ep.76 三角に張った帆が風を受けた。
ランドヨットと呼ばれるこれは、本来なら一人乗りだ。
そこまで大きな荷物を運べない。
けれど、割と小柄なわたしであれば、そこまでの重量にはならない。
アマニアも背丈の割には痩せている。
二人で並んで寝るような格好で、ヨットを操ることができた。
「いやっほぉぅ!」
熱くじりじりと焼け焦げる日差しが傾き、夕焼けへと染まる最中、三角に張った帆が風を受けた。
突貫でつけてくれた車輪は勢いよく回る。
アマニアとデスピナは、二人と揃って目を丸くしてわたしに抱きついてた。
いや、普通にいい速度感なんだから、前見ないと損じゃないか?
「ぼ、ぼくは速いのは苦手だったようです、い、意外です」
「速度を、も、もうちょっとだけ落としてもいいのではないか!?」
デスピナは鳥に乗って高速で移動してたそうだから、こういうのも平気だと思ってたんだけど、どうやら違うらしい。
硬い地面と砂とが混じる平原のすべてが、凄まじい勢いで背後へ行く。
ときどき小石を踏むためか、断続的にジャンプもしていた。
風が凶悪に上を通り過ぎる。
その度に両サイドから悲鳴が上がる。
「二人共、うるさい」
「あるじがそうさせているのであろう!?」
「ぼくはクレオ・ストラウスはスピード狂だったと書き残すことにします!」
「でも、まだ最大スピードじゃないぞ?」
「このランドヨットは急遽作成したものです、壊れる可能性があるため推奨しません!」
「やはり吾は付いてくるべきではなかった!」
車輪が転がる音は、割とデカい音を出している。
そこまでのスピードを出し続けている。
ついでに骨組みがむき出しの木組みも悲鳴を上げているから、たしかにあんまり速度を上げすぎるのも良くないのかもしれない。
「あ、風が止んだ?」
けど、そもそもヨットは風まかせの乗り物だ。
カラカラと勢いよく回転を続けていた車輪が、そのテンポを遅くする。
「よかった……」
「生き物は、やはり自分の足で歩むべきだと吾は思う……」
風が吹かなければ、加速がされない。
順調な速度が、ずいぶん寂しい感じになる。
安堵してる二人には悪いけど、ここでのんびりしている暇はない。
「アマニア」
「……やらないといけませんか?」
「できるだけ早くつきたいしな」
「あるじよ、そこまで急ぐ必要はないのではないか、寄り道もまた旅の醍醐味であると吾は思う」
「やれ」
有無は言わせない。
「――」
珍しく嫌そうにしながら、アマニアは手を上げる。
その先の空間を変容させて、風を作り出す。
船でも学院生がやっていたことだ。
もともとアマニアの夜会では情報の伝達に雷を使っていた、属性としては風に当たる。
上方の空気そのものにベクトルを与え、大気の流れを作り出す。
学院生が数人がかりでやっていたことを、アマニアは単独で行った。下手をすればそれよりも上の成果を叩き出す。
からからと寂しそうに回転していた車輪が、砂を噛み、激しい前進をふたたび行う。
「よし!」
「ひぇ……」
「割とつらいんですが……」
帆は膨らみ、わたしたちは移動する。
たとえ風がなかったとしても、風を作り出しながら行く。
「これやれるだけでも、ここに来た価値があったな!」
「吾は高みの見物をするべきであった」
「視界がグラグラして、君の顔がよく見えません」
ここまで不評な理由がよくわからない。
わたしは戻ったらヨットを作ってみようかなと思うくらいなのに。
まあ、アイトゥーレ島は冬には流氷が押し寄せてくるようなところだから、夏の短い間しかできないだろうけど。
「あ、そうだ、もう血は吸うか?」
アマニアだけだと魔力量が足りないだろうから、わたしやデスピナから魔力を融通するつもりだ。
一人だけならつらくても、三人分なら距離的にも足りるはずだ。
「いいえ、まだ必要ありません」
「そっか」
「また加速をしますか?」
「んー、どうだろ」
「それはさすがに魔力の無駄遣いすぎではないか」
「ぼくは平気です」
