ショートキャンペーン"虚象"Ⅱとかいう第6話
2046.7.22
セレクトリア王国領コーレル市商業区画フェスティバルマーケット
神谷夏彦 (なつぴこ)
そも、虚象とは何か。
クエストそのものはコーレル市の行政区画に住む、とあるNPCに話しかけることで、簡単にフラグを立てることができた。
"我々コーレリアンは、遊牧民族となるさらに古、ここよりずっと南の地に一大帝国を築き上げていた"
"それが、ただ風化を待つだけの歴史の名残となってしまうのは忍びない"
"どうか、彼の地が今どうなっているのか、調査に協力してくださらんか"
古コーレル民族衣装に身を包む老齢の男性。
そんなNPCからの依頼は、そんな文言で始まる。
原作エピソード、「Thebes:彼の末路」にて、"少年"が虚象なるモノに遭遇するのも、この古コーレリア帝国遺跡での出来事だ。
そうであれば、原作をおさらいすることで、ある程度イベントを有利に進めることができるのではないか。
もちろん俺達だってそう考えたわけだ。
しかしながら、そもそもがマイナーなファンタジー小説。
TWOがこれほどのベストