ep.60 カチコミをかけることにした。
わたしが知るデスピナ・コンスタントプロスと言えば、優等生だ。
謎のベールに包まれた学院生であり、その優秀さばかりが有名で、その実態は誰も知らない。
完全に秘匿されている。
「むひゃぅぃ……」
というか、調理用の果実酒を飲んでひっくり返り、その白いおなかを不用心に見せつけてムニャムニャ言うようなネズミが正体だと、予想できる方がおかしい。
「いや、別にいいけどな」
その優秀さは、わたしの支配下に入っても変わらない。
頼んだことはきっちりとやってくれている。
わたしのことを雇いたがる連中についても、ちゃんと調べてくれた。
デスピナは実態がネズミということもあり、学院内の情報はもちろんのこと、船に密かに乗っているネズミからも情報を得ていた。
普通のネズミであれば会話もままならないけれど、デスピナ子飼いの斥候であれば詳しい情報を得る事ができた。
「割りととんでもないよな」
その影響力と、配下にしているネズミの数は凄まじい。
まったく、よく勝てたもんだと思う。
下手に放置してたらこのネズミ、人間を裏から操る支配者とかになってたんじゃないか?
今のこの関係になったのは、ある意味では奇跡だと思う。
そのお腹をぽんぽんと指で叩いて感謝を示すと、ネズミは前足で顔を覆い身悶えした。尻尾がピンと立ち、後ろ足をバッタンバッタンと動かしてる。
いや、そこまで褒めてないぞ?
「というか、わたしも知らないわたしの秘密とか、一体なんだよ」
それについては教えてくれなかった。
意地悪ではなく、「外れているかもしれない推理を言いたくないから」だそうだ。
じゃあ、そもそも示唆するようなことも言うなよとは思うけど――
「あー」
なんとなく、本当になんとなくだけど、思い当たる節もある。
断片的に憶えている記憶と、今までのことを考えれば、わざと考えないようにしていた部分が顔をのぞかせる。
それは、「もう本当にどうしようもない」という結論だけをわたしに寄越した。
デスピナが言わない理由でもあると思う。
「――」
調査結果を横目にしながらため息を付いていると、デスピナではないネズミがとことこと近づき、手にしたちいさな毛布をかぶせていた。
同じくちいさなコップを傾け、真水を飲ませるようにする。
顔を横にしたネズミは、赤ら顔のままでチロチロと舐め取っていた。
いくらか減ったのを確認し、口元の水滴を布で拭き取ってから、ぺこりとわたしに一礼し、出ようとするのを。
「お前、喋れたりするか?」
引き止めた。
「別にお前がわたしの言う事聞く理由はないが、喋れるなら聞きたいことがあるんだが」
「はい」
目元に黒い模様がついたそのネズミは、以前にデスピナが副官と呼んだ相手だ。
「僕にわかることであれば」
……なぜだろうな、「僕」って一人称のせいか、誰かを連想させた。
+ + +
聞きたかったことは、わたしを雇いたがる連中についてだ。
軽い概要についてはわかったけど、詳しい部分はデスピナが面倒くさがって言わずにいた。
けど、領地持ちの貴族の動向については考えを知っておきたい。なんてわたしなんて欲しがるんだ?
