ep.73 道が蜃気楼のように、ふ、と消えた。
役割から外れるというミスをすれば、半ばミイラと化す。
これはわたしたちからしたら異常事態そのものだけど、きっとこの国に住む人からすれば「たまにあること」だ。
周囲からの多くの視線は視線は冷ややかでもなければ嘲りですらなく、「ああ、またか」という諦めを含んだものだった。誰かが派手にコケたくらいのものだと扱われている。
遠巻きに見ているだけでしかない。
「足、あ、足ぃ……!?」
「平気だ!」
根拠なくわたしは断言する。
骨に皮が張り付いたというような状況は無惨そのものだけど、すぐに戻る、きっと。
「でも、でも……!?」
「パニックになるな、見るな、大丈夫だ」
その両目に手をやり、塞ぎながら言う。
荒い呼吸が繰り返し肌にふりかかる。
「はい、これ」
「サンキュ、カリス」
とことこと、わたしが放置したバッグを手に来たのを受け取り、その中から水を取り出し飲ませた。
相手の視界を塞ぎながら、水を飲ませる光景はちょっと犯罪的だけど、実際のところは救助活動だ。
「靴と靴下が脱げていました。おそらく急激に痩せたためですね。効果の程はわかりませんが、靴下を濡らしてから履かせます、いいですね?」
「アマニア、頼む」
わたしや学院生たちと違って、アマニアとカリスの二人は、数日前からこの国にいた。
「旅行者」としての役割を持つから、道路外へと出ても平気だ。
「……おそらく、魔力移譲に関しては吾の方が熟達している、部分的枯渇に対する高濃度魔力供給は悪影響となる、代わろう」
「助かる、デスピナ、あとで存分に撫でてやる」
「任せよ……ッ」
懐にしまい込んだネズミとは、こっそりやりとりをする。
得意なことは、得意なやつに任せるに限る。
ようやく事態を認識したのか、学院生がこわごわと集まっていた。その中には青白い顔をしたニキもいる。
彼女は駆け寄ろうとする友人らしき人を止めていた。
めちゃくちゃ助かる。
「えーと、ごめんよ?」
そう訊かれたのは、さっき皆を先導し、反射的にコピシュを抜いていた人だ。
「私はシェリ。シェリ・ペルという」
「わたしはレオ・ラウスです」
とっさに偽名を言う。
あんまり公的な人には名乗りたくない。
「どうやら君がとっさに彼女を救ったことはわかるんだ」
「はい」
シェリさんは普通の人って印象だ。
たぶん役割は衛兵だ。
けど、思ったよりも話が分かる人が助かった。
ここで「この私が止めたのに、それを無視したのはどういうことだ、ええ? そんなことでいいと思っているのか?」とか言い出すクズじゃないのは幸いだ。
危機は脱したけど、まだ予断は許されない。
ここで救助の手は止めたくない。
禿頭のシェリさんは、少し困ったように下を指さした。
「だけれどね、この道は魔術による作り物だ。「道路敷設者」としての私が臨時で作成したものなんだ」
「ええと、つまり?」
「うん、君がやったことはすべて正しい。私がすべきことを補ってくれた、ありがとう。だけれど、このままのんびりここにいたら、君たち全員が死ぬことになる。せっかく助かった命なんだから、できれば安全な場所で治療を続けないかい?」
石灰石で出来た道路はまっすぐ伸びている。
遠く建てられた王宮まで、続いている。
その道が蜃気楼のように、ふ、と消えた。
この陽光に炙られて消失したみたいに、遠くの方から順番に。
「なんで!?」
「街中にこんなゴッツい道路を敷設したら邪魔だろう? 留学生たちを歓待するためだけの、限定的な道路なんだ」
役割無しが何も考えずに街を歩けば罰を受ける。だから、王宮まで歩ける魔術的な通路を作成した。そこまではいい。だけど――
「そのせいで死にそうなんですが!?」
肩を貸し、立たせながらもそう叫ぶ、反対側はニキが抱えてくれていた。
「うん、王様にも困ったものだよねぇ、到着後すぐに連れてこい、顔を確認してやるって無茶振りをされてね。こっちの苦労も考えてほしいよ」
「大変なのはわかりますが、ここで消すの止めてくれませんか! もう少し時間的余裕を!」
「申し訳ないんだけど、それはできない」
トンカチでぶっ叩いてやろうか。
「私の意思じゃないよ? これは、そういう魔術なんだ。二点に魔術の楔を打ち込み、その間に道を通す。決められた時間内だけ、しっかりとした道路を構築できるんだ。そして、今その決められた時間が過ぎようとしている」
「なんで歩いて戻れるギリギリの時間なんですか!?」
