ep.59 クレオ・ストラウスには秘密がある
「失敗したわね」
「なにがだ」
「もっと早くに決定して動くべきだったのよ、機会を逸したわ」
「だから、なんの話だよ」
放課後で、教室だ。
得意科目以外では案外ポンコツなカリスの面倒を見るために、勉強している最中にポツリと言われた。
「いい? ものの値段は常に変動するものよ」
「まあ、そうだな」
「その値段の違いを把握し、予測し、常に先手を打って動けば儲けることができるわ」
「それができれば苦労はしない、って話ではあるけどな」
「ええ、誰もが一度はそれで痛い目をみているものよ」
「で、今回はなんの話だよ」
「貴女よ」
「え?」
魔術的な属性による地域差。特に希少属性を基礎とした土地柄における有効な特性および流動性について教えているところだった。割と面倒なんだよな、この辺の差。直感的な理解とずいぶんズレている。
「ここまでの知識量があり、その上、あれだけの戦闘力があるとわかっていたら、わたしは全財産をはたいていたわ」
「ひょっとして、わたしの買い取りについて言ってるのか?」
下級職員だった時分にそんなことを言われた。
本人の許可なしに買い取りが可能だと。
「ええ、他にないでしょ?」
「仮にもダチを買おうとするなよ!?」
「逆よ、変な連中に買い叩かれるよりも先に手を打つべきなのよ。友達と思えばこそ、不利益と不幸は見過ごせないわ」
「そういうものなのか……?」
カバンの中で眠っていたネズミは、わたしを見上げ、器用に肩をすくめていた。
物置みたいに佇むアマニアは、「一部は合っています」と言い、続けて。
「けれどそれは、クレオが下級職員だったからこそです。今は学院生である以上、買い取りなどはできないはずですが」
「ええ、そうよ、だからこそだわ」
「どういうことだよ」
「貴女が学院生になるよりも前に、どうして買い取っておかなかったのか、契約で縛ってしまわなかったのか、それを後悔しなかった日はないわ……!」
「やっぱりただの人身売買じゃねえか!」
「――っ」
「そこのアマニアも唇とか噛み締めてんじゃねえ!」
「ほう……」
「デスピナ、チャック閉めてやろうか!」
騒ぐわたしをたしなめるように、カリスはペンを振りながら言う。
「けれど、これは一時的なものよ」
「……どういうことだ」
「わかっているでしょうに。貴女が下級職員ではなく学院生となったからこそ一方的な買い叩きはできなくなったわ。けれどそれは、貴女を雇えなくなったということではないのよ?」
今はまだ守られている立場にある。
けれど、カリキュラムを終えればわたしは晴れて自由の身となり、どこへでも好きに行ける。
誰でも、自由に雇える。
そして「魔力量が多く自由に夜会を開けるような令嬢」は引く手が数多だ。
「残念だけれど、海運を主とするペルサキス家では、貴女を買い取れるほどの資金と理由がないわ。過大過ぎる戦力や魔力量を必要としていないのよ。返す返すも無念だわ……」
「わたしはそうならなくて心底安堵してるよ」
「どうしてよ、お金が手に入るのよ?」
「お前、たまに視点がバグるよな」
金で手に入れてハッピーなのはカリスであって、わたしじゃない。
「カリス・ペルサキス」
「なに?」
アマニアは、とても真剣な表情をしていた。
「クレオ・ストラウス雇用の予想金額は、いくらです?」
「おい、ひょっとして雇おうとしてるのか?」
「予想でしかないけれど――」
わたしの声を無視してカリスが言った金額は、ちょっと現実味がなさすぎた。
なんだそれ。
何かの新兵器を買おうとしてる?
「ぼくの秘蔵の蔵書をすべて売れば、あるいは……」
「この先に、クレオが何もやらなければの話よ。この手の価格は変動するわ」
「……」
「アマニア、なんでわたしの手を握って何かを頼むみたいな顔してるんだ?」
「君がいないと生きていけない」
「大げさじゃね?」
「無為」
カバンの中のネズミが呟く。
「このあるじが、この先なにもやらかさないでいると、本気で考えているのか?」
「なに言ってんだ」
さすがにそれは事実無根だ。
「わたしほど平穏無事を愛してるやつはいないぞ」
「誰かさんから殴り殺されそうになった憶えがあるのだけれど?」
「わたしが愛する平穏無事を壊そうとしたからだな」
「ねえ、アマニア、この社会不適合者をどこかに監禁できないかしら? これ以上余計なことをできないようにしておくべきだわ」
「!」
なんで立ち上がった。
「おい、わたしに敵認定されたいのか?」
「……」
静々と座り直した。
「クレオの活躍を望まぬのであれば、留意すべきは二点」
カバンの中のネズミこと、デスピナが予言するように言う。
「クレオ・ストラウスの平穏を壊さぬこと。これには、吾らの無事も含まれる」
まあ、そうだな、と心の中で頷く。
「それってどういうことよ」
「お前らになんかあったら、その障害を全力でぶっ壊しに行く、それだけの話だ」
「――」
アマニアが、なぜかとても驚いた顔をしていいた。
「……どうして貴女にとって得にならないことをするの?」
「性分だ」
「……言っておくけれど、貴女が危機に陥っても、損が上回ると判断すれば助けないわよ、それでもいいのかしら?」
「別にいいよ、わたしがやりたいだけだ」
なぜか珍獣でも見るような目をされた。
「くふふ」
「なに笑ってんだよ」
「通常、支配者とは傲岸不遜であり横暴だ。しかしながらこのあるじは、自らが不利益を被るために支配者を名乗っている」
不思議なことを言われた。
「そういうもんだろ」
トップに立つとは、その下の人間の靴磨きをするようなものだ。
気分良く歩いて、好きな場所へと行けるようにするために苦労を買って出る。
「理解できないわ。不経済すぎるわよ」
「うっせ」
「それで――」
「ん?」
「もう一つの、留意すべき点はなんですか?」
アマニアが、未だにカバンから出ずにいるネズミに問いかけていた。
「ああ、クレオ・ストラウスの秘密に触れぬようにすることだ」
「はあ?」
「……それは、どういうことです?」
「え、なにそれなにそれ」
答えず、ネズミはくふふと笑う。
「あるじ本人が気づかぬことを、吾が述べることはできぬ。そもそも触れぬようにすべきだという提案だ」
「デスピナ・コンスタントプロスは、なぜ知っているのですか?」
「推理だ」
曖昧なことを自信満々に断言された。
「現状と吾の知る情報を組み合わせると、一つの推理が行える。クレオ・ストラウスには秘密がある。それは、本人自身ですらも上手く把握していない秘密だ」
アマニアから爛々と光る強烈な視線で射抜かれた。
カリスからは興味と金になりそうだなという目で見られた。
「いや、マジで知らないんだが」
わたしの自己申告は、なぜかまったく信用されなかった。




