ep.103 死の王は消え、人の世が始まる。
夜会が壊れたら、その世界が壊れる。
なら、国の中心となるものを壊したらどうなるか?
きっとろくなことにはならない。
昏い影は崩壊し、ひび割れる。
あるいは、この国そのものが。
「カカ、カカカカ――」
昏い残影の、その口だけが歪み、言葉を残す。
「俺は、俺が、死ぬのか……?」
ボロボロとそのカタチを崩しながら、
「であるならば――滅びよ、滅びよ、滅びよ……っ! 俺という死が死ぬのであれば、この国のすべては共に逝くべきだ!」
呪詛のように叫び、消えた。
本当に最後の最後までクソ迷惑だ。
わたしの攻撃は、王の名前だけを削るようにした一撃だった。他への被害は、なるべく及ばないようにしていた。
だが、それを否定するかのように、破壊を中心にしてヒビが入った。オブジェクトそのものを壊そうと、四方八方へと伸びる。
「最悪だな」
「どうしましょうか」
「アマニア、お前どうしてそんなに冷静なんだよ」
「クレオ、君にぼくが記した物語を伝えることができました」
「それで?」
「満足です」
駄目だ、理解できねえ。
グラグラと世界が揺れる。
わたしたちの上を覆っていたスフィンクスは。
「ふふ――」
謎めいた、あるいは問いかけるような笑い声を最後に残しながら、ふわりと呆気なく消えた。
妖精よりも儚く姿を消す。
「いや、助かったけど、結局なんだったんだよ」
過去の出来事は、まだ謎が多い。
その答えを出すことなく守護者はいなくなる。
壊れた壁の向こうでは、ネズミが変わらず透明な板の上で偉そうにしていた。
きっと何もわかってないだろうに訳知り顔に頷いてる。
そして、傍には倒れ伏したシェリがいる。
「体が……」
「あー、大丈夫か?」
というか、わたしが雷の塊で叩きのめしたから、まだ痺れてる。
けど、そんなことは無関係とばかりに、透明な石碑のヒビは大きくなり続ける。
このままだと粉々に破砕する。
そうなれば、このフェダール国から法はなくなる。
何もかもを苦しめ、同時にその内側にいるすべてを守り続けていたものが。
「たた、せて……」
言われた通りシェリに肩を貸した。
このまま逃げるんだろうなと思っていたけど、その様子はない。
禿頭の彼女の目は、まだ諦めていなかった。怨敵のように、あるいは親そのもののようにそのオブジェクトを睨んでいた。
そこに掘り込まれた、秩序とやらの数々を。
「どうする?」
「命を、かける……」
青白い顔のまま、決死の言葉を吐く。
「もう魔力は残っていない、けれど、それでも……」
シェリにとってこのオブジェクトは、あるいは秩序は、今すぐ壊したくてたまらない仇であると同時に、何としてでも守らなければならない守護対象だった。
だからこそ、命がけで、相反する思いを込めて術を行使しようとする。
「そっか」
理解したのでシェリにキスをした。
「んん゛!?」
発動はキャンセルさせる。
舌を絡ませるようにして送り込む、オラ、舌引っ込めんじゃねえ。
魔力を伝達するの伝達役としては体液が最適だ。けどそれは、別に血である必要はない。
唾液の方がお手軽だし手間もかからない。
あと口の中も切れてるから、ついでに血だって少しは送り込める。
シェリが暴れるけど、だんだん反抗は収まる。
遠くのデスピナは天を仰ぎ、近くのアマニアは持ってた薔薇をぽとりと落とした。
わたしは心を込めて魔力を伝える。
死の王という余計なもんに憑依された、その魔力的な痕跡を拭い去り、補給もする。
「よし」
「……ぷは!? え、この、え?! いや、ええ……?!」
「…………クレオ……?」
「いや、緊急事態だったろうが」
このままシェリが魔術を発動したところで失敗する可能性が高い。
だから補給した。
取り憑かれて魔術的に変な混淆状態になってるよりは、わたしの魔力で染め上げた今のほうがまだマシなはずだ。
うん、これって人工呼吸と変わらない。
なのに賛同してくれそうな雰囲気がない。
なんで。
「いいからシェリ、やれ。それくらいの魔力は渡しただろ。これ以上なんか言うなら根本から支配するぞ」
「――」
「ほら、アマニアだってわたしのことをペシペシと力なく叩いて、涙目になってまで賛同してる」
「絶対に違うとは思うけど、魔力補給って部分だけは助かったよ」
「……ひょっとして、ぼくは……この出来事についても、書かなければならない……?」
国の中核となるものが崩壊しようとしてるのは大事件だと思うんだけど、なぜかアマニアはわたしのことしか見ていない。
「わかったよ」
何か受け入れがたいことを無理やり飲み込んだ顔で、シェリはひび割れ続けるそれへと向き直る。
「道路敷設者として――いや、今やこの国の王として……」
その両手に、魔術道の基点となる2つの結晶が現れる。
「私は、道を通す」
2つの伸びたそれが、ひび割れるオブジェクトへと絡みついた。
それこそミイラでも作成するかのようにグルグルに巻き付き、隙間無く覆う。
そうして、一回りぎゅっと小さくなった。完全に固定化し、これ以上の自己破壊を許さない。
揺れ動いていた地震がぴたりと止まった。オブジェクトのそれが動かないのと同期する。
この国を覆いつくす魔力、あるいは結界が壊れることなく済んだことを理解した。
わたしだけじゃなくて、この異変に怯えてたすべての人が。
「おおー」
同時に、ふ、と何かが解ける。
暗く、澱んでいたものが、当たり前の空気へと変わる。
灼熱の陽光が照らす、砂漠の熱だ。あの王のものではない魔力となる。
「この道は、わたしが生きている限り残り続ける。ただの延命でしかないのかもしれないけど――」
それでも、この国を生き残らせる。
そう続けた言葉は、たしかに王としての気概があった。それは、わたしでは決して持てないものだ。
「……」
たぶん、わたしはこの国の変革の、その歴史的なポイントに立ち会っているんだろうなと思う。
これからは、この道によってグルグルに巻かれたものが、この国の中心となる。
死の王は消え、代わりに人の世が始まる。
それは良いことばかりじゃないだろうけど、それでもまだマシなものになるはずだ。
「よかったな」
「うん、クレオには、どう返礼していいかわからない」
「いや、別にそれは……」
本当に成り行きだし、喧嘩を売られたから買っただけだし、なにより――
「母様の仇をぶん殴れた、わたしにとっては、それで十分だ」
そんなことより、もの言いたげにずっとわたしの顔を見続けているアマニアの方が、きっとずっと大きな問題だ。
なんで、そんなに不機嫌なんだ?




