イヌガミ憑きと拝み屋少女
夜道を歩いていた。
4月8日の入学式後の新歓コンパ、新歓終わりの二次会、二次会も終わり新入生もすっかり帰ったあとの三次会でのバカ騒ぎも終えて、1人で帰っていたところだ。
そこまでアルコールに耐性が有るわけでないので二次会の途中で飲むのをやめた俺は、酔いが醒めるのに伴う空腹感を満たすためにコンビニで何個か買った食べ物から一つ選んで食べ始めた。
「あいつらに付き合ってたら肝臓幾つあっても足りねえよ」
基本的に酒の無理強いはしない。
新入生をお持ち帰りする、なんてこともない。
聞こえは言いが実際のところ我が映研の連中は、「余ってるなら俺に飲ませろ、色気より食い気より酒だ」が信条のバカの集まりだった。
おにぎりを食べながら歩いていると、ふと街灯に照らされる一匹の大型犬が目に入った。リードを街灯にくくりつけられているその犬はガリガリに痩せて、毛並みもボロボロだった。
(なんだ、あの犬。えらく痩せてるし、捨て犬か?)
飼えもしないのに多頭飼いをする人間がいる。行政に保護されたとしても成犬は引き取り手がおらず殺処分になることも多い。
人間の都合で飼われて、人間の都合で殺される。なんてことを考えてどこか同情的になった俺は食べ物を分け与えることにした。
「ごめんな、こんなものしかあげれなくて」
コンビニの袋からできるだけ刺激物が少なそうなものをいくつか選んで目の前に置くと、犬はわき目も振らずに食べ始めた。
そのとたん急に後悔が襲った。飼えもしないのに一時しのぎにしかならない救済で、自尊心を満たしたかっただけじゃないのかと自分をひどく責めたてた。
犬はすぐに食べ終わり、こちらに期待の眼差しを向けた。
「ごめん、ほんとごめん」
食べ物はまだあったが、この場からすぐに立ち去りたかった俺は背を向けて早足で歩き出した。
「バウッ!バウッ!」
犬が何度も吠えるが、期待させてはいけない、振り返ってはいけないと強く思い、そのまま歩く。
ふと、犬の吠える声が止まった。
思わず立ち止まり振り返って見てしまう。
街灯の下には何もなかった。
━━━━━━
ひどい頭痛と飢餓感に襲われ目を覚ました。
まともに思考ができない。
夜にあの捨て犬を見失ってからの記憶がない。家には着いているのでなんとか帰ることはできたのだろう。
「今何時だ…」
充電が少なくなった携帯を手繰り寄せ時間を確認すると、夕方の4時過ぎだった。
親友のレンから何通も心配する連絡が来ていた。
《大丈夫。飲み過ぎで起きれなかった。とりあえず頭痛と空腹がヤバイ》
そう送るとすぐに返信が来た。
《そんなん自分、二日も寝とったならそうなるやろ。とりあえず生きてて安心したわ。なんかゼリーとか買って見舞いいこか》
驚いてすぐに確かめると4月10日になってることに気付いた。
頭痛と空腹の理由が分かり少し安心したが、二日間も眠っていたことにまた別の不安が沸いてきた。
しばらく待っているとチャイムがなった。まともに動けそうもないのでなんとか指を動かし、郵便受けから鍵を出して入ってくるよう携帯で伝える。
「大丈夫か?さすがに既読こんだけ付かんかったら心配するで。とりあえずゼリー飲料買ってきたからエネルギーチャージし」
レンから受け取ったそれを一気に飲み干した。飢餓感がさらに強まった気がした。
「また一段と腹減ったが感じする。悪いけどもっと食べ物ある?」
「胃に食べ物入って膨らんだんやろ。いっぱい買ってきたからたんとお食べ」
母親のような口調でそういいながら、袋ごと渡してくれた。
「おかん、ありがと」
男だけどな
軽口を叩きながら食料を口にほおりこむ。
ますます飢餓が強まった。食べれば食べるほど腹が空いてくる感覚に襲われる。
「…おかしい。また腹が減った。頭痛は相変わらずな感じ」
「空腹はわからんけど、頭痛の方は脱水症状やろ。ほら、水もあるで」
「ありがとな、二日酔いには水がいちば…」
キャップを開けるまでは出来たが口に持っていけない。
二日酔いどころか2日間何も飲んでいないのに、飲み物がひどく恐ろしく感じる。
「なんや、飲ませたろか?」
「だめだ、なにか、めちゃくちゃ怖い。おかしくなってる」
