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パンプキンとカカオ  作者: Han Lu
第十二章 俺たちに残されたただひとつの道だ
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俺たちに残されたただひとつの道だ その9

「あなたはこっちに」

 もうひとりのファントムがヨミを別のドアのほうにうながした。ヘルメットで顔は見えないけど、たぶん女性のファントムだ。ヨミを連れて出ていってしまった。

「ドクター・マチュアの形見なんだ」

 時計を受け取ったファントムに僕はいった。

「そうだったのか……。悪かった。あとで必ず返す。約束するよ」

 そのファントムの言葉の中にドクター・マチュアを悼むような気持ちを感じ取って、僕は少し意外だった。

 突然、部屋のどこかから女性のファントムの声が聞こえた。

「カウント、ちょっといい?」

 カウントが出て行く。

「まあ、掛けたらどうだい」

 ひとり残されたファントムが僕に話しかけてきた。床から丸い椅子のようなものがふたつせり上がってきた。腰掛けると、それはこれまで座ったことがない、柔らかな感触だった。

「そう心配することはないさ。地球はまだ完全には復旧していないけど、ここよりはずっとましなところだぜ」

 僕は答えに困った。どうやらこのファントムは僕が地球に行くものと思っているらしい。僕が何も答えずにいると、彼は手のひらを上に向けた。そこに小さな映像が現れた。写真みたいだ。女の人と子供が映っている。彼の家族なんだろう。

「もう五年も会ってないんだ。でも、ようやく帰れる。大きくなってるだろうな」

 僕が黙っていると、彼は勝手に自分の故郷のことを話しだした。目の前にいるこの人は僕たちとなんら変わることのない、ひとりの人間だった。故郷から遠く離れた場所に数年間赴任していた人。久しぶりに家族に会うことを心から楽しみにしている。でも一方で、この人は火星にいる数千万の人間の命を奪う行為に対して何も感じていないんだ。僕にはよく分からない。確かに、バーニィがいったように人間というのはやっかいな生き物だ。

 まだファントムが話を続けている途中で、ヨミが戻ってきた。カウントと女性のファントムも一緒だ。

「待たせてすまない」

 カウントがいった。ヨミの様子には特に変わったところはなかったけど、僕はたずねた。

「大丈夫?」

 ヨミはうなずいた。

「問題ない」

 カウントが壁に手をかざすと、入り口が現れて、僕たちは隣の部屋に入った。そこは円形の大きな部屋で、やはり白い壁に囲まれた場所だった。中央に、棺に似た装置が置かれていた。蓋の部分が透明になっている。カウントに促されて、僕とヨミはそれに近づいていった。

 ガラスの棺の中に女の人が横たわっていた。穏やかな顔だ。ヨミにそっくりだった。想像していたよりも若くて、そして、美しい人だった。

 ヨミがガラスに手を触れた。

「母さま」

 ヨミのつぶやきが、白い部屋にぽつりと落ちた。ヨミはしばらくその美しい人の姿をじっと見つめていた。黒い瞳の中に、彼女の姿を焼き付けようとするかのように。

 僕はカウントを振り返った。

「カウント、僕は……」

「やっぱり、残るか」

 無言でうなずく僕に、カウントは驚いた様子も見せず、溜息をついた。

「まあ、なんとなく分かってはいたよ。残念だ」

 カウントはそういって、数歩うしろに下がった。僕は視線をヨミに戻す。

 もう一度、そっとガラスに手を触れたあと、ヨミは僕のほうを向いた。

 そのときのヨミの動作はあまりにも自然だったから、僕は最初彼女が何をしようとしているのか、よく分からなかった。

 気がつくと、僕の手首をヨミがつかんでいた。

 体の力が抜けていく。

「ヨミ?」

 僕は思わず膝を着いた。

 ヨミの顔が近づいてきて、彼女の口元が僕の耳にそっと寄せられる。彼女の小さな唇から、ささやき声がこぼれてきた。

「初めて会ったときのことを憶えているか。いっただろ。世界の本当の姿を見せてやるって。だから、見てこい。私の分も。たくさん、いろんなものを」

 だめだ。意識を保っていられない。

「ごめんね、レン」

 僕の頬に、ヨミの唇がやさしく押し当てられた。

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