015 ロスト
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「あったまイテェ」
窓の外から刺す光の中、ギンナがパチクリと目を覚ました。
そしてギンナが周囲を見渡せば、そこは酒場の一角だった。
(あん? クソッ、昨日は酔い潰れたか。ハァ)
ギンナがため息を吐きながら、上半身を起こしてテーブルに肘を突く。
昨日の試合の勝利の後、戦勝記念で飲み明かしたギンナだが、どうやら飲みつぶれて、そのまま寝てしまったようだった。同じように酔い潰れて寝転がってるのが何人かいたが、ギンナは気にせず窓の外を見て、太陽の位置から今が朝だと理解する。
(あー、昨日は飲んだなぁ。ま、試合はイマイチだったけどな)
戦ったのはギザ・ランヂという序列十二位の剣闘士だ。
序列五位にまで届きつつある中堅のエースだが、その堅実すぎる戦闘スタイルはギンナには物足りない相手だった。
(あー、ゾロさんと闘りてぇなぁ。そろそろヘヴラトはついたんかねぇ)
紙タバコを吹かしながら、ギンナが今はこの天領にいない人物のことを考える。
ゾロ・スマッシャー。このシェーロ大天領で五年に渡って不敗を貫く序列一位の剣闘士だ。ただ彼は今、クロスギアーズ参加のためにヘブラト聖天領に向かっていて不在だった。
ギンナが未だ勝てていない唯一の男で、彼にとっての兄貴分だ。ギンナ自身は彼以外には負けない……というわけではないが、それでもゾロ以外とは一線を画している。だからこそゾロのいない現在のシェーロ大天領の闘技場は色褪せて感じてしまう。
「よおギンナ。起きたのか。お前、飲み過ぎだぞ」
「うっせぇぞザンカ。こっちは機嫌がわりーんだよ」
そうして黄昏ているギンナのそばに寄ってきたのは、猪人族で序列四位の剣闘士ザンカであった。出会い頭に怒鳴られたザンカは呆れた顔でテーブルに水を置いて、目の前の席に座った。
その水を乱暴に手に取ってガブ飲みするギンナにザンカが尋ねる。
「で、ギンナよぉ。お前が噂の子供相手にずいぶんとイキった上に勝負を逃げたってんで、話題になってるぞ」
「あん? 話題って何で?」
眉をひそめるギンナにザンカが肩をすくめて口を開く。
「お前、店の中で怒鳴り散らしたそうじゃねえの。そりゃ、話だって広まるし、ブリースネークだの言われんのもしゃーねえだろ」
「チッ。どいつもこいつも。テメェだってあのガキと戦わないことには納得してただろうがよザンカ」
ギンナが不快感をあらわにしながら、そう返した。
実のところ、ギンナはルッタとの試合を蹴った件で闘技場の支配人からかなり怒られていたのである。それも当人だけならいざ知らず、序列五位までの上位全員がギンナの指示で拒否を示したのだから当然ではあった。もっともギンナを焚き付ける為に有る事無い事吹き込んだ支配人も自業自得ではあるのだが。
またせっかくの興行を台無しにされたこともそうだが、ルッタと共にいた女の軍人マリア・エントランの前で騒いだのも不味かった。マリアはへヴラト聖天領軍第五兵団のエースであり、聖騎士団の一員であり、シェーロ大天領の領主の身内で、本来は港町の住人にとっては雲の上の存在だ。
また風の機師団のクランリーダー自身も領主にお呼ばれ中であり、ギンナの拒絶は領主に伝わり、ついでにランダン商会からも睨まれていた。
「ハァ、なんもかもクソッタレだな」
想像以上に風の機師団が権力にべったりであったことにギンナはゲンナリしていたが、ともあれギンナの苛つきは、支配人に怒られて臍を曲げたため……だけというわけではない。
「だからって荒れすぎだろ。頭冷やせよギンナ」
「ああん? 別に腹立ってんのはそっちの件じゃねーよ。別件だよ。別件」
「?」
首を傾げるザンカに、ギンナは「懐かしいもん見ちまってな」と返した。
「そいつを買おうと思ったらもう売り切れてたんだよ。クッソ。どこのどいつが買いやがったんだよ。素人に扱えるもんじゃねーんだぞ。アレは」
困惑するザンカの前で、水を一気飲みしたギンナがカップをテーブルに置いてからザンカを見た。
「それで、なんの用だよ? この暇人が」
