ep.62 「わたしは船酔いになった」
今日は2話更新
船出は問題なく行えた。
航海は順調だ。
クレオ・ストラウスは結局乗ることはなかった――少なくともニキ・デュカキスの名簿にはそう記載されている。
そして、それどころの騒ぎではなかった。彼ら留学生は船旅を甘く見ていた。
「うぅあ……」
「ぐぅおぁ……」
「うるさいですよ――」
「もう、もどせない……」
大陸からアトゥール島へ行くには、波の穏やかな日を選び、魔導船にて行われる。
環境としても航行手段としても最適を選んでいる。
そのため、「一般的な船で行う航海」を彼女らは知らずにいた。
しばらくの間は意気揚々としていたというのに、段々と口数が少なくなり、やがては何人かがフラフラと大部屋へと引き返した。
ハンモックの上であればまだマシだろうという予想は正しいが、それでも「常に床が揺れている」ことに違いはない。
三半規管はダメージを受ける。世界とは揺れているのが当たり前だ、今まで体感していたものが間違いだったと言われ続ける。
「これ、酔い止めが足りなくならない……!?」
看病を行う役は決めていたが、その係が真っ先にダウンしていた。
お陰でニキが動き回らなければならなくなったが、どうすればいいのかわからない。
わからない中で、メイドだけがテキパキ働いていた。
「ほれ、移動するぞ、船体中央の方がまだ揺れは少ない」
「え……」
「おら飲め、お前はまだ軽症だろ、あったかいジンジャーティーでも飲めばまだマシになる」
「あ、うま」
「とりあえず下見るな、余計にひどくなるぞ。あと音楽できる奴いるか? 気分が紛れそうな派手なのを鳴らしてやれ」
彼らが桶に戻したものを片付け、適切と思われる処置を行い、率先して動いていた。
「お、主任」
「誰が主任よ」
「リーダーって感じでもないんだよな、お前」
「……いろいろ言いたいけど、助かったわ。口は悪いけど手際はいいわね」
「まあな。ああ、そうだ、主任にひとつ許可が欲しいんだけど、いいか?」
「なに」
「一番酷い奴がいる」
メイドの視線の先には、青白い顔をして寝込む令嬢がいた。
たかが船酔いなどと言えないほど、その症状は重い。
「危険ね……」
船旅は、一ヶ月近く続くことになる。
初日からこれでは酷いことになるだろう。
「近海で波が高いからこそ、船酔いも酷い。遠洋にまで出れば波や揺れはまだマシだと思う」
「そう、酔い止め薬は?」
「もう飲ませた。これ以上は体に毒だ」
その効果も薄いらしい。
「だからいっそ毒薬を盛ろうと思う」
「あなたねえ!?」
「もちろん、薄める。それこそ死んだように眠れる薬になる」
毒と薬は表裏一体だ。
よく効く薬と、よく効く毒との差は紙一重だ。
「……それ、大丈夫でしょうね」
「リリさんからは保証されてる」
「誰よ、それ」
「メイド長」
不信100だったものが、不信60くらいには落ちた。
あの正体不明の存在に助けられた学院生の数は多い。
「そういえば、あなたはメイドだったわね」
「見りゃわかるだろ?」
「似合ってない」
どこか着せられているような、あるいは仮装でもしているような雰囲気がある。
「それ、割りとよく言われるんだけど不本意なんだよな」
「なにショックを受けてるの、そんな反抗的な目つきのメイドがいていいと思って――いえ、とにかくその薬ね」
頭の中で弾き出される計算は、責任の所在だ。
勝手にこのメイドがやればただの暴走だが、ニキ・デュカキスの指示の下で行われれば、彼女の責任となる。
成果はもちろん、失敗もニキのものだ。
だが、薬はその出どころがわからない。
メイド長による保証もメイドの自己申告でしかない。
果たして「毒かもしれないもの」を飲ませることを、許可していいのか?