「馬鹿が」
「お前、ひどくね?」
副官の態度は、デスピナには決して向けない類の冷たさだ。
「魔力総量は、その領地の戦力と同一視されるものだ。金で戦力を買えるのであれば、喉から手が出るほどに欲しがる輩は後を絶たない」
「ああ、やっぱりデスピナも、その手の誘いを受けてたんだな」
「それもだ……」
「ん?」
ほとんど射殺すかのように睨んでいた。
「お前如きがデスピナ様を支配下に置いた、それは事情通であれえば知り得る情報だ。お前の価値は、お前単独ではなくデスピナ様のものも含んでいる」
なるほど、わたしだけの価値じゃなくて、デスピナのも乗っていてお得だから、ってこともあるのか。
さすがに値段が高すぎだったから、それは納得だ。けど――
「バカだな、それ」
「なにを――」
「皮算用もいいところだ」
「……」
口を開き、閉じる様子が見えた。
きっと「やはりデスピナ様がお前の支配を打ち破るからか」と言おうとした。
そして、それがデスピナを不利にする言葉だと気付き、口を閉ざした。
わたしはハリネズミ状態のネズミに手を振る。まあ、そうなる可能性もあるだろうが――
「違うって。ここを卒業したら、わたしはこの支配関係は解消する、そのつもりだから皮算用にしかならない」
「……は?」
「さすがに卒業後も下水清掃を続けるわけにはいかないだろ」
わたしがデスピナを支配下に置いたのは、「リリさんに頼まれた」からだ。
ぶっちゃけ、それ以外の理由はあんまりない。
そしてわたしは、卒業後は旅に出るか、それともなければ別のことをしようとしている。
どちらにせよ、学院内にとどまるつもりはない。
「まあ、だから――」
わたしは屈み、副官のネズミに視線の高さをあわせる。
「おまえにとっては不満なんだろうが、しばらくの間は付き合ってくれ」
この副官の、納得がいかない様子は見て取れた。
自分たちのリーダーが、人間にかしずいているのが嫌なんだろう。
わたしの立場で仮定すれば、リリさんがネズミに頭を下げて従っているようなものだ。
気に食わないどころの騒ぎじゃない。
「ダメだ」
「なにがだ?」
けれど副官は、むしろ前よりも険しい顔をした。
「僕がどうして現状に甘んじていると思っている。なぜすべてのネズミを決死の覚悟で突入させていないと思っているんだ」
「なんでだ?」
「デスピナ様が、不幸ではないからだ」
デスピナの白い毛並みとは対になるような、黒い毛並みに魔力を充填させる。
「僕では足りなかった。まるで不足だった。だが、だが、お前の下であれば、デスピナ様は……」
全身で、悔しさを表現していた。
こうして会話をして、夜会を開けるほどのネズミはこの副官とデスピナしかいなかった。種族としてはネズミだけれど、本当に同族だと認められるのはこの二匹同士しかいないのかもしれない。
そして、副官はきっと、こういうすぴーすぴーと酔っ払って眠りこけてるデスピナの様子を見たことがなかった。わたしの支配下にあるからこそ――いざとなればわたしが守ると確信しているからこその安楽だ。
「お前、わりとアホだな?」
「はああ!? なにをお前はッ」
こいつ自身が、デスピナが安心できるくらい強くなればいいというのもある。けど、それ以上に――
「卒業して契約が切れたら、普通にダチになればいいだけだ。なんにも変わらない」
友達となっても、こういう眠りを守ることくらいはしてやれる。
デスピナにとってどうかは知らないが、わたしからの扱いや対応が変わることはない。
いや……なんだよその、すげー意外なことを言われたみたいなビックリ顔。
「お前は……」
「むぃ?」
争う声が聞こえたせいか、デスピナがまぶたを開けないまま顔を上げた。
鼻を動かし、近くの副官を認めてゆるゆると手招きをする。
わたしへの不満顔を貼り付けた副官は、それでも指示に従い接近し――
「えあ!?」
抱き枕っぽく抱きしめられた。
その短い手足だけではなく、魔力的な構造物も作成して使っていた。
「で、デスピナ様!?」
「むぃ――」
さっきよりも更にすやすやとしている。
「ああ、なるほど」
その様子を見て、鈍いわたしもさすがに納得した。
「ち、違っ!?」
「わかった。多少はわたしも気を使うようにするな?」
「ご、誤解が、誤解が生じている!」
暴れる副官は、デスピナの作り出した簡易的な手ですっぽりと包まれていた。
わたしがやったみたいに撫でている。
副官はぎゅっと目をつむり、必死に何かに耐えていた。
「ごゆっくりー」
その様子を横目にわたしは離れることにした。
副官が何かを喚いていたけど、きっとツンデレってやつだと思う。
+ + +
そうして、色々なことに納得したわたしは。
「うん」
わたしを雇おうとしている砂漠の国、フェダールにカチコミをかけることにした。




