ep.71 「この国には、あまり長くいたくありません」
船旅で遠くの国についたら友達に先回りされていた。
言葉として言えばそれだけなんだけど、実際にされると驚くことすらできない。
本当に、なんで?
「心配だったので」
当たり前のようにアマニアは佇む。
生成りのシャツとスカート、大きめの帽子という涼しげな格好だけれど、見間違いようもない。
船から降りてくる他の学院生が残らず二度見していたけど、そういうのを気にした様子もない。
「大変だったわ……」
一方のカリスは、どこか恨めしそうに言う。
憔悴のあまり、その頬はこけてすらいた。
「大丈夫かよ、イカとか食うか?」
「食べ飽きたからいらない」
そりゃそうかと思う。
なにがあったかは知らないけど、二人もそれなりに大変な旅路をして来たらしい。
だから後ろから抱きしめて人の後頭部を嗅いでいるアマニアのことはしばらく放置することにした。
そうしていながらも、警戒する。
周囲をきょろきょろと目だけで見るけど、なにもおかしなことはない。
何か変化が生じることはない。
たしかに魔力的な違いはあるけど、それは別の魔力分布の場所に行けば当然だ。
あと、砂漠の国特有の乾燥した空気と、ぺしぺし張り付く砂が肌に悪そうなことくらいが違いだ。
「どうやら、あるじの危惧は外れたようだな」
「デスピナ、黙れ」
ポケットから漏れる声をとがめる。
アマニアがわたしを抱きしめる力が強くなる。
「……君は、なにか危険があると覚悟の上で、この国に来たのですか?」
「あったけど、言わないぞ」
「なぜ?」
「バレるだろ、色々と」
「……」
「なによ、これ以上なにかするつもりなの?」
「カリスも人聞きの悪いことを言うなよ」
疲れた彼女は椅子に座っていた。背もたれはあるけど、手すりのない椅子だ。
その前に置かれたテーブルもどこか見慣れたものだから、拡張バッグに詰め込んで持ち運んで来たのかもしれない。
そこでぐでんと伸びている。
「どうせあの大音響、貴女が原因でしょう?」
「黙秘する」
「関係ないと断言できてない時点で有罪だわ」
「推定無罪は?」
「こっちで勝手に裁くわ」
「横暴だな」
カリスは「ふふん」って感じの顔をした。
デコピンしてやりたいけど耐える。
ちらちらと周囲からの注目を浴びてる様子もある。
ここは慣れたアイトゥーレ学院の中じゃない、この国の人たちに悪い評判を振りまくのもどうかと思う。
フェダール国は砂漠の国だけど、すべてが砂ってわけでもない。
川周辺のここであれば、そこかしこに草木があるし、遠くの方では小麦を育てている様子もある。
ちょっと近くに見える小屋には、なぜか巨大な鳥がいた。
窮屈でひどく居心地が悪そうだ。
「うん、だけど、わたしは関係ないし、知らない。だからわたしは何もやっていない」
「たしかに吾らは何も関係なかった」
「……貴女の乗っていた船から、なぜかイカを大量に下ろしていたのは、なぜなのかしら?」
「途中で釣ったんだ」
「海域を襲っていたモンスター、イカだったそうね」
「そーなのか、はじめて知ったなー!」
「うむ、たしかに!」
「こんな白々しい供述、めったにないわ……」
だけれど公的にはそういうことになっている。大量のイカを手に入れたのはたまたまで、船にやけに強い魔力痕跡があるのは偶然で、未だに足を引きずる船医が快活な笑顔で学院生に話しかけ、基礎魔術の本を読んでいるのもたまたまだ。
「うん、結局は考えすぎだ。メイド姿でこっそり来たけど、あんまり意味ははなかったな」
「なによ、よくわからないけど杞憂だったわけ?」
「なら、ぼくと一緒に戻りましょう」
「へ?」
「すぐにアイトゥーレ学院へ戻れる手段があります」
アマニアに手を引かれた。
なぜかカリスは完全に横を向き、絶対にこちらを見ないようにしていた。
他人事にしたいという強い意思が感じられる。
「カリス、なんかすげえ嫌な予感がするんだけど、気の所為だよな?」
「帰路は別々ね、残念だわ」
「……そういえばどうしてお前、そこまで疲弊してたんだ?」
「世の中には、実際に体験しないと信じられないようなことがあるの」
「はあ?」
「とても残念ですが、飛行中にクレオに触れられるとぼくが死ぬので、注意してください」
「いやいや、なんだそれ」
飛行?
