ep.54 「わたしの、勝ちだ」
夜会というやつは、やっぱり魔術的な空間で、それなりに外部をシャットアウトするものらしい。
曲がりなりにも結界の一種だ。
わたしの夜会と、デスピナの夜会、それらが同時に壊されたとたん、そこかしこから騒がしい音が復活した。
夜そのものと思えた静けさが、日中の騒がしさに巻き戻る。
今なら授業中の時間帯だと納得できる。
天井部分が壊れた下水路、そこでわたしはネズミを片手で確保している。
噛みつくようなことがあれば、そのまま握りつぶしてやると決意しながら。
わたしたちは、睨み合った状態でいた。
勝って詰ませた状態ではあるけど、油断はできない、できるわけがない。
場合によっては、ここから更に逆転される。
わたしの手の内にいるのは、そういう相手だ。
魔力発散の余波で、わたしから流れる汗はすべて湯気となって蒸発する。
握っているデスピナの身体も、同じくらい熱い。
「なあ」
それでも、わたしが真っ先に呼びかけたのは、カリスだ。
彼女は息も絶え絶えの座り込んだ状態でいた。
「なによ」
「どうして邪魔をした?」
最後の一撃のとき、コインによる妨害がされた。
さほど影響のあるものじゃなかったけど、普通ならあれで止まるくらいの威力は乗っていた。紛れもなく、わたしの攻撃をキャンセルさせる行動だ。
わたしの問いかけに、カリスは嫌そうな顔をした。
「クレオ、貴女は友達よ」
「そうかよ」
「でもね、その友達が取引先を殺そうとしたら、さすがに止めるわ」
「これは、問題ないのか?」
ネズミのデスピナを示す。
今の言葉は、デスピナの正体について知らない段階の話のはずだ。
「なにか関係あるかしら? お金を支払ってくれるなら、クマだろうが魚だろうが取引相手よ」
お人好しの守銭奴らしい判断だった。そこに迷いは一切ない。
「残念です……」
一方のアマニアは、心底無念そうに言う。
「この決着が?」
いろいろと騒がしくした後だが、結局のところはネズミ一匹が暴れただけだ。
話としてはずいぶんしょぼい。
「この戦いの一部が記録できませんでした」
「そっちかよ!?」
「他になにかありましたか?」
迷いなく言われたら、こちらとしても返す言葉がない。
「……わたし視点からの情報は、たぶん渡せる」
「是非」
アマニアの夜会は、こういうときに便利だ。
ダメージついでに情報の伝達ができる。
そして、そのダメージをさんざんくれたやつが、赤い目でこちらを睨んでいた。
まあ、けど――
「わたしの、勝ちだ」
改めて、宣言する。
「お前を殺せば、リリさんに頼まれた清掃作業は終わる。さんざん時間をかけさせてくれたな」
「やるといい」
その赤い瞳に、恐れは微塵もない。
「いまさら命乞いをしようとは思わぬ。吾はそなたに挑戦し、敗れた。それがすべてだ」
「そうか」
「もっとも、吾の生涯をかけた戦いが一矢報いるのみで終えたことは、心底無念だ」
握っていたトンカチの構成を消せば、わたしの左手の、血塗れで火傷だらけの様子がわかる。
素手でレイピアを砕き、このネズミの特攻みたいな突進を止めた結果だ。
あと、脇腹もちょっとばかりえぐれている。
けど、それ以外に怪我らしい怪我はない。
「……あんたは強い」
思わず言葉が口をついて出る。
「その強さは魔力だけじゃなく、群れとして率いるものとしての強さでもある」
遠くに別のネズミの姿が見える。
デスピナの副官だ。
息も絶え絶えの様子で、それでも這って来ようとしていた。
「喝采を力とすることは、喝采されるに足る生き方を選ぶことでもある」
とてもじゃないがマネできない。
そんな息苦しさは御免被る。
「デスピナ・コンスタントプロスはその期待に、応えた。だからこそ、最強となれる力を得た」
横ではアマニアが、何一つ逃さないと観察を続ける。
カリスは難しい顔で腕組みをしている。
「でも、敵だ。それも、決して生かしておけないほどの」
ここで放置すれば、さらに力をつけてリベンジにくる。
次も勝てると思うほど、わたしは自惚れていない。
「だから――」
手に力を入れようとして、異変に気づく。
細い絹糸のようなものに肌をくすぐられていた。
すぴすぴと音も聞こえる。
「ふぉほ……」
なんか恍惚としていた。
ネズミが目を閉じ、頬を染めて、耽溺してた。
肌をくすぐるヒゲが止まり、片目だけが開いた。
「……続けるといい……」
「いや事態わかってるかッ!?」
「褒められたら嬉しい!」
「死ぬ直前かもしれないとか思わないのかよ!」
「撫でられて褒められて良い子だと言われるために吾の生涯はある!」
「どんな価値観だ!?」
ものすごく真剣な顔で「さあ、はよ続きを!」と無言の要求をされた。
デスピナにとって喝采は、生き死によりも重要らしい。
「いや、もう、なんか……」
別に命乞いをされたわけじゃない。
デスピナにとって、これは説得ですらないはずだ。
状況はなにも変化していない。
放置するのは危険すぎる敵だ。
けどわたしは、この状態の相手を殺す気にはなれずにいた。
「ちょっと、話し合うか……」
「?」
緩めた拘束から両手を出したネズミが、真面目な目で「かもんかもん!」という感じで手招きしてたけど、そっちに応える気は一切ない。




