ep.70 どれだけ時間がかかろうと帰路は船を使うことをカリスは決意した
アイトゥーレ島に情報が届けられた。
イカの不漁原因が明らかとなった。海洋モンスターが現れたせいだった。お陰でしばらくの間、航行は禁止とされた。
一帯を無差別に襲う脅威に対して、妥当な判断だ。
しかし、そうもいかないものがいた。
アマニアはいつものようにクレオの寝室に侵入し、置き手紙が残されているのを発見した。
フェダール国が気になるから、ちょっと行ってくると。
ひどく目立つ転入生は、危険な海洋モンスターの出現情報を得るよりも先に、出港船に乗り込んでいた。
カリスは軽く肩をすくめて、葬儀の準備をした。
助けるのも助かるのも無理だろうから、それくらいはしてやろうと。
アマニアは、暴走した。
全新聞部員を酷使し、どんな微細な情報でも得ようとした。
一睡もせずに最新情報を追い求め、渡航手段もまた探した。
それは二週間近く行われたが、ろくな情報が手に入ることはなかった。そして――
「正気?」
「はい」
「たしかに、たしかに? 飼ってはいるわ、今ここに来てもいるわ。だけど、あれに乗ろうって気にはならないわよ」
「ぼくなら平気です」
「貴女ねぇ」
ステュムパリデスと呼ばれる鳥がいる。
分類としては大型鳥類ではあるが、ほぼモンスターとして扱われているものだ。
羽やクチバシが金属で出来ており、見上げるほどに巨大だ。
その大きさは、人が三人ほど乗っても飛べる。
アマニアは、それに乗ってフェダール国へ行こうとしていた。
そのためにステュムパリデスを飼うペルサキス家に――カリスに頼み込んでいた。
「莫大な支払いがいるわよ」
「すでに稀書を売り払い用意しました、対価としては十分なはずです」
話し合いをしている場所は、図書館の中でも彼女専用の個室だった。本来であれば所狭しと詰められているはずの本棚は、今は随分と寂しい有り様だ。
「そのようね」
「はい」
「次に、同じルートを辿っても、クレオが乗る船を見つけることはまずできないわ」
「それも覚悟しています」
遥か上空から、帆船一隻という「ちいさなもの」を肉眼で見つけることは不可能に近い。
海原はそれほどまでに広く、また、水平線に遮られ視認範囲が限られている。
まして相手は風を捕まえて行く船だ。その航路はジグザグであり、直線航路で行ったところでその上を通ることは無いと言っていい。
「本当にわかってるのかしら? クレオが乗る船は見つからず、ただ大金を支払って、先にフェダール国につくことしかできないと言っているのよ。貴女は無意味な契約を結ぼうとしているわ」
「ぼくの意思は変わりません」
アマニアはひどく憔悴していたが、同時に決意もその目には潜んでいた。
カリスはため息を盛大に吐いた。
「……それと、とても言いにくいのだけれど、当家はステュムパリデスを飼いならしているとは言い難いわ」
「どういうことですか?」
「契約等で縛ってはいるけれど、それでもあの鳥は操縦者をどうにか殺そうとする。飛行しながらその金属製の羽を使い、斬り刻むのよ。魔法防御で防げはするけれど、短時間に限られるわ。とてもじゃないけど長距離飛行は無理よ」
最速の移動手段を持ちながらも、活用しきれていない原因だ。
鳥は契約の穴をつき「ただ羽ばたいているだけ」で操縦者を排除しようとする。
完全防備の上に魔法鎧を展開すれば、どうにか生き残れるが、三人交代制は必須であり油断をすれば死者が出る。
同じ魔法量を使って船の移動速度を上げたほうがよほど経済的だ。
「馬鹿な父が手紙を送り届けるためだけに使ったから、たしかに今この島にステュムパリデスはいるわ。けれど、距離としても人数としても、フェダール国までは無理よ」
防御魔法を張れる魔力量のため、飛行距離は限定される。
乗れる人数も三人でいっぱいだ。輸送物は手紙などの軽いものに限られた。
常識的に考えて、あの鳥は使えない。
だが、長身で硬質の目を持つ令嬢は、ただ頷いた。
納得ではなく、確信を以て。
「ぼくなら、大丈夫です」
「はい?」
その肌の下では、刻まれたスティグマが出番を待ち望んでいた。
+ + +
「ヒィ、ひぃい!?」
