ep.49 「吾はデスピナ・コンスタントプロス。この学院の頂点に位置する生物だ」
いつ、どうやってかは知らない。
だが、この夜会や人形をはじめとしたシステムは、「別のもの」を紛れ込ませるのに十分な隙があった。それを可能にする条件を取り揃えていた。
人の姿をしていない?
だったら、人形を使えばいい。
先生方をはじめとした上層部に排除される?
夜会に関連したものであれば介入されない。
そもそも学院生ですらない?
薔薇さえ手にすれば、自動的に学院生として扱われる――
もともとはダンジョンを改装して作られたというアイトゥール学院だ。
これを想定していたような節すらある。人外を受け入れるためのシステムが、事前に構築されていた。
わたしが夢で訪れた薔薇の園のことを思い出す。
選ばれたものが、あるいは条件に適ったものが赴き、花を手にする。
きっと、このネズミも訪れた。
そこで薔薇を手に入れ、成り上がるべく奮起した。
ネズミたちの王だけじゃ足りなくなった。欲したのは、人間である学院生からの、上級生からの、先生方からの、国の貴族たちからの、王族からの――果ては神々からの喝采だ。
薔薇を持ち、知恵を得たネズミは野望を胸に学院へと行き、そうして、最強とまで呼ばれる位置にまで到達した。
+ + +
思い思いの姿で逃げ出す人形の群れの背中を見る。
彼らはこの地に潜み、生息していた。
ただデスピナから人形を与えられたにすぎない。
要はネズミだ。
日々ずっと、わたしは彼らを狩り続けていた。
その恐怖は、血肉にまで染み付いている。本能のレベルで刻み込んだ。
人形の動きが常に悪かった理由のひとつだ。
彼らは、わたしと対峙することを怖がり続けた。
その恐れは、この顔で、このトンカチを構えた段階で限界を越えた。
「まあ、それでも、自分たちのトップを置き去りにするのは薄情だな」
揶揄するように言う。
そう、何よりおかしくヘンなのは、デスピナに協力している人形の数だった。あんな数はありえない、学院生がそこまで大量に協力しているはずがない。
別のものが力を貸していると考えるべきだ。
その候補として考えられるのは、ネズミどもしか思い至らなかった。ちょくちょくわたしに対する恨み言もこぼしてたし。
「お前、割りとアイツらに目をかけてたのにな?」
ネズミの親玉であるデスピナは、わたしが普段ここでネズミ狩りをする際、可能な限り被害を少なくするよう立ち回っていた。その理由は――
「ひょっとしてお前、アトゥール学院を「ネズミたちの場所」にするつもりだったのか?」
学院生たちを浚い、人形をその代わりとした。
バレなければその「入れ替わり」は継続したはずだ。
攫った人間から情報を引き出せるだけ引き出して、本格的に入れ替わる計画だったのかもしれない。通常であれば不可能だけど、ここには夜会がある。
情報の引き渡しが、できる。
アマニアの夜会は、ダメージ込みとは言え別人へと情報を渡すことが可能だった。似たような夜会の協力があればそれは、不可能じゃない。
「ネズミによる人間の支配、それが目標か?」
「否」
その声は、別方向からしていた。
目の前のデスピナではなく、遠くからだ。
「吾が種族の生存のためだ」
わたしが開いた夜会は、地下に延々と広がっている。その通路の端から、トコトコと歩み来るものがいた。
ネズミだ。
真っ白なそれが、短い手足で歩いていた。
わたしの形見のネックレスを体に巻き付け、堂々と近づく。
「人を学ぶ、そのための教材として拐かした」
「そうかよ」
ネズミは軽く跳躍し、人形に――先程までデスピナであると認識していたその肩に乗る。
「やっと会えたな?」
「否。吾は会いたくなどなかった」
鼻を動かしながら言う。
その赤い目の奥には、複雑なものが渦巻いている。
「そうか、わたしは会いたくてたまらなかったよ」
「殺傷のためか」
「当然だ」
このネズミ一匹のために、わたしは定期的に下水に潜る必要があった。すぐに狩り尽くせる簡単な作業がいつまでも続いた。
このネズミが指揮し、効率的な逃走を続けたからだ。
「わたしは、リリさんに――育ての親に頼まれた」
「なにをだ」
「下水の清掃を、ちゃんとするようにってな」
今思えば、リリさんはこの事態を把握していたのかもしれない。
薔薇を使いこなす「別種族」の脅威が、徐々に勢力を増していると。
「妨ぐ者め」
形見のネックレスを身に着けながら、その魔力を全身で発光させながら、ネズミは――デスピナの本体はわたしを睨んだ。
「そなたは……吾らの自由を妨げた、そなたがいなければ行動範囲はより広大に行き渡れた。吾らの栄光を妨げた、地に増え満ちるを堰き止めた。なによりも、吾らの命を妨げた!」
「そうだな」
「許せぬ、やはりそなたは悪だ」
視点を変えればたしかにそうだ。
けれど、わたしから見ればまるで違う。
「ありがとうな」
「なにがだ」
「デスピナ、お前が地上に出ず、この下水に籠もることを選んでいたら、わたしじゃ絶対に倒せなかった」
少なくとも、わたし一人では不可能だった。条件付きとはいえ、「学院トップの魔力量を持つネズミ」を退治することなんてできやしない。
「お前がここを捨てたからこそ、勝機が出た」
「吾が望みを笑うか」
「いいや?」
笑うわけがない。
「カリスのやつもそうだが、わたしでは持ち得ない大望を持ち、叶えようとする行為そのものを貶めようとは思わない」
世の中を、あるいは自分自身を根こそぎに変える。
そう望むことは、わたしからはどうやっても出てこないものだ。
「だが、その大望に敬意を払うからと言って、お前に頭を下げ、全面的に引き下がることもまたしない――お前たちネズミはこの下水にて繁殖する。それは病原菌をはじめとした不衛生の温床になる」
「吾らにその生き方を強要したのは人間だ!」
「利益だけを得てこっちに不利益をばら撒くようなやり方が、いつまでも通ると思ってんじゃねえぞ!」
「だから殺すのか、だから鏖殺しようと言うのか!」
「そうだ!」
きらびやかな巨大な回廊のような場所。
思絵画とランプと金飾りと、磨き上げられた清潔に彩られた夜会。
上空には星々が輝く夜がある。
だが、会話はひどく血なまぐさい。
「わたしが支配するこの夜に、無法者は必要ない」
遠くでは、人形の群れが壊れている。
その手足が崩れて、這うように移動している。
「理解した」
デスピナは、一匹のネズミは赤い目をわたしに向ける。
恨みや敵意すら越えた、強固な瞳で。
「これはもはや喝采を奪い合う争いではない。種族戦争だ。吾らが生存のための戦いだ」
「勝てるつもりか?」
「吾はデスピナ・コンスタントプロス。この学院の頂点に位置する生物だ」
その言葉はハッタリでもなければ偽りでもない。
実際、このネズミは学院生としてその位置まで登りつめた。
アトゥール学院の、少なくとも一学年のトップはデスピナであると誰もが認めた。
バックアップとなるネズミの群れがあったからこそだろうけど、それでも凌駕し、証明した。
「そうかよ」
わたしはトンカチを肩に構える。
「わたしは、そんなお前たちを常に狩り続けた人間だ」
今日、そのすべてを撃退する。




