することもできません」


2週間、だんだんと心が死んでゆくことを実感した。

アマニアは、己がだんだんと元の自分に――「生きているフリをした幽霊」と化すことを自覚した。


「ぼくは――」


クレオが傍にいるから、触れられているからこそ、生きられる。

だから決して手放せない。


それは、クレオに犠牲を強いるということだ。

アマニアはクレオがいなければ生きていけないが、クレオはアマニアがいなくても生きていける。


むしろ、ただの重石にしかならない。

可能な限り尽くすつもりではあるが、それでも釣り合いが取れるとは思えない。


だって、たとえば、先ほど魔力供給のために飲んだ血。

あの芳醇と美味は筆舌に尽くしがたかった。どんな高級料理も、あるいは神々の酒といわれるネクタルですらも敵わない。


わずかな塩味はもちろん、鉄臭さや嘔吐感をもたらす部分ですらも好ましい。


果たしてこの先、アマニア・アンドレウはこれなしに生きていけるのか?


思わずそう自問してしまうくらいには堪能し、耽溺した。


デスピナはクレオに褒められることを求めたが、アマニアはクレオのすべてが欲しかった。彼女が与えてくれるすべてを。


「――」


ゆるゆるとランドヨットは速度を下げた。

風が止んだのだ。


「クレオ……?」


加速するのかと手を出してみるが、押し留められた。

帆を操作し、畳んでいる様子があった。断続的に車輪の回転は速度を緩め、やがては完全に停止した。


水が凍るほどの冷たさの夜。

本当に物音ひとつない。


ひゅ、という音が自然と漏れた。

毛布と帆布を引っ剥がすように、クレオが開けたからだ。

温められた暖気が一斉に抜け出す。


月が見下ろす砂漠の中、のしかかるような体勢でクレオ言う。


「なあ、アマニア」

「は、はい」


その息が白い吐息として吐き出される感触ですらも、きっとアマニアが生まれて初めて感じるものだ。


「わたしのものになるか?」


星々を背景にしたその言葉と顔は、まるで悪魔のようだ。

この世のものでは決して無い。



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