震える手で遠ざけるように渡されたペットボトルのキャップを閉めながら、レンはいっそう心配そうに俺を見つめて言った。
「なんや?自分、なんか悪いもんでも食ったんか?」
「食った…いや…食わせた。捨て犬がいたから思わず無責任に食べ物をあげてしまった」
「それって…、咬まれてはないんやろうけど、とりあえず明日にでも病院行き。なんなら付き添いしてやってもええで」
やはり病院に行くべきなんだろう。普通なら俺もそう思う。捨て犬にあって、水が怖くなった。狂犬病って言葉がどうしても浮かぶ。
だが、病院に行っても解決しないと俺は直感していた。
あの犬、消えた捨て犬を見つけなければ。
「飲み会の帰りに遭ったその犬、リードで街灯に繋がれてた犬がさ、突然消えたんだ。今ならわかる。あの犬は、この世のものじゃなかったんだ。あいつを救えなかったから僕は今こうなってるんだ」
レンは俺の話を聞いてから少し逡巡した様子だったが、意を決したように座り直してから口を開いた。
「分かった。その手の人紹介したる、拝み屋ってやつや。今から来てもらって、原因調べてもらう。せやけど、何もないってなったら明日はちゃんと病院いこな」
一呼吸おいて俺はお礼を言った。
「ありがとう…というかそんな伝手あったのか」
「断られるかもしれんけどな。今日は土曜やしすぐに返信来るやろ」
「藁にもすがりたい状況でこんなこと言うのも失礼なんだけど、信頼できる人なのか」
「信頼はできる」
レンはきっぱりとそう言うと、今度は歯切れが悪そうに続けた。
「…けど、性格はあれやな。ちょっとSっ気ある感じです、はい」
「まあ身元ははっきりしてるから安心しや。なんせ…うちの妹やからな」
━━━━━━
返信はすぐ来たようだった。
俺には見せずにレンはそれを読み上げた。
《すぐ行く。今電車乗ったからだいたい20分くらいで着く。原因は大まかだけど推測できてるから、何とかなると思う。私が着くまでにいくつか用意してほしいものがある、水を2リットルと…》
そこまで読み上げると、レンは声に出すのをやめて続きを読んだ。
続きは俺には聞かせられないってことらしい。
「…よっしゃ。とりあえずどうにかなりそうやな。用意せないかん物が何個かあるから、ちょっくら買ってくるわ。あんたは寝とき」
すぐ戻るのか、と尋ねる。
「20分で来るらしいからそれには間に合うように急ぎたいところやけど、微妙なラインやな。ドラッグストアまでいかないかんから、もしかしたら妹の方が先につくかも」
「分かった…部屋の鍵は掛けなくていいよ…妹さんが先についても勝手に入って良いから、連絡しといて」
途切れ途切れの声でそう伝えた
症状は酷くなり、起きてから一時間ほどで動けないほどに衰弱していた。
「りょーかい。じゃ、行ってきます」
そういうとレンは急いで出ていった。
時刻を確認すると、5時少し前だった。
必要なものってなんだ。俺には聞かせられないもの…ってことだよな。それにドラッグストアで売ってるもの、薬、シャンプー…
そこまで考えて何を買いにいったのか考えるのはやめた。
ドラッグストアにはなまじコンビニより多種多様なものが売ってる。俺の想像力じゃ何が必要なのか思いつけないだろう。
時間をもて余す。苦しい症状を一人で耐える20分は永遠にも思えた。色々他愛も無いことばかりが浮かんでは消える。
なんとなく、レンの事を考える。
ここまで世話を焼いてくれるなんていい友達を持った。去年の新歓で名前が似てるってことで意気投合して以来、学科は違えどいつもつるんでいる。
俺と遊んでばかりのせいか、彼女の1人もいない。いや、二人以上いたらそれはそれで問題だけど。
気を紛らわす為にどうでもいいようなことを考えていると、不意にチャイムがなった。携帯を見ると5時18分、時間的にはどちらが先でもおかしくないがわざわざチャイムを鳴らしたのなら妹の方だろう。
ガチャリと扉が開き「お邪魔します」と入ってきた。
「初めまして、月見里花梨です。思ったよりひどい様子ですね」
妹と聞いていたが、まさか小学生だとは思わなかった。
Sっ気のある小学生とか嫌すぎる。朦朧としながらそう思った。
「初めまして、花梨ちゃん。僕は…」
「無理して話さなくて良いですよ。あなたの事は知っていますから。症状についても詳しく聞いています」
凛とした小学生が冷たくそう言った。
正直無理に話さなくていいというのは助かった。それほどに衰弱は進行していた。
「必要なものの準備もそろそろ終わるでしょうし、事前確認をいくつかします。無理に話さなくても目を見れば大抵のことは伝わりますので、返事などはしなくて良いです」
僕は彼女の目をじっと見つめた。
「…では、時系列の整理からしましょうか。あなたは一昨日の夜に一匹の犬に遭遇した。その犬はひどく痩せていて、食べ物をあたえると無心で食べた。全部平らげるとあなたに向かって吠え出した。あなたが無視をしているうちにその声は止んだ。振り返ってみると犬は跡形もなく消えていた」
「…遭遇した場所についても分かっていますが、後からお伝えします」
「2日ほど、時間にして36時間程度でしょうか、眠り続けたあなたは目を覚ました。そして頭痛と、異常な空腹感、水への恐怖心を確認した。身体には痩せこけた頬、異常に開いた目、そして鼻を刺すような獣臭といった特徴が現れた」
僕の目には驚きの色が浮かんだ。見た目や体臭には自分で気づかなかった。
「…どうやら伝えられていなかったようですね。お姉ちゃんは優しいですから、見た目や臭いについて言うとあなたが傷つくと思ったのでしょう。もしくは連絡された時点では気になるほどではなかったが、5時からの20分間で進行が急激に進んだ。どちらもあり得ます」
何か変なことを言われた気がしたが、病気ではなく祟りなのだという疑念が深まりそれどころではなかった。
「ここまでの状況から、あなたに何が起きているのかだいたい推定が出来ます。用意ができ次第、その疑念を確定させて除霊をします」
彼女がそう言いきると同時に、玄関が開いた。
「ごめん!待たせてしもた。すぐに始めようや」
レンがそういいながら部屋に駆け込む。
「ちゃんと、買ってきたで。水を2リットルと、犬用おやつをたくさん」
息を切らしながら、レンが買ってきたものの説明をする。
「ありがとう。じゃあ手はず通りに、縛りつけて」
花梨がそう言うと、レンは俺を椅子に座らせ、椅子ごとビニール紐でぐるぐる巻きにした。
食い込んで痛いほどだったが、抵抗する気力はない。
レンが作業をしている間、花梨は犬用おやつをすべて袋から出し、二つの山に分けてそれぞれ皿に盛っていた。
「…準備できたね。じゃあまずは水を飲んでもらう。怖いかもしれないけど無理にでも飲ませるよ」
そう言うや否や、花梨が俺の鼻を摘まんで無理矢理に口を開けさせた。そして口にペットボトルの注ぎ口を差し込む。
流れ込んでくる水に首を振って抵抗したが、遠慮なく水が入ってくる。溢れた水が顔どころか全身を濡らす。
「…うぅ、ぐああ…ぁァアア…ガウッガウッ!!」
体の底から唸るような声がする。体の自由が利かない。何かに乗っ取られているみたいだった。
「お、おい。これ、大丈夫なんか」
レンが驚愕と不安が入り混じった顔で花梨に尋ねる
「大丈夫。次いくよ」
花梨はそういうとペットボトルを投げ捨てて、おやつの皿をひとつ、手に取って俺の顔に近付ける。強烈な誘惑に我慢ができない。
「はじめまして、ワンちゃん。おやつをあげるわ」
脇目もふらずに俺は顔を皿に突っ込み、そのまま貪る。
物凄い匂いが口に広がり、吐き気が襲ってくるがどうすることもできない。そのまま全部平らげていた。
「お腹空いてるのね、もっと食べたいでしょ。お姉ちゃん、しっかり椅子押さえててね」
そう言うと花梨はもうひとつ残っていたおやつの山を今度はテーブルの端ギリギリに置いた。
俺に取り憑いてるナニかは首を伸ばしてなんとか食べようとするが、あと30cmの所で届かない。
「"待て"しなくていいよ。食べていいよ、食べれるならね」
「バウッ!バウッ!」
さらに首を伸ばすが、まだ届かない。皿に引っ張られるように顔が徐徐に前に出る。
「ゥー…バウッ!バウッ!」
目と鼻の先で届かない。ご馳走が、あるのに、耐えられない。
もう無理だ。もう、駄目だ。もう、もう、もう、
「ワオーーーン!!!!」
俺の体から何かが飛び出た。半透明の大型犬が皿の上のおやつを一心不乱に喰らう。
