015 境界線を越える者
「うわー、ナッシュのヤツ。派手に宣言しちゃってさ。ルッタはあげないからね」
「あげない。ルッタはリリの弟」
歓声に包まれた闘技場の中でシーリスが苦笑しながら手持ちのエールを飲み干し、リリが抗議の声を上げた。
その場には風の機師団の主だった面々が座っており、試合開始前は周囲と場外乱闘一歩手前の険悪な空気があった。けれども今はそんな気配は霧散し、観客と肩を組み合って飲んでいるクルーもいるほどだ。それもすべてはルッタの実力が認められたが故のもの。ナッシュの先ほどの宣言通り、正しく強者であることを示したルッタに対して彼らは正しく敬意を払う理性を持っていた。
その様子をラニーが「現金な連中だぜ」と笑って嘯きながらエールを飲み干す。気分は最高であろう。何しろラニーを含んだ風の機師団のクルーは皆前評判から高倍率だったルッタに賭けていた。ルッタが評価されたことも嬉しいし、懐も暖かい。酒も当然美味くなるわけだ。
「しかし、ルッタはここにいる全員にしっかりと見せつけやがりましたね艦長」
「確かにな。ただ勝つだけではなく、観客に魅せる戦いをやりやがった。どうやらアイツには剣闘士としての才能もあるらしい」
ギアも素直に賞賛する。
ルッタの試合運びは明らかに周囲を意識したものだった。正面からのガチの斬り合い。見る者が見れば分かる高等技術の応酬。分からずともあの絶え間ない斬撃のぶつかり合いは見応えのあるものだったろう。何度か危ない場面もあったが、そもそもルッタは闘技場での一対一の戦いなど経験がないのだから、多少のミスが出るのは仕方のないことだ。
(それにルッタは戦いの中で学んでいた。近接戦は得意ではないと言っていたが、ジャッキー流剣術の使い勝手を試しながら自身の動きを最適化し続けていた)
恐らくルッタは普段以上に集中して戦いに当たっていただろうし、その負担も相当なものだったはずだ。やり様によってはもっと簡単に勝つ方法もあったろうが、トリッキーさも度が過ぎれば試合結果にケチが出る。初手で仕留めなかったのは正解だったとギアも思う。ナッシュの力も完全に引き出した上で圧倒し、最後はワイヤーアンカーを使った自身の持ち味も活かして勝利した。
「勝った。これ以上ないほど完璧にな。まったく、アイツはいつも驚かせてくれる」
「まったくですよ。これでクロスギアーズにも一歩近づいたわけだ」
「ああ、であれば大人としてはキチンと段取りしてやらないといかんな」
ゴーラ武天領軍に追われている身としてはどこまでできるかということもあるが、それでもギアはその件については乗り気であった。
(しかし、これでアイツも一気にこの世界に躍り出た。本当にあっという間に)
ハンター界隈は広いようで狭い業界だ。ドラゴン討伐も正式に認定されれば、表立って否定する者も減るだろう。何しろ否定することはハンターギルドの決定を疑うことと同義だ。それに実際の実力もこの闘技場に集まった観客が証人となった。それはこの天領のみならず周囲に拡散されていくはずだ。
(それでもインチキ呼ばわりする馬鹿は出るだろうがそんなものはサクッと叩き潰せばいいだけのことだしな)
ルッタにはそれができるだけの実力がある……と思いながら、ギアは目を細めてルッタを見る。その表情はまるで篝火の中に幻想を抱く童のようであった。
(ああ、そうだ。ルッタは多分……どこまでもいける人間だ。俺なんかとは違う、あいつらと同じ人種なんだ)
ギアは二十年前のことを思い出す。
それはまだ彼が片足になる前の頃のことだ。
その時は風の機師団には雲海船がふたつあって、団員ももっといて、ランクAにも届こうという勢いだった。風の機師団というクランの黄金時代だった。
けれどもひとつの決断が風の機師団を割り、彼らの命運を分けた。結果として踏み留まったギアたちは生き残り、挑んだ者たちはジャヴァ以外にもうこの世にはいない。
(アルゴ、お前たちと同じなんだ……怖気付いた俺とは違う)
その時の選択をギアはずっと後悔している。それは自分が行けば仲間が助かったかもしれない、仲間と共に最後まで戦いたかった……等という殊勝な想いから来ているものではない。ただ『怯えて踏み出せなかった』という許しがたい事実が自分の中に刻まれてしまったが故の利己的な後悔だ。
確かにギアが残ったからこそ風の機師団は今もある。逝った者も、残された者も彼を責める者などいないだろう。その選択は正しかったと言うだろう。けれども、ギアの中できっとその時に何かが死んだ。だから足を失った時にもさほどショックを受けずアーマーダイバー乗りを引退したし、それを自然に受け入れられたことがギアにとっては逆に衝撃的だった。自分という存在に絶望していたことをはっきりと自覚した。
「だからきっと……」
それからだろうか。ギアは人を線引きしてしまう。進める者と進めない者。ルッタと自分。故に未来の先に別れの予感を感じてしまう。
「お前も行っちまうんだろうな。アイツらみたいに」
そして、そう口にしたギアの表情はどこか寂しげであった。
20年前に何が起きたのか……
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