ep.58 「わたしは割りと好きな味だな」
アイトゥーレ学院に不思議はいくつもあるけど、その中でも個人的に不思議に思っているのは食料の充実度合いだ。
島は普通、そこまで農作物が取れない。
土地面積がないのもそうだけど、場所によっては常に潮風が吹き付けるから向いていない。
頻繁に交易をしているわけでもない。なのに、食料庫は常にたくさんだ。
ときどき調理の手伝いをしていたから知っている。いつも食材が補充された状態でいる。
夜会でしているみたいな魔力的な模造品かとも疑ったけど、そういうわけでもなさそうだ。
仮にそうなら、わたしの魔力はもっと回復している。
味も本物とは少し違うしね。
なにが言いたいかというと、うん、その……
「うわぁ……」
学院生として、学食で昼食を食べることに、わたしはちょっと、いや、かなりの感動と動揺をしていた。
+ + +
昼食の時間はちょっと遅めの14時くらいだ。それよりも前に上級教員とかが食べている。わたしたちに提供されるのはその残りなわけだけど、ちょっとどうかしていると思うくらい量も質も充実していた。
わたしは入口で立ち止まり。そこから先に入れずにいた。
肉の塊みたいなものは流石に無いけど、新鮮な魚介やらサラダ、ヨーグルトやチーズ、各種のふっくらとしたパンや平べったいピタパンなどが勢揃いだ。特に――
「ムサカが、熱い……!?」
焼いたナスやひき肉、じゃがいもを入れてチーズをたっぷり。その名前の由来は「冷めても美味しい」だ。
冷めているのが当たり前だ。
こんな湯気が立ってる状態は初めて見る……!
「貴女、怯えた狼みたいな顔をしてるわよ」
「わたしは今、どんな強敵よりもこの学食がこわい……っ」
「馬鹿なことを行ってないで、いいから入りなさい」
蹴られるようにして入ったそこでは、太陽がさんさんと降り注ぎ、誰もが忙しなく動いている。
大半が知り合いだったけれど、礼儀正しい無視をされた。
まあ、何人かの下働きからは「てめー、なに先に食ってんだよ、ずりーぞ」って顔をされたけど。
つまみ食いの常習犯ほど、そういうグヌヌって表情だ。
そういうのにかまっている暇もない。
わたしは眼前に広がる光景に、ただ恐れおののく。
「選択肢が、広すぎる……」
「好きなものを取ればいいじゃない」
そんなことを言われても。
中にはあまり見た憶えがないようなものすらある。
なにあのトマトを容器に使ったようなもの?
あれも食べていいのか?
「んー」
カリスは何か悩みながらも、かなりテンポよく選んでいた。
どこか楽しそうだ。
「……」
一方のアマニアは、何も悩まず選んでいた。
たぶんきっちりルーティンを定めている。
「う……う……?」
わたしは悩みに悩んで、結局は見慣れたものを中心に選ぶことにした。
熱々のムサカはさすがに外せないけど、それ以外は大体いつものやつだ。
近くから摘んできた野草のサラダは、苦みもあってあまり人気がない。栄養価的にもいいし、別に不味くはないと思うんだけど。
オリーブオイルと酢にヘタっていない野草、変色する前はこんな感じなんだ……
新鮮なそれをおそるおそる取る。
あとはついでに茹ですぎなパスタも。
わたしは、いざ自由を与えられても、違うものを選べない人間らしい。
それでも、普段よりグレードアップした料理の数々はかなり嬉しい。
「なにそのチョイス?」
「人の喜びに水を差すなよ」
「まあ、そうね。ただ、あまり良い選択ではないわよ?」
「そういうカリスは……」
言いかけて、絶句した。
サラダやパンはあるものの、大半はイカだ。
茹でたり揚げたりの種類はあるけど、ただただイカを選んでいた。
「そこまで好きなのか?」
「いいえ」
「は?」
「ここ最近、イカの漁獲量が減っているのよ」
「だから?」
「現在、この学食の中で、もっとも原価率が高いのが、これよ」
なぜか毅然とした立ち姿で、カリスは続ける。
「食べられる量が有限である以上、すこしでも高価なものを口にすべきだわ」
「飽きないか?」
「味より金よ」
間違っているんじゃないかと思うが、どこをどう間違っているのかは指摘できない。
いや、まあ、好きにすればいいか?