「こっからどうするんや?段取りにはこの先はなかったけど」
レンがそう尋ねると、花梨が答える。
「もう終わったわ」
犬の霊はいつの間にか消えていた。
皿の上には食べ残しのおやつが、そしてその残った山の中に家の形をしたキーホルダーがあった。
「成仏したのか、僕に憑いていたあいつは」
「家の中に入れた。あなたの中より居心地はいいでしょうから出てくることも多分ない。お疲れさまでした」
「外にタクシーを呼んであるからすぐに病院に行ってください。祟りを払っても体は衰弱して危険なままですから」
「残りの作業は後日にしましょう。あの犬の正体についても後日に」
「…ありがとう、レンも、ありがとう」
そういうと僕は安心するように気を失った。
━━━━━━
その後、一日入院をしたが、検査結果には問題なくすぐに退院ができた。
見た目はかなり酷かったが内臓等には特にダメージもなく、不思議な事に点滴を打っているだけでみるみると回復していった。
4月11日の正午、レンとその妹、花梨と待ち合わせをしていた俺は大学近くの喫茶店に入った。
昼飯時だったのでそこそこ混んでいたが、先に入っていた二人が席を取っていてくれた。
「ごめん、待たせた」
「すっかり元気そうやな。一時はどうなるかと思ったけど、良かったな」
「ご快復おめでとうございます。大事に至らず良かったです」
相変わらず大人びた小学生だな。
何はともあれ花梨ちゃんのお陰で助かったのだ。改めてお礼を言わねば。
「二人とも、本当にありがとう。特に花梨ちゃん、死なずにすんだのは君のお陰だ」
「それはご自身のお力ですよ。快復が異様に早かったのも同じ理由です。あなたは人より陽の気が数段強い。普通ならイヌガミと出会った後、目覚めずに死んでます」
「能天気と言われるのはしょっちゅうだけど陽気と言われるのは初めてだよ。それと…イヌガミって?」
「陽気ではありません。陽の気、つまり、生命力がとても強いということです。それ故に彼岸の者を惹き付ける危険もありますが」
軽くふざけたつもりが思いの外しっかり答えられてしまった。
「そしてイヌガミについてですが…これは順を追って説明しますが、まだ終わってません」
…ごくり、と思わず唾を飲み込む。
ふざけたのは失敗だったようだ。
「まず、犬の霊に遭遇した街灯ですが、キャンパスの裏手の道ですね」
詳しい場所までは伝えていなかったが、その通りだ。
「あの街灯のそばに祠があるのはご存じですか?その祠はイヌガミを祀るものです」
祠があるのはもちろん知っていたが何を祀っていたかまでは知らなかった。イヌガミ…ってのはいったい、と思っていたらレンが尋ねた。
「花梨、すまんけどそのイヌガミってのはなんなん?」
「ごめん、説明省いてた。イヌガミってのは平安時代に陰陽師が使ってた式神。主に呪殺に使われていたの。陰陽師ってのは朝敵を暗殺する為に用いられることも多くあったから」
一呼吸おいて花梨が続ける。
「威力は抜群、なんだけどイヌガミを作るにはかなり手間がかかるの。餓死寸前まで追い込んだ犬を首から上だけ出るように地面に埋めて、少し離れた場所に餌を置く。すると犬はぐーっと首を延ばして食べようとするから…そこで」
「首をはねる」
「…っ」
俺とレンが同時に息を飲む。
「こうして飢えと怨念から人間を呪い殺すイヌガミができるの」
「話を戻します。今回対峙した霊は、そのイヌガミの祠に引き寄せられた浮遊霊。イヌガミの怨念に汚染されて、イヌガミに成った、んだと思います」
少し歯切れが悪い様子。
「餌を与えられた事から正気に戻りかけた。多分。でも、そのあと立ち去ろうとしましたよね?それで犬の霊は、また捨てられると感じたんじゃないでしょうか。吠えたのは引き留めたかったから」
「それを僕は無視した…」
「犬の霊には襲うつもりはなかったでしょう。ただ一緒にいたかったんだと思います。浮遊霊のはずが祠に引っ張られて動けずにいた。だから祀られてるイヌガミに成って着いていこうとしたんです」
「ちょっと待って。イヌガミは祠に祀られてるんなら動けないんじゃないの?」
