ep.101 「この夜において」
フェダール国の王は、このスフィンクスのことを恐れた。
力付くで制圧せず、遠くに追いやって放置するだけで、直接の手出しをしないくらいには。
それは結界による魔力供給のバックアップを受けた飛行モンスターだからだと、正直わたしは思っていた。砂漠を渡る途中で戦力が削られ続けることになるからだと。
上空から一方的に魔術を受け続け、これに対抗する手段がない。
仮に何か手段を用意しても、いざとなったら飛んで逃げられる。
ここからあの村に行くまで、ランドヨットでもそれなりの時間が必要だった。道の上を歩くことしかできない兵たちは、もっともっと長い時間を一方的に狩られ続けることになる。だから下手に干渉せずに放置したままだ。
完全にわたしの勘違いだ。
「く、この!」
「ワタシの拠り所に、最後の領地に手を出しましたね。アナタは契約を違えた!」
「俺の国を俺のものとすることに何の問題がある!」
人がいないとはいえ王宮は広い。
この国の代表が住むのにふさわしい威容だ。
その壁面のすべてが同時に傷つけられた。
スフィンクスが放った風魔術が荒れ狂い、すべてを無秩序に切り裂いた。
王は吠え、黒い霧のようなものを放出して無効化するけど、明らかに分が悪い。
「砕っ」
白い人形姿のまま飛行し、鉄槌のような踵蹴りをする。
王は両手でガードするけど、その動きは精彩を欠いている。
魔力で形作られた人形と、生身の「他人の体」を操っていることの差だ。
「その調子で削ってくれ」
「……変わらず複雑ですが、承知しましたよ」
「なぜ、おまえはッ!」
「すべてがアナタの思い通りになるはずがないでしょう?」
本来ならこのスフィンクスは秩序の縛りを受ける。
うん、「王の役割」に攻撃するなんてことは、本当ならできないはずだ。
だが――シェリはしばらくの間「役割を決定できる」立場にいた。
そいつが「倒した証拠」を持って凱旋した。
フェダール国に従うという「役割」から外せる隙を作り出した。
そして、そもそもわたしの使い魔の立場だ。
二重の意味で、今のスフィンクスは「法の外」にいる。
うん、きっとこの王が何よりも恐れたのは、こういった「法の支配を受けない強敵」だ。
「さて……」
うん、とはいえ、状況は変わっていない。
ここでスフィンクスが王をボコボコにしたところで、実は何も変化しない。
王という「役割」にまで牙は届かない。
だからこそ、焦りながらもどこか余裕がある。
無駄なことをしているという嘲りが底にある。
そして、ここでわたしが直接できることはない。
「賓客」とかいう役割だから、主催をぶん殴れない。
あと、ただでさえ魔力が枯渇気味のところに無理をしたから、わたし自身の魔力はすっからかんだ。
むしろスフィンクスやデスピナのそれが逆流するかのように満ちようとしている。
別の魔力で満載されたから、不調が割と消えたのがいいことなのどうかは、ちょっとよくわからない。
ともあれ、直接わたしが手出しするには手続きが必要だ。
「あいつらに、伝わってるかな」
デスピナとアマニアの二人に書いて指示したつもりだけど、それが上手く行ったかどうかはわからない。
まったくの無駄に終わる可能性も高いと見ている。
けど、それでも、わたしは長柄のトンカチを作り出す。
慣れたそれを手に、
「テティシェリ!」
呼びかける。
「お前は「道路敷設者」だ!」
王であることより、軍を率いるものであるより、それこそが彼女の望んだ「役割」であるはずだ。
「その役目を果たせ!」
指をさしながら、わたしは叫ぶ。
スフィンクスの作り出す人形と戦い続けている王が、わたしを見る。
変わらず愚か者を見る表情だが、その片目だけが、見開かれた。
「道を通せ!」
成すべきことはシンプルだ。
「なにを――」
