ep.53 夜会が砕けた。
わたしとデスピナは対峙する。
幾度も繰り返したそれは、きっとこれが最後だ。
横合いには、肩で息をしながらも撮影をするアマニアの姿がある。
その後ろ辺りには、倒れ伏して身動きすら取れずにいるカリスの様子もある。
小川の流れる音がする。
それしか聞こえない。
今の夜会における最大の音がそれであり、他はすべてそれに紛れた。
デスピナの人形がわずかに動いた。
切っ先を地面すれすれにまで下げている。
その先の水が、ゆらめく。
魔力が充填し、力を込める様子がある。
揺らめく水面がゆるゆると糸状に吸い込まれ、螺旋を描いて剣を彩る。
「……酷い皮肉ではある」
「なにだが?」
「ここには、吾を認めるものが皆無だ、だが、それでもなお現在、吾には力が注がれている」
「――」
「クレオ・ストラウス、そなたは吾を気に入らぬと言いながら、心の底では喝采している」
わたしは肩をすくめた。
そりゃそうだ。
ネズミでありながら、ここまでの地位へと登りつめた。
それに対しては尊敬の念を抱かざるを得ない。
「手加減はしないぜ」
「当然だ。だが、憎むべき敵であっても、否、だからこそ、喝采は真実だ。吾はそれを認める」
人形とネズミ、双方の強い視線を認めてから、わたしは目を閉じ、全身に魔力を回す。
肉体としての身体に、魔力がコーティングされている状況を認識する。
人形ではない「わたし」を意識する。
重く、硬く、強く、ここに在ることを想う。
毎朝のように鏡越しに見た自分自身、それを美化せず卑下もせず、そのまま認める。
ここにいるのは、わたしだ。
己を支配するって、そういうことだ。
わたしはわたしを肯定する。
見開いた視界の先にはネズミがいる。
互いに認め合う時間は消えた、殺意をこれ以上無く滾らせ、今にも弾けそうにしている。
ネズミの前歯、その噛み合わせが離れるのが見て取れた。
叫ぼうとしている。
遥か上から雨粒が一滴だけ落ちる。
ただの線にしか見えない速度で、眼前を通り過ぎる。
限界まで集中した意識の中では、すべてがスローだ。
ネズミの肺から出された空気が、音と飛沫として飛び出る。
切っ先の水糸がぎゅるりとさらに回転を速め、人形が一歩目を踏み出す。
落ちた雨粒がクラウンを作り出す。
静かな、その僅かな音――
その瞬間、わたしは全身を使って投擲し、長柄のトンカチをぶん投げた。
「な」
デスピナが驚いたのは、きっとわたしが前触れもなく投げたからで、その先がネズミであるデスピナだったからだ。放置すれば致命。必殺の手を防御に回さざるを得ない。
非人間的な動きで弾く。
急ブレーキにより水しぶきが派手に散る。
それは、あからさまな隙だ。
「嗚呼ぁああ!!!!」
無手のわたしは拳を握り、人形へと殴りかかる。
上顎骨を狙ったそれは、途中で剣に防がれた。
左手が、いや、左手を覆っていた魔力が砕け、同時にデスピナの剣もまた砕けた。
わたしの生身の手からは血が流れ、砕けた魔力構成は――
「征け!」
デスピナが操り、わたしへと跳ねさせた。
剣の欠片が石礫のように打ち据える。
防御を越えて切っ先が腹横を穿つ。
「っ!」
「シィイイっ!!」
好機と睨んだのか、ネズミが跳ぶ。
その全身を魔力で輝かせ、人形の肩を蹴り、食いちぎるべく流星のように突進する。
この世でもっとも高魔力圧かつ高威力の魔力弾。それを――
「な」
つかんだ。
血塗れの左手で、ネズミをキャッチする。
広がる知覚と魔力量とその操作が、それを可能にさせた。
左の掌が焦げたが、知らない。
わたしはデスピナをつかむ。
より正確にいえば、その全身を覆うネックレスを。
「これは、わたしのだ!」
その支配権を奪い返す。
「ぐ――」
「借り物の力で粋がってんじゃねえぞ!」
血は力を持つ。
直接的に接触させ、無理やりその使用権限を剥奪する。
破砕物の行く先を歪め、すべてわたしの横を通過させる。
「否!」
わたしにつかまれながらも、ネズミの目は死んでいない。
人形を操り、貫手を放つ。
必殺のそれは、わたしの目の横目をかすめて通る。
ぎりぎりの回避は、拡張された意識の中で、最適の動作を実行できたからこそだ。
そうとも、わたしの全力は、このネックレスがあればこそ可能だ。
右手だけで、長柄のトンカチを再作成する。
紛れもない、全身全霊。
それは空間すらも歪めて在る。
ネズミと人形、眼前に二種類の唖然が浮かんだ。
「フッ!」
わたしはネックレスの本体を確保しながら、ネズミを放り投げた。
突進と逆方向へ行かせる。
ちぎれたチェーンが宙を舞う。
人形がネズミを受け取めた。
全身を使って勢いを殺す様子が見えた。
ネックレスの本体に触れながら、両手で長柄のトンカチを握り、十分魔力量を保った状態で行う攻撃を――
生まれてから今まで、一度も行ったことがない全力攻撃を行う。
全身に紫電が舞う。
覆う魔力障壁が耐えられずに自壊し、純粋魔力として循環する。
肩に構えたトンカチを、横に振る。
「破ッ!」
世界が歪む、魔術的な空間構成を破壊しながらトンカチは振られる。
コインが当たるが簡単に弾く。
ネズミはわたしを睨んでいる。
この段階に至ってもなお諦めない。
人形が叫び、折れたレイピアで立ち向かう。
「ぴぃ!」
だが、直前になってネズミは頭を抱えて縮こまった。そのすぐ上を、トンカチは通り過ぎた。
レイピアを、腕を、脊柱胸椎を破壊しながら横一文字に行き過ぎる。
ただの一振り。
それで陶器製のツボを壊したような音をさせ、学内最強の人形はあっけなく壊れた。
同時に、周囲のきらびやかな装飾も爆ぜる。
夜会が砕けた。
夜が消え、青空と太陽が薄汚い下水に差し込む。
その下で、短い手足をバタバタ動かすネズミを、わたしは再びつかんだ。
「ふぅ……っ!」
強く呼吸する周囲では、破壊された魔力のカケラが落下していた。