「イヌガミは呪い殺す時、術者に封印を解かれて自身だけで飛んでいきますから。今回は犬の霊が本能的にそのやり方を察知した。もしくは誰かが封印を弱める何かを…」
最後の方は声が小さくて聞こえなかったが、とりあえずイヌガミに呪われた経緯は分かった。
「なるほど、何となく分かったよ。それじゃ諸々の症状はイヌガミの呪いだったわけだ」
「厳密には異なりますが概ねそんなところです。文献によるとイヌガミに襲われた死体は食い散らかされた様になるそうですが、恐らく犬の霊の一緒にいたいという思いから、そうならなかったんだと思います。呪殺ではなく憑依。水を怖がったのはあなたの持つ狂犬病のイメージが反映されたのだと思います」
納得がいった。犬に呪われたという思いから、勝手に狂犬病を想像していたのか。
「…それで、こっからが本題なんやろ?残りは退院してからって言ってたやんな」
「…ええ」
花梨はレンの方を見て、また俺の方に向き直る。
「私はあの霊をあくまで封印しただけです。ここからどうするか、あなたに決めて欲しいんです」
「えーと、…つまり?」
「2つの選択肢があります。すぐに強制成仏させるか、供養して霊魂が自分から成仏するのを待つか。どちらにせよ結果は変わりませんがどちらにするかはお任せします」
「それってどう違うの?たとえば成仏した後とか」
「死んだ後の事は死んだことがないのでわかりません。どちらを選んでも私たちのエゴ、だと思います」
俺はしばらく黙って考えた。あいつのために、どうするべきか。生前も苦しんで、死んだあともイヌガミの怨念に飲まれて苦しんだ。エゴかもしれないけど、せめてちゃんと供養してあげたい。あの夜の後悔が胸に滲んでいた。
「…わかった。供養させてくれ。」
花梨はまるで慈母のような笑みを携えて、家型のキーホルダーを俺に渡した。
「そうおっしゃると思いました。このキーホルダーを肌身話さず持っていてください。寂しさのうちに亡くなった霊魂です。一緒にいることが供養になりますから、名前も早めにつけてあげてください」
「ああ」
俺もまた笑顔でそれを受け取った。
せめてもの償い、いや、そんなことは思わない方がいいか。
一緒にいたいから、いる。心の底からそう思った。
━━━━━━
「万事解決やな。…せっかくやしご飯食べよか!。昼飯時にコーヒーだけってのもマスターに悪いしな。快復祝いと今回の謝礼や、奢ったる。何でも頼み」
「私トルコライスっての食べてみたい!」
さっきまで凛々しい顔をしていた花梨だが、やっと小学生っぽい一面を見せてくれた。
「トルコライスって全然トルコっぽくないよ。運動部の高校生が好きそうなの全部乗せました、って感じの料理だし」
「じゃあ私にぴったりですね!昨日はそこそこカロリー使いましたし」
「いやぁ、小学生の花梨ちゃんには少し量が多いんじゃないかな」
苦笑いしながらそういうと冷たい視線が刺さる。
「わたし、こうこうせいです。なんなら高3です。LJKです」
「えっ!?」
「花梨、諦めや。一年も一緒おってウチが女って気付かん奴やで、こいつは」
「えっ!?」
そういえば昨日、お姉ちゃんっていってたな…花梨ちゃん…
いや、でも、服装は男物だし、胸だって…その…
「なーんか失礼なこと考えよるな、自分。服装は趣味や。そこそこタッパあるし、男もんのほうがシルエットに合うんや」
友達の顔なんてまじまじと見ることはなかったが、改めてみると確かに中性的で、イケメンとも美女とも見える。
一人称も気にしたことなかったけど、ウチだし。
多様性の時代。ジェンダーレス女子ってやつか。
一年も一緒にいて気付かないのは鈍感って言葉で形容できないレベルだが。
「大学連中で知らんの自分だけやで」
トドメを刺された。
「…今回はお二人ともありがとうございました。僕に奢らせてください」
「私、追加でステーキ食べたいです。あとアイスクリームも」
「ウチは、そうやなー。今度買い物付き合って貰おか、蓮司くん」
「ああ、二人ともお手柔らかに頼むよ」
なんて、笑いながらキーホルダーを触る。
(ワンッ!)
「…今、吠えた?」
「私には聞こえませんでしたが、その子との絆が出来たのかもしれませんね」
…それを聞いて俺は、「よろしく頼むよ」と微笑んだ。