寝そべった体勢で、アマニアは手を上に上げて魔力風を発生させ続ける。
アマニア本人は大丈夫だと言っていたけれど、触れている肌がだんだんと、その熱を下げていくのがわかった。魔力が欠乏しつつある。
普通なら気持ちが悪くなるし、視界も暗くなるし、体の各所がきしみを上げる最悪な状態のはずだけど、アマニアはなぜだが平気な表情で手を上げ、魔力風を送り込み続けた。
「この魔力欠乏の苦しみを、ここまでちゃんと感じたことは初めてかもしれません」
「いや、普通に辛いだろ」
「はい、とても」
にっこりと微笑みながら言うアマニアのことがわからない。
「ああ、なるほど」
ガタガタと揺れる中、デスピナがわたしの体をよちよちと横切ってから、デスピナの肌をぺちぺちと叩きながら頷いていた。
「アンドレウ家の秘文か。吾も話でしか伝え聞いたことがなかったが、強力なもののようだ。アマニア・アンドレウ、そなたの感動はこれが理由だな?」
「なんだそれ」
「かの大図書館は偉大なる祖の末裔であり、秘匿された魔術をいくつも持つと言う。そのうちの一つであり、防御系のものであろうか、うむ……これを知っている吾はすごいな?」
「うん、すごい」
少なくともわたしは知らなかったし、図書館などでも記されてはいなかった。デスピナだからこそ――船に乗るネズミという情報収集手段を持つからこそ、秘密にされていることも知ることができていた。
「心がこもっておらぬ……!」
「この場合、お前がすごいというか、それを探ることができたネズミの方がすごくないか」
「それも吾の手柄であろう!?」
「そうなのか?」
「そう!」
「ぼくとしては、一族以外の人がこれを当たり前に知っていることにびっくりなのですが」
「ふふん、吾らの入り込めぬ場所など、そんなにありはしない」
よく密偵とか工作員のことをネズミというけど、この場合はそのまんまだ。
ネズミがネズミ行為をしていた。
「本気で人間としちゃ脅威だけどな、それ」
「むむ?」
わたしはため息をつきながらも、ヨット外へと手をやる。
前方から吹き付ける風に混じって、別方向のものもあるように思えた。
「アマニア、今もちゃんと風が吹いてるかどうかわからない。一旦止めてくれ」
「もうですか……」
「なんでお前、残念そうなの?」
強引な加速が止めば、もう周囲は夜闇に沈んでいた。
進んだ分だけ、より早く夜に到着したのかもしれない。
まだ昼の熱気をはらんだ風が、ゆるやかにランドヨットを動かしていた。
「よし、しばらくはこの風を使おう」
「もういいんですか?」
「今はわたしがこの船の長だ、船長の言うことは聞け」
「わかりました」
言ってわたしのことをじっと見る。
魔力風を発生させるときには、帆の様子を見ながらやる必要があったけど、今はわたしにロックオンだ。帆綱を引いて船を操るるわたしから、一時も視線を外さない。
ただ、それを拒否することもない。
アマニアに「取材」をしていいって許可を出したのはわたし自身だ。
「吾は思う」
「なんだ?」
「寒くなってはいないだろうか」
「そりゃ砂漠だからな」
土地柄にもよるんだろうけど、砂漠の夜はとても冷える。
この辺ともなると、外に放置した水が凍りつくレベルだ。
「更に言えばこの速度で一晩中移動するつもりだから、シャレにならないくらい冷え込む」
「それは吾、死亡確定なのだが!?」
「潜り込んどけ」
「そのようにする……!」
普段は入っているポケットからのそのそと出て、襟元から服下へと潜り込んだ。
毛皮の感触がこそばゆい。
「あるじ」
「なんだ」
「汗臭い」
「人の生理現象に文句いうなよ」
「水気があると、気化冷却が心配なのだが」
「ぼくが代わりましょうか?」
「どっちの役をだ?」
「それはもちろん……」
おい、なんで今デスピナの方を見た?
お前も服の中に潜り込むつもりか?
「取材のために……」
「さすがにそこまでは取材の範囲に含まれねえ」
なぜかアマニアはひどくすねた。