わたしが口を突っ込むようなことじゃない。
「アマニアの方は、そんだけでいいのかよ」
「はい」
カリスのそれが「できる限り山盛り」だとしたら、アマニアの皿はキレイな秩序がある。ただし、その秩序は、量の少なさがあってこそだ。
「必要量は、賄えてますから、平気ですよ」
「そんなもんか」
案外、選び方でも個性が出るらしい。
わたしたちはトレイに乗せた皿を手にしたまま、中庭へと向かう。
ここで食事をするわけにはいかない。
「待ちかねた」
そう、食事する場所にネズミが立ち入るわけにはいかないからだ。
「一応、好きそうなのを選んだけど、好みかどうかはわからないからな」
「諾」
真面目に頷く顔には、飢えた様子が伺えた。
考えてみればこのデスピナも、あまり出来立ての料理を口にはしていない。
人形を使って人間のフリをしていた関係上、そう簡単に本体は顔を出せない。
人形はいろんなものを口にできるのに、本体は下水でいつも通り。そんな矛盾した生活をしていた。
「その選択は、悪くない」
「そっか」
だからわたしは二皿を用意して運んでいた。
量に差はつけていない。残したら食ってやろうという心づもりだ。
「そなたを褒めよう、吾が、そう、この吾が!」
「へいへい」
「……クレオは、もう少し吾の褒め言葉に感激してくれてもいいと考える……」
「お断りだ」
デスピナは、わたしが鼻をすぴすぴしながら喜ぶ様子を見たかったらしい。
「むぅ」
「いいから、食べよう、わたしはもう腹減った」
「そうね」
「うん」
中庭に設置されたテーブルで、わたしたちは思い思いに料理を食べる。
その様子は、わりと様々だ。
カリスは手早く口にしながらも、イカの鮮度や様子を確かめていた。
味わう、というよりも情報を得ようとしている。
味覚がちゃんとしているのは「新鮮じゃない……」と悲しげに呟く様子からもわかる。
アマニアは、機械的に食事をしている。
ものを食べている、というよりは、栄養を接種している雰囲気だ。
ただ、食事のマナーはたぶん一番正しい。
わたしは恐る恐るムサカを口にする。
「お」
熱々だった。いや、実際はそこまで熱かったわけじゃないけど、いつもと比べれば格段に。
とろりとした濃厚なベシャメルソースに、ひき肉の強さとじゃがいものどっしり感、ナスはしっとりと風味豊かで……
「むおお」
「おお……」
わたしとデスピナは、似たような表情で天を見上げる。
美味。
それしか言えねえ……
「うちの学食、こんなに良かったんだ……」
「そう?」
不思議そうな様子は、いつもと変わっていないじゃない、とでも言いたげだ。
思わずきっと睨みつける。
「これだから令嬢は……!」
「ふふん、いいでしょ?」
「くそ羨ましい」
「それだけじゃないわ、領地へと帰れば、さらに新鮮な魚介類を口にできるのよ」
「じゃあ、目利きというか新鮮さとかも見ればある程度はわかるだろうが、なんでダメそうなイカを選んだんだ?」
「高いからよ」
ダメだ。
言葉が通じない。
「うま、し……」
肩に乗るネズミは、じゃがいもを手にしたまましばらく身動きを取らなかったけど、やがてはハッと気付いた様子で猛然と食らう。
「別に取らないって」
「否、美味」
すごく真剣に返された。
「――」
「アマニアは、どうした」
「それは、そんなにも美味しいものですか?」
たっぷりと取ってあるムサカを指していた。
「うん、わたしは好きだ」
「はしたないですが、一口、いいでしょうか?」
「いいぜー」
気軽にスプーンを運んだ。
あ、新しいのにすればよかったかなと思うけど、アマニアは気にした様子もなくハムっと口にする。
