010 彼女の選択
『ただいまー』
竜雲海の中からフレーヌが浮かび上がり、タイフーン号の横に着いた。
空賊の襲撃からすでに一週間が経過している。その間、風の機師団は度重なる飛獣の襲撃を撃退しながら進み、目的地であるノートリア遺跡付近の海域に到着していた。
そしてタイフーン号の甲板で待っていたギアは戻ってきたリリがいつもと変わりない様子に頷きつつも「リリ。どうだった?」と尋ねる。
『うん。下は飛獣や深獣もいなかったし、危険物もなかったよ。いつも通りの緑の世界』
リリは深海層と呼ばれる、このアーマン大陸本来の大地まで降りて、そして戻ってきていた。
あまり遺跡と距離を近づけると防空システムに引っかかる。そのためタイフーン号はこれ以上の接近はせず、ここからはブルーバレットとフレーヌ、ノーバックの三機によるチームで深海層へと降りて、地上経由で遺跡へと向かう予定であった。その前段階の準備としてシールド処理なしでも竜雲海内を安全に移動可能なフレーヌに乗るリリが深海層の偵察を行なっていたというわけだ。
「そうか。問題はないか。ならルッタ、ナッシュ。ここで降ろすからふたりとも準備を進めてくれ。ハッチをシールド処理して完全密閉ができ次第、出すぞ」
「了解!」「分かりました」
ギアがすでにダイバースーツに着替えて甲板に立っているルッタとナッシュにそう指示を飛ばすとふたりは背を向けてガレージに向かい出した。
ふたりの格好はいつものダイバースーツに比べてゴツく、バイザーもヘルメットに変わっていて、そのヘルメットから伸びたチューブはスーツに付いている装置に繋がっている。
それを見たルッタは潜水服か宇宙服みたいだなぁ……などと思っていたのだが、これからふたりが乗り込むブルーバレットとノーバックのコックピットはシールド処理により魔力の霧の侵入を防ぐために完全な密閉空間となってしまう。そのため、酸素を取り入れる装置も含めた装備となっていた。
そしてふたりの姿がガレージの中に消えたのを確認するとギアは視線をタイフーン号の側で警戒待機しているレッドアラームへと向ける。
すでに彼女も、またジェットの乗っているツェットも十二機のビットスケイルを展開して警戒に当たっている。
(どちらもピリピリしてやがるな。まあ無理もないが)
ギアがそんなことを心の中で呟く。
ここに辿り着くまでにも幾度とない飛獣の襲撃が起きている。この周辺は飛獣との遭遇率が他と比べて異様に高く、いつ戦闘になるか分からない怖さがあった。加えてブルーバレットとノーバックはシールド処理中だったため出撃できず、数的に不利な状況も続いていたのだ。
(まあ、ランクE以下の雑魚ばかりだったから助かったが、なかなかに厳しい海域だな。竜雲海が澱みすぎていて確かに瘴気溜まりになっている。大型が棲み着いたら航行禁止海域になりそうだぞ)
竜雲海が澱むのは竜雲海を構成する魔力の流れがこの場で止まって、魔力の霧が濃くなっているためだ。またこうした状況だと瘴気と呼ばれる良くないものも発生しやすくなり、瘴気溜まりと呼ばれるようになる。
こうした場では弱い飛獣が繁殖しやすくなり、それを狙って大型飛獣も寄ってくる。現状は大型の確認はできてはいないがそれも時間の問題だろう。
また瘴気は飛獣を狂わせ、凶暴化させる。昨今の飛獣の活性化も流れの止まった海域が増え、全体的に凶暴化した飛獣が増加したためだとも言われていた。
ギアも事前にこの海域を調べてはいたが、すでに商船の移動ルートからは外されており、ノートリア天領の物流事情も悪くなっているようだった。
「シーリス、以前に来た時もこうだったのか?」
『いんや。前よりもさらに濁ってるね。前のクランならここに来る前に飛獣にボコボコにされて逃げ帰ってたんじゃないかな』
シーリスがそう返してきたのでギアも「そうか」と頷いた。
(これならノートリア天領で情報収集もしたかったところだな。まあ仕方ないが)
ノートリア天領は小さな天領だけにゴーラ武天領軍への密告の可能性があり、また遺跡探索に便乗、或いは横取りを考える輩が出るかもしれないということも考えれば立ち寄るのはリスクが高かった。
「確かにジェットだけじゃあ厳しいか」
ギアがボソリと呟きながら、レッドアラームに視線を向けた。
今回のミッションに参加するのは依頼人のナッシュにリリとルッタだ。スナイパースタイルのレッドアラームでは近接戦闘になりがちな探索時の遭遇戦では不利と判断したシーリスは自主的に探索の不参加とタイフーン号の護衛を希望していた。
けれどもノートリア遺跡はシーリスの前クランの解散の原因となった地だ。できればシーリスにも参加させてやりたかった……というのがギアの本音である。
そしてギアの視線にその意図を感じたシーリスがクスリと笑う。
『艦長、ナッシュが依頼をしに来た時にあたしのリベンジはこっちだって言ったろ。もう忘れたのかい?』
「……むぅ」
『緑翼団は帰り際に飛獣に襲われた。あたしらは家がなければ帰れないって単純なことを忘れたから終わっちまった。あの時必要だったのはきっとこういう全体を見た対応だったんだ。だから今度こそあたしは仲間を護るさ』
それが今のシーリスの根の部分だ。そこには同じ間違いを繰り返さないという強い意志が宿っていた。
『それにだ。あたしはナッシュほどロマンチストじゃあない。昔振られた相手に未練たらたらなんて性に合ってないんだよ艦長』
そう言ってシーリスはニカリと笑ったのである。
ナッシュは仲間達との夢を叶える道を選び、シーリスは繰り返さないようにその手で仲間を護る道を選んだ。成長の方向性が違うふたりなのでした。