「何がって……噂の子供どうだったって聞こうと思ってな。三日前に会ったんだろう? そっちの件で怒ってんじゃねーなら話してくれよギンナ」
その言葉にギンナは目を細め、それから少し考えてから「そうだなぁ」と口にした。
「普通? だったぜ。見た目はな」
「見た目は?」
首を傾げるザンカにギンナが頷く。
あれだけタンカを切ったギンナだが、風の機師団とシーリスに対する不信感は大きいものの、実のところルッタに対して思うところはあまりない。むしろ出会ったことで支配人に吹き込まれた彼に対するネガティブな噂は払拭され、好感を持ったほどだった。だから、ギンナは実際に会った印象を正直に口にする。
「乗り手としての技量はさすがに分かんねえ。だが当人は……ああ、そうだな。相当な修羅場潜ってる感じはあった」
「ほぉ」
その言葉に意外そうな顔をしつつも、ザンカが言葉を返す。
「だったらよぉ。変な意地張らずに、戦ってみても良かったんじゃないか」
「馬鹿いえ。流石にあれは酷過ぎんだろ」
「まあなぁ」
問題はルッタ本人よりもその周辺であった。
まずルッタ当人の噂だが、竜退治を始めとした数々の戦績については、少なくともそれに準じた討伐報告がハンターギルドから実際に公表されている。どこまで話を盛っているかまでは不明だが、相応の実力を持っていることは事実なのだろう。ただし、それはあくまでハンターとしての実績だ。
「闘技場での対戦成績はラダーシャ大天領の闘技場序列一位のナッシュ・バックとの一戦のみ。しかもシーリスとかいう女の乗り手の元仲間で、試合終了後に引退したとか。つか、あのシーリスって女。剣闘士を下に見てる典型的なハンターって感じだったしな」
「そういう感じか。試合自体は盛り上がったらしいが、まあ引退前のひと稼ぎに仕込みでやった……って言われても仕方はないな」
「それに推薦者のひとりは自分とこのクランリーダーだろ。そもそも風の機師団がヘヴラトとドップリなのは昔から知られてたし、ここにだって軍の盛大なお出迎えでやってきたわけだしな。ありゃなんだ。意味分からん」
ハンターは天領にとって必要な存在ではあるものの、それは必要悪に近いもの。協力をすることはあるものの、基本的に取り締まる側の軍隊との相性は良くはない。だが風の機師団は、へヴラト聖天領軍第五兵団を護衛につけてシェーロ大天領軍へと入港した。それだけで彼らの特異性がうかがえるというものだった。
「そもそも、ここ最近の活動も妙で、やたらコソコソ動いていたり、その癖、討伐については派手で、あのガキを持ち上げるような話ばっかり流れてやがる。勘繰るなって方が無理筋だ」
「ああ、ありゃクランが駄目だな。典型的な貴族お抱え。あんなのに好き勝手されちゃあゾロさんに申し訳が立たねえっての」
ギンナがそうぼやく。
突出し過ぎたルッタの戦績、ゴーラ武天領軍との対立を隠していたことによる不自然なクランの動き、また風の機師団はヘヴラト聖天領に近づくほどにただのハンタークランとは言えなくなるほど貴族との密接な関係を表に出してきた。
そうした状況からハンターとして動いている内はともかく、ギンナたち剣闘士のテリトリーに入ってきたのであれば不信感を持たれるのも当然のことだった。
「だがなギンナ。ゾロさんに……というなら、今の状況もあまり良いとは言えんだろう。ガキひとりに逃げてるなんて陰口叩かれてるのは流石にな」
「んなもん、言わせてやれ。筋が通ってねえもん飲めるかよ。だから俺もあのガキに言ってやったんだよ。コネなんぞに頼らず、自力でここまで登ってこいってな。ま、さっさとこの天領を出てここ以外の上位を狙うなら縁がなかったってことでいいし、ここで一から始めるってんならそれはそれで俺は歓迎するさ」
その言葉を聞いたザンカが目を細めて「ああ、それでか」と口にする。
その反応にはギンナが首を傾げた。
「なんだよ?」
「昨日の夜に連絡があってな。それでお前にルッタってヤツの話を聞こうと思ったんだが。ホレ、これだ」
「チラシ? んん? なんだこりゃ!?」
そしてギンナが渡された闘技場のチラシを見て驚きの声をあげた。
そこには『ルッタ・レゾン序列上位最速チャレンジ』と書かれていたのである。