「そっちは食い慣れてるかもしれないけど、わたしは割りと好きな味だな」
冷めているときもそれはそれで美味いけど、熱々だと別物だ。
「ねえ、少し交換しないかしら?」
「お前、同じ味で飽きただけだろ」
「違うわよ、交易よ。先ほども言った通り、最近はイカが不漁よ。この機会を逃せば、次はいつ食べられるかわからないわよ?」
「今なら食堂に戻ったら手に入る」
「ダメよ、おかわりは優雅さはもちろん、計画性にも欠けると見なされるわよ」
「知るかよ、好きに食わせろ」
「今なら半分、そう、その残りの半分とイカの揚げ物一個を交換するわ」
「高すぎだ!」
「よく考えてみて? たしかにそれは美味しいけれど、明日以降も安定して手に入るものよ。一方これは、明日の学食にあるかわからない。今も大半を掻っ攫った後だから、きっともう残ってないわ。海に囲まれた島にいるのに魚介を食べられないなんて損だとは思わない?」
「お前な……」
それにしたって暴利だろうとか言おうとして、手と口が止まる。
わたしとカリスは隣り合う席で、アマニアは向かい席にいる。
その顔が、泣いていた。
「へ?」
長身で黒髪の短髪、キレイに背筋を伸ばして無表情。
だけれどもむもむと口を動かしながら、その硬い両目から涙を流した。
「え、え!?」
こっちとしてはオロオロするしかない。
「か、辛かったか? 胡椒のカタマリとかなんか変なもの入ってたか?!」
吐き出させようととハンカチを取り出すけど、ゆっくりと首を振られた。
「美味しいです……」
「そ、そうか、良かった」
なんでこんなに感動してるんだ?
その疑問は、つづくアマニアの行動で吹き飛んだ。
彼女はとても真剣な顔をしていたかと思うと、わたしを見ながらおもむろに――
「あ」
「おい、その口開いた待ち受け体勢は、まさかもう一口ってことか?」
こっくりと頷かれた。
「いや、別にいいけどよ」
ここに送られてくる使用人の中には、ガリガリに痩せた子供もいる。
そういう奴らの指導も、わたしの職分には入っていた。今は半人前程度になったから手を離れたけど――いや、なぜだかアマニアの姿が、そういう「飢えてどうしようもない子供」を連想させた。
わたしが栄養を与えてやらなきゃ死んでしまうと錯覚するレベルだ。
「ほらよ」
黙ってわたしのスプーンを受け取る。
その涙は止まることがない。
止まらないまま、咀嚼を続ける。
「他のも食うか?」
「――」
頷いていた。
「吾も」
「いや、なんでだよ」
「……ねえ、ひょっとしてそういうサービスが、好評だったりするの?」
「カリスはなんでも商売に結びつけるのな」
「そうね……」
カリスはゆっくりと、わたしとアマニアとを見比べ、ひとつ頷いた。
「デスピナ、貴女、儲ける気はない?」
「む」
「やめろ」
たしかに「学院最強の生徒が食事係をしてくれる」ってサービスは売れるだろうけど、なんか色々やめろ。
「なによ、別にいいじゃない」
「今デスピナはわたしのだ、せめてわたしの許可を取れ」
「……理由はわからないけれど、貴女は断りそうなのよね」
「その直感だけは合ってるな」
「吾は、別に構わないのだが」
「でしょ!」
「わたし、それを褒めないぞ」
「ならば拒否する」
「なんでよぉ!?」
言い争う合間にも、アマニアは目を閉じ、わたしの給餌を味わい続けた。
ちいさく言った「とても美味しかったです」という言葉は、本心からのものに聞こえた。
以降、時々わたしは彼女にメシを食わせてやることにした。
その理由と根拠まではわからないけど、食事って美味しく食うべきものだと思う。
……アマニアの、わたしに対する執着度が上がったような雰囲気があるけど、たぶん気のせいだ。




