プロローグ ニキ・デュカキスは憤慨した
ニキ・デュカキスは憤慨していた。
それは、この短期留学を主導する立場としての、当然の怒りだ。
アイトゥーレ学院における短期留学とは、雇用前の顔見せという意味を持つ。
実際に働くよりも先に、その土地の習慣や風習を実地で味わっておく。そのような目的で行われるものだ。
留学と名前がついてはいるものの、実態としては「学ぶ」というよりも「テスト」だ。
領地貴族から学院生へのテストはもちろん、学院生からその領地が良いものかどうかを試す意味合いを持つ。
つまり――
「なんで、なんで遅刻者なんて出てるのよッ!」
テスト以前の失敗など、言語道断である。
+ + +
アトゥール島は多くの港を持つが、遠く離れた土地へ行けるほどの大型船となると入れる場所は限られる。
ニキの背後には帆をつけた船が出発を今や遅しと待機している。
ホルカス船と呼ばれるものであり、船員たちはチラチラと彼女のことを注目していた。
その視線ですらも苛立たしい。
なぜ、どうして、「時間通りに集合する」ことすら出来ないものが、短期留学者などに選ばれたのか。
「あなた」
「なんだ?」
荷物を運んでいるメイドに呼びかけたが、その返答はひどく乱暴だ。
こんな所に駆り出される程度のものだからだろうと己を納得させ、手元の登録用紙を確認する。
「今から駆けつけてくるバカな学院生がいたら、教えてくれる?」
「わかった。えらく迷惑な奴もいるもんだな」
「ええ、まったく、最初から失態だわ」
「大丈夫じゃね?」
「なにがよ」
そのメイドは、あまり美人ではなかった。背は低いし、そばかすだらけだ。何よりその目がいただけない。
反骨精神を体現したような目つきをしている。
こんな奴を側に置いたら、安心してお茶も飲めない。
「このまま来なくても平気だ、ってことだよ」
その上、こんなことを言う奴だ。
「どこがよ」
「そいつが誰かは知らないが、航海中の事故なんてよくある話だ。そうだろ?」
「……あなたねぇ」
少し考えてから、ニキは言葉が持つ裏の意味を理解した。
遅刻者がいるのであれば、そいつを「そもそもいなかった」ことにしてしまえばいい、向こうへは「事故で一人減った」とだけ伝えれば済む。大切なのは、数の帳尻を合わせることだ――そう言いたいのだ。
「悪くないわね……」
「だろ?」
「とはいえ、それは最終手段よ、最後まで待つだけは待つわ」
「了解、荷物運びのついでに見張っておくよ」
「ええ、お願いね」
言いながら、ニキはいち早く乗船することにした。
船長への挨拶や、学院生の部屋割り、食料状況の確認など、やるべきことはいくらでもある。
遅刻者になど、いつまでも関わってはいられない。短期留学の学生長としての責務は重い。
「けど、本当に許せないわ」
登録名簿を確認し、怨みを込めて睨みつける。
「このクレオ・ストラウスとかいう人、少し調子に乗りすぎじゃないかしら」
だというのに、事前評価は、もっとも高くつけられていた。
「……優秀だと認められたものが、簡単な失敗で信用を失い、あっという間に転落する。それもまた、よくある話ではあるわね」
彼女はそう自身を納得させることにした。
荷運びをしているメイドが、なぜか必要以上に生真面目な顔をしていた。
不美人で言葉遣いが乱暴でトンカチを構える姿が似合いそうな下級職員、いったい誰なんだ……
十分後に次話を更新予定です