「ん? ああ、そうか、そうだな」
そのメイドはぽんと手をたたき、慣れた様子で手元のカップに溶剤を入れだした。
「ちょ、あなた!?」
「気にすんな」
「そんなわけにはいかないわよ!」
「わたしは船酔いになった」
「はあ!?」
「あんまりにもひどくて辛いから、わたし用の睡眠薬を作っている」
もちろん、酔っている素振りはまったくない。
それどころか、明らかに毒々しい色をしたものに透明な液体を注ぎ入れ、丁寧にかき回していた。
相当に揺れているはずだが、その手元は確かなものだ。
「睡眠薬を欲しいのなら、ここの船医に頼むべきだわ、あなたがやらずとも――」
「ああ、無理無理」
「はあ?」
「さっきちょっと話したけど、あいつヤブだ」
「そんなわけ――」
「というか学院生を怖がってる」
「……学院生よ? 未成年でまだ修了証もまだもらっていない身分なのよ? バカを言わないでよ。先生方をバケモノ扱いしてるわけじゃないわよね?」
「それって普通だろ」
「そうね、一般常識だったわ」
「魔女が同じ船に乗ってるのは悪夢だとか言ってた」
「え……」
魔女、というのは蔑称だ。
魔術が体系化されず、魔術使用者とモンスターとの区別がついていなかった頃の呼び方だ。
少なくとも、魔術に携わるものが使うことはない。
まして医者が口にするなど、「普通なら」ありえない。
「まさか、魔法医じゃない?! 一般医師!? 嘘でしょ!?」
通常、医療に携わるものは魔術に精通している。
魔力器官が発達したものは属性の影響が強くなり、薬の効能も変わってくるからだ。
下手な薬の処方はかえって命取りになる。だが――
「魔法医がそんなにゴロゴロいるわけないだろ。それに、これから行く場所は?」
「フェダール国……」
砂漠に覆われたそこでは、魔術が厳しく制限されている。
一般人は使用せず、軍人や学者、公共事業者などが使うものだとされる。
専用の衣服を着ていないマジックユーザーは、偏見の目で見られることが多い。
「貴重な魔術医を、たかが学院生を運ぶ船に乗せるわけがない」
「なに、え、嘘……」
彼女からすれば、「先生なのに魔法が使えない」とでも言われたかのような気分だった。あって当然の、最低限の保証すらここにはない。
「そういうわけで、割りと大変だ」
「この船内、半ば敵地ということ?」
「がんばれ」
「ねえ! あなたに言っても仕方ないんでしょうけど――」
指を突きつけ糾弾する先では、すでにメイドがカップを傾けていた。
先程まで作成していた毒薬――睡眠薬の入ったそれを、まるでレモネードでも飲むかのような気軽さで飲んだ。
「ちょ――」
「うん、不味いな」
そのまま重病人のもとに近づき。
「ほれ、お前も飲め」
「う……」
「あなたそれは――!」
「失敗したら。どっかのバカな下働きが勝手にやったことにすればいい。そして、責任を取ってそいつ自身もくたばったんだ」
こくこくと、ハンモックで横たわりながら令嬢は嚥下していた。
メイドに頭を抱えられ、目を閉じたまま飲んでいる。
それを行うものは毒薬を与える悪魔にも、禁断の実験に手を染める魔術学者にも見えた。
焦点の合っていない目で、薄く笑いながら、無抵抗の相手に与えている姿は「人を助ける」ものだとは思えない。
だが実態は、「二人とも助かるか、二人とも死ぬか」という賭けを行っている最中だ。
「主任、あとは、頼んだわ……」
言ってメイドは、笑ったままがくりと床へと倒れ伏した。
「誰が、主任よ」
ニキはそう云うのが精一杯だった。何もできないまますべての事態は終わった。そのことに忸怩たる思いをしながらも、別のことにも気づく。
倒れ伏したメイドの顔色は、やけに青白い。
睡眠薬を、船酔いに潰れた学院生用に調整したからだ。
明らかに合っていないものを、このメイドは嚥下した。
「まったく……」
その体を抱え起こしながらも大変さを認識した。
この船には魔術に理解がない船員たちと、その魔術を使う者からしてもまったく理解ができないメイドがいる。




