ep.67 「もし勝てば、いままでの借金ぜんぶ帳消しだ」
意外にも航海は順調に進んだ。
わたしが盛大に金貸しをしながらも行った大規模賭博会は、割りと好評で盛り上がった。とても儲けた。
デスピナが作っていたツルツル床の反対、適度なネバネバの粘着力を持つ魔力板を舞台にしたボードゲームやカードゲームは、いくら揺れてもゲームがご破算になることがない。
細かい操作もできないから、イカサマも難しくなる。
阿鼻叫喚と罵声や歓声が飛び交うけど、拳や血は出ない。
その代わり、プレイングミスしたやつは盛大に野次られた。
逆に一発逆転を決めた手には、船が揺れるほどの大歓声を起こした。
これによって何人か破産したけど、わたしが更に貸し出すことで解決だ。
この辺のやり口は、こっそり覗き見ていた賭博形式の夜会を参考にした。
参加者を熱狂させつつ胴元が儲けるバランスは、第三者目線で見ないとなかなか気づかない。
うん、単純な貸し出しより、どうせなら主体的に企画した方が面白いだろうと思ってやったけど、予想よりもうまく行った。
船長がやけに渋い顔をしていたけど、言われたことはだいたい守ってるから問題ないはず。
日が経つほど借用書は積み重なった。わたしが貸した金で賭けに負け、胴元として回収した金をまた貸し出すことの繰り返し、ちょっとした錬金術師の気分になれる。無限にお金がザクザクだ。
学院生の何人かもハマっていた、特にニキはのめり込みすぎて、デュカキス家の財政がちょっとマズくなるくらい膨らんでるけど、いいのか、これ?
ただ、ひりついた駆け引きを続けたことで、学院生と船員との間のわだかまりは少なくなった。上っ面の会話より、鉄火場での振る舞いの方こそがその人の「底」が出る。どういう奴で、どういう美学を持っているかがわかる。学院生はこの船の一員として認められつつあった。まあ、うん――
なぜか、わたしが遠巻きにされるような風潮ができたけどね?
とても不思議。
船員からの敵愾心みたいなものは、「コイツだけは敵に回しちゃいけねえ」みたいな畏怖に変わり、学院生の身分が下のものを扱う態度は、「へ、へへ、もうちょっと、もうちょっとだけ、貸してくれない?」という擦り寄りに変化した。
裏社会のボスとか、こういう気分なんだろうな。
畏怖と欲望が絶え間なく投げかけられる。こんな状況を続けたら、そりゃ人間性が歪む。
けど、全体としては問題なくこうして――
「む」
「どうした」
デスピナがしれっと肩に乗り、忙しなく周囲を見渡した。
ちょうどギャンブルが過熱している真っ最中だ。
わたしがやったイカサマがバレるから、あんまり顔を出さないでほしいけど、そうとも言えない雰囲気だ。
その全身からビリビリとした危機感を伝達していた。
「戒ッッ!」
デスピナが叫んだ。
全身を震わせていた。
その様子は、一切の遊びがない。
ただ「危機」を捉えようとしている。
「何が起きた?」
「不明。だが、吾が声を上げるべき事態だ」
ざわざわと不審の声が広がる中、わたしもまた魔力感知の範囲を広げた。
帆柱では、船員がだらけながらも定期的に周囲を警戒する様子があった。その表情に変化はない。
望遠鏡の視認範囲内に、怪しいものは出ていない。
つまり、海賊船の類じゃない。
だとしたら、大渦とか大潮とか、海洋の変化?