その手が持ち上がっていた。それが王の意思でないことは、驚きの顔を見ればわかる。
片目と片手、それだけの支配権を取り戻したシェリは――
「な」
王宮の壁を崩壊させた。
内外の境目がなくなる。
もちろん、この程度でわたしの役目は解除されない。
それでも王は驚愕していた。当然だ。
だって、崩壊した壁の向こう、遥か海原のその先で、一隻の船が浮かび上がろうとしていた。
デスピナが魔力板を連続的に作成し、船体を持ち上げていた。
その上に、二人が乗り、こちらを見ている姿もわかる。
飛行船めいたそこから王宮に向け、当たり前という風に佇む二人に思わず笑みが漏れる。
「こ、れ……」
シェリが伸ばした手、その先から2つの結晶がこぼれ落ちた。
道を通す起点となるアイテムだ。
「この!」
「させません!」
闇が弾け、王がそれを蹴り飛ばそうとするより先に、人形がその体を吹き飛ばした。
腰の入ったいい直突きだ。
踏み込む先には、一個のオブジェクトがあった。スフィンクスの足により、ガギリと強く床へと打ちつけられる。
「役割」を持たないものが、起点を決定した。
この国の法とは罰則性が強いものだ。
役割を持たないものが触れたところで発動しない。
もう一つの石、それが地面に着くより先に――
「ふっ!」
わたしのトンカチで地面をさらうように一閃し、弾き飛ばした。
行く先は、宙に浮かぶ船だ。
慣れない魔力を使用した全力により、高い放物線を描いて飛翔させる。
同時に、叫ぶ。
「デスピナ!」
「任せよ!」
一匹のネズミが船から跳びながら、ペンダントを投げた。母様の形見だ。
2つの石は交差し、わたしはペンダントを、デスピナが基点となる石を受け止めた。
デスピナもまた「役割」がない。
目をぎゅっと瞑ったネズミが全身でキャッチしたところで問題ない。
「ふむん!」
そのまま落下し、魔力板へと刺す。
王宮と、浮遊中の船、それぞれに基点が刺された。
「……起動――!」
そしてシェリの――「道路敷設者」の口が、それを発動させた。
王の意思とは無関係に、呪詛のように。
瞬時に宙に固定された光る道が渡された。
強く光るそれが、船と王宮を遠くつなげる。
さきほど投げた石2つの軌跡をなぞるかのように、道がかかる。
「く――」
王が手を伸ばし、止まるのが見えた。
凝縮させた黒い魔力を手に躊躇する。
結局、横からのスフィンクスの攻撃を防護するためだけに消費した。
道路制作者が作り出したそれを壊すことは、秩序とやらに反す。たとえ王であっても、下手な手出しはできない。
「まったく、無茶をする」
邪魔されることもなく、遠くのデスピナが船を固定していた板を外した。
ネズミを残したまま、船は滑り台を行くかのように最初はゆっくりと、だが徐々に容赦のない加速をつけて突進する。
当然、わたしたちがいるこちらに向けて、減速もせず。
「割と面白いですね、これ」
船の舳先にいるアマニアが、まばたきもせずに当たり前の顔でそう呟くのがなぜか聞こえた。
微塵の恐怖もなく、その加速を楽しんでいた。
そうして、船は王宮へと激突する。
室内に舳先を突進させ、石碑の前に陣取る王のすぐ横を通過し――
強固な建物へ木造船をぶつけたらこうなるだろうという有り様で大破した。
とんでもない轟音は出したけれど、それだけだ。
わずかに王宮を揺るがすだけで終わる。
王は事態について行けず、スフィンクスは安全圏へと飛び立ち、アマニアは高速で叩きつけられながらも平然としている。
わたしは――
「この夜において」
無傷だ。
当然だ。
だって、この船は「わたしのもの」だ。
支配の対象が壊れたところで何も変わらない。
カリスを通じて買い取り、所有権は今や完全にわたしの下にある。
「支配こそが力となる」
周囲一帯にばらまかれた木片たち、その破砕の中心で――
わたしは、夜会を開いた。