言っても聞かないアマニアについてカリスが乗り込んだのは、義侠心や友達としての心配もあったが、それ以上に商売の気配を感じ取ったからだ。もし本当にステュムパリデスを自由に乗りこなすことができるのであれば、その価値は計り知れない。
最速で、どこへでも行くことができる。
あらゆる局面で先手を取れる。
人員も物資も情報も、ストラウス家が最速を得る。
アンドレウ家の秘奥らしいが、是非とも良好な関係を築きたい。
便利すぎる防御魔術は、経済的に活用すべきだ。
そのためにも実地で検証し、いざ事故が起きたときには助け出して、恩も売って……
そういった下心からの同乗の判断だったが、飛び立ってから数秒でカリスは後悔した。
乗り手の三人が必死に止めた理由が死ぬほど理解できた。
「やめ、やめぇ!?」
カリスは巨大な鳥にひっつくようにしていた。
鳥自身を攻撃することはないため、背中位置であれば安全だ。
だが、そのすぐ上ではビュンビュンと羽が飛んでいた。
まるで合戦の最中に踏み込んでしまったかのようだ。ひとつ間違えれば頭を撃ち抜かれる。
「――」
それでも、まだしもカリスはマシだ。
巨鳥の首元につけた鞍、そこに乗るアマニアには絶え間なく攻撃が打ち込まれていた。
思い出されるのは、カリスの父親が呼んだ楽団だ。
本格的なものではなく大道芸じみたそれは、世界でもっとも早い太鼓の演奏ができるという触れ込みだった。両手が見えなくなるほどのテンポで叩かれたそれは凄まじく、ほとんど連続したひとつの音律に聞こえたものだ。
前に座るアマニアから、それと同レベルの音がしていた。
金属同士を叩きつける連続だ。
仮に同じ位置に金属のカタマリを置いていたのなら、あっという間に体積を減らしたはずだ。
それだけ容赦なく、殺意を込めた攻撃が行われていた。
金属製の羽が高速で跳ね返される。
宙を舞う羽はくるくると舞うが、魔力圏に囚われすぐさま再突進を行う。
金属製の羽という貴重品は、その数を減らすことなく攻撃に転用された。
アマニアは、金属製の布に包まれているようにすら見えた。
実際は、その全身を壊そうとする試みだ。
腿や肘の内側などの、肌が薄い部分はもちろん、耳、口、鼻や目など、あらゆる弱みをついた襲撃がされていた。
だが、効果は一切発揮されない。
乗り手は平然と受け入れていた。
傷の一つもできていない。
むしろ、睨みつける鳥に向けて。
「もう少し、速くなりませんか。その代わり、攻撃はどれだけ激しくしてくれても結構です」
そんな要求までしていた。
「どうなってるのよ……」
常識離れしているのはクレオか、それに付き従うデスピナくらいのものだと思っていが、ここにも別の形の常識外れがいた。
いや、あの二人であってもここまでのことはできないだろう。
速度を上げ、急停止し、最速で向かいながら羽の攻撃を逆向きに放ち――
そうしたステュムパリデスの乗り手殺傷行為は、どれ一つとして成果を発揮しなかった。血が流れないどころか青あざですら出来ていない。
「無理ですよ、その程度のものが通用するなら、ぼくはこんな執着をしていない」
よほど悔しかったのか、鳥は高度を上げ、最速でかっ飛んだ。
鳥自身からしてもつらい飛行だ。生物が受け入れられる限界の環境を作り出した。
カリスは簡易酸素ボンベを口につけ、全身を毛布と魔力結界で包みどうにか寒さに耐える。
それでも平然と、効いた様子もない乗り手にステュムパリデスはクチバシを固く鳴らした。
「いいですね」
アマニアだけがご満悦だ。
そして、あっという間にフェダール国へとつくことができた。
不眠不休とはいえたったの三日で到着できたのは、たしかに最速の交通手段だ。
これが一般化すれば世界が変わるだろうが、どれだけ時間がかかろうと帰路は船を使うことをカリスは決意した。
砂漠の街でしばらく過ごし、どうにか精神力を回復させ――
凄まじい大音響を聞いた。
この世が割れたかと思うほどの音だ。
「クレオですね」
当たり前にアマニアは言う。
どこか安心した様子すらあった。この程度のことは起きるだろうと確信した者の顔だ。
「本当に、どうなってるのよ……」
カリスは、自分の周囲には、こんな奴らしかいないのかと天を仰いだ。