仮にそうだったら、わたしにやれることはあまり無い。
それこそ船長と船員に任せるしかない。
いや、けど違う。これは――
「どうしたの、今の声は何? あともう少しだけ融資してくれない?」
「ニキ……」
わたしは床を見ていた。
もっと言えば、その先を。
「こっちの方向に魔力探知してみろ」
「え?」
指をさす方向、木製の板のその先、膨大な海水をかき分けて接近してくるものがいた。
まっすぐ、急速に近づいて来る。
「海洋モンスターだ」
突き上げるような衝撃が船を揺らした。
+ + +
海洋モンスターは危険だと言われているが、その対策はあまりされていない。
出会った時点で終わりだからだ。
分厚い海水が、人間が放つ攻撃をすべて減衰させる。
移動速度の差もありすぎる。とてもじゃないけど逃げ切れない。
天災や死病が避けられないように、海洋モンスターからは避けられない。
遭遇すること自体が特大の不幸だ。
船に「ツイてないやつ」を乗せたがらない理由だ。
ラッキーな奴が乗っていれば、モンスターがどこかに行くかもしれない。だけど、不運な奴が乗っていれば終わりだ。
その危機を、わたしたちは今まさに体感した。
船全体が浮かび、落ちる。
波のそれとは違うと、素人のわたしでもわかる。
生きた巨大なものが通過する様子が、窓外にわずかに見えた。
触手の先端だ。
全員が固定されたテーブルや柱などに寄りかかりながら、何も言えずにいた。
古参の船乗りは、顔を真っ青にする。神への祈りをうわ言のように呟いている。
事態を理解していない新入りと、学院生はただ戸惑っている。これが「攻撃」であることすら理解していない。
「穴を塞げ! 離れるぞ! 急げ!」
絶望と混乱を引き裂いたのは、船長の声だ。
最優先で従わなければいけないと骨の髄まで叩き込まれた命令に、船員はいち早く反応する。
船という、身を守る盾にして移動のための手段を守るべく、怒声を上げて動き出す。
「船長、とっさに魔力防御をした。船底に穴は開いていない。次もやるけど、いいよな?」
「……頼む」
不満そうなのは、それこそ「魔女」に借りを作るからかもしれない。
主導権を持つ側のはずなのに、積荷に頼る事態だ。
「え、え……?」
「ニキは学院生をまとめてくれ、遠隔魔法が使える奴がいれば防御展開してくれると助かる」
「ほ、本当に、モンスター、なの?」
彼女の声は震えていた。
信じられないと見開かれた目に、徐々に涙が浮かぶ。
あ、やばい。
パニック寸前だ。
現状が、どれだけ致命的なのかをじわじわと実感している青白い顔色だ。
学院生を纏め上げるどころか、彼女自身が集団ヒステリーの引き金になりかねない。
なすすべもなく、ただの餌として喰われる。
その現実が、すぐ傍までやって来ている。
魔術を使うものだからこそ、その限界も知悉している。
不味い。
無駄に喚いて混乱するやつが味方サイドにいたら、助かるものもの助からなくなる。
「ん!」
「え」
なのでニキの頭をつかみ、すぐ傍へと引き寄せた。
ほとんどまつ毛同士が接触しそうな距離だ。
抱きしめるというよりも、その耳元へとささやきかける。
「ニキ……」
「な、なに……」
ゆっくりと、静かに、想いが伝わるように。
「この船が沈むかどうか、わたしと賭けないか?」
真剣に問いかけた。
「はえ……?」
「ニキは沈まない方に賭けてくれ、もし勝てば、いままでの借金ぜんぶ帳消しだ」
「――」
信じられない何言ってんだコイツという表情をしていた。ぽかんと開いたその口から、混乱やら恐怖やらが出て行くのが見えた。
「どうだ? 賭けるか?」
「あなた、実はすごく馬鹿なんじゃない……?」
「お前の借金、今日だけでも天文学的だ」
「やるわよ、やってやるわよ!」
わたしにより掛かる体勢から身を離し、パンと、両頬を自ら叩いた。
「ここ一番の大勝負よ、ここで勝たなきゃいつ勝つっていうの!」
あ、なんか負けそう、という本音は口にせずに仕舞っておいた。