え、飛ぶの?
「本当に、ぼくに触れないでくださいね?」
ちらりと硬質な目が、こちらを向いた。
妙な光が底にある。
そうなることを望んでいる――
いや、積極的に自滅を選ぶというよりも、「もし本当にそうなったらどうなるんだろう、わくわく」という様子が見て取れた。
致命的なイタズラをやらかす子供の顔だ。
「やばいんだけど、なんかすごくやばいんだけど!?」
引き剥がそうとするけど、体格差もあってできない。
わたしは引きずられるがままだ。
行く先は、巨鳥だ。鳥なのに表情豊かに嫌そうな顔を表現していた。
「クレオ、君に強く引っ張られると痛みを感じます」
「よくわからんが、だったら手を離せ!」
「え、当然いやです」
「なんでだよ!?」
「だって、痛いんですよ?」
「言葉が通じねえっ!」
このままだと、本当に危険だ。
だけど、どうすれば。
「カリス!」
「――」
くそ、完全に他人のフリしてやがる。
「航行中、わたしが胴元の大規模賭博を開いて、借用書をかなり手に入れたんだけど、これについて――」
「詳しく教えてくれるかしら?」
瞬間移動したかと思える速度で眼の前に来ていた。
完全に金に目がくらんだ目をしている。
この分だと、船の所有者になったことを言えばどうなるんだ。
「利息と遅延損害金は? 返済期日は当然決めているわよね? そもそも総額はどれくらい? あ、ちゃんとフォーマットに則っているわよね」
「あー、総額でいえば、一時は国の経済を傾けるくらい膨れ上がったけど――」
「ペルサキス家には借金取り立てを専門とする部門があるわ、多少の不備は気にしないから買い取らせてくれない?」
こんな真剣なカリスの顔を見るのは初めてかもしれない。
こころなしかアマニアですら引いている。
「む? そうした貸付が行われたことは事実だが、あるじは事件の際にチャラにしたのではなかったのか?」
「あ、馬鹿、言うなよデスピナ」
ひゅ――と息を吸い込む音がした。
眼球が飛び出そうになったカリスからだ。
「はああぁああぁあッ!? え、は? なんで、どうして? お金よ、お金なのよ? キラキラして綺麗なものなのよ? チャラということは無効化したということ……? え、貴女、反乱にあって殺されそうにでもなったの? そうでなければ納得できないどころの話じゃないわ、徳政令は貨幣経済そのものに対する盛大な侮辱よ!」
「カリス、怖い」
後ろからはアマニアに抱きしめられ、前からはカリスに詰め寄られていた。
逃げ場がどこにもない。
ここで「パニックになりそうだった学院生を正気に戻すために賭けをした」とか言えば殺されかねない。
「クレオ、とりあえずぼくと帰りませんか?」
「いえ、借用書の買い取り契約をしてからよ」
正直、どっちも嫌だ。
「というかアマニア、どうしてそこまで帰りたがるんだ?」
わたしに執着しているのはわかる。
だけど、それはこの場所でもいいはずだ。
急いで戻る理由がない。
後ろから抱きしめるアマニアを見上げてみれば、珍しい困惑があった。彼女自身でも理解できない、不安の芽のようなものが。
「嫌だからです」
「ん?」
「ぼく自身にも、うまく説明できません。けれど、この国には、あまり長くいたくありません」
その手が、細かく震えていた。
「ここには、ぼくが望まない痛みがある、そう思えて仕方ありません」
そんな予言のようなことを、ぽつりとこぼした。