「うん、だから、王様にも困ったものなんだよ」
「どゆこと!?」
「この道路って、君たちは通れるけど街の人達は渡れないんだ。荷押し車も郵便配達も道路を跨ぐことが出来ない。今の状況は、完全に街を二分する壁ができたようなものだ。制作前も制作後も、私はみんなからぶうぶう文句を言われる。時間的に、これがギリギリだったんだよ」
見れば後ろの方では、待ってましたとばかりに人々が往来している。
短期留学生を歓待するためだけに設置された道路は、彼らが足を乗せることを許さなかった。やれば彼らの足がミイラになる。
「ああ、もう!」
「あともう少しだから、がんばろう」
言いながらもシェリさんは後ろから押してくれてはいた。
悪い人ではないんだろうけど、根本的な部分で他人事だ。
「カリス、アマニア、悪いけど他を頼む!」
「貸しひとつよ!」
「それは……ええ、わかりました」
道路を降りて左右に別れた二人に先導されるようにして、他の留学生は安全地帯となる港湾へ走り向かう。
これならいくらコケてもとっさに二人が支えてくれる。
簡易的な柵で示された場所内へと、ほとんど決死の覚悟というように足をつけていた。
どうにか彼女たちは間に合う。けど、「普通に歩いて戻るくらいの間しか構築されない道路」は、一度コケて片足が機能しなくなり、どうにか肩を貸して進もうとする人間では間に合わない。
「も、もう置いて行ってくれたら――」
「うるせえ! 連れてく!」
片足でどうにか進む船酔い足滑らしの言葉なんて聞かない。
「クソ……」
そうしていながら、わたし自身の失策に気づく。
カリスとアマニアに、この運び役は頼むべきだった。あの二人であれば道路が消えた後でも彼女を抱えて運べる。生還の芽がぐっと上がる。
けど今は、わたしとニキで肩を貸して移動している。
この道路から出たらいけない三人が、それをしている。
今のわたしたちにとって、この国の土は硫酸の海みたいなものだ。触れたら大怪我だし、すぐ引き上げられなきゃ死亡する。
なのに、安全地帯はあっという間に消えていく。
「あ、これは、厳しいかな……」
シェリさんのその言葉に。
「跳ぶぞ!」
「あ」
「ちょ!?」
反射的に叫んで跳んだ。
けれど、わたしの言葉に残り二人はとっさに反応できない。
わたしだけが、跳躍できた。
魔力で無理やり底上げしながら、どうにかわたしを含めた三人を浮かせることには成功した。
バランスを崩した不格好で地面から距離を離す。
わずかな滞空時間。
その間に、下の道路が幻みたいに消え去るのを見た。
残るのは――死の空間だ。
けれど、まだ遠い。
安全地帯と分かる港湾部分、簡易柵の内側までは、届かない。
あとほんの少しなのに。
一歩だけでも耐えるか?
わたしもまた片足を犠牲にすれば、どうにか。いや――
「ひぃ」
「あ……」
二つの絶望を横に聞く。
わたしだけが足をついて、跳ぶことはできない。それをやったところで、二人もまた地面に足をつけてしまう。
だから、わたしは叫んだ。
「デスピナ!」
「諾!」
魔術的な板が足下に作成された。
横長に作られそこに、三人で着地できた。
すぐさまヒビが入るのがわかる、あと数秒も持たない。
力を貯め、また跳ぼうとする。
けど、こうした動きを予期していない二人は倒れ込んでいた。
恐怖がその体を縮こまらせていた。
わたしが肩を貸している方は、力付くでその転倒を止めることができた。けど、ニキは手を前にやる転倒姿勢だ。
「ふむ」
そこを人影が支えた。
人形だ。
デスピナのそれが、ニキが完全に倒れるより先に抱えて落ちるのを防いだ。
「吾を褒めよ?」
「ナイスだ!」
「くふ……っ」
一人ならバランスを崩す、ちゃんと跳べない。
だけど、左右に二人なら。
「行くぞ」
「応!」
二人を運ぶことができた。
四人で安全地帯に足をつけた。
ほとんど倒れ込むように着地する。
わけがわからないという顔をしながらも、どうにか助かったことに二人は目を丸くしていた。
歓声というより安堵の息が、学院生の間から一斉に漏れた。
仲間の生還の喜びと、死の一歩手前を恐れる緊張が混在していた。
恐る恐る、けどしっかりと互いに手を取り合う様子がある。
デスピナはいつの間に人形を消していた。
混乱に乗じた上手い証拠隠滅だ。
わたしは胸元ポケットに入れたネズミを丹念に撫で褒める。
照れた「ぴゃー……!」という小さな声が聞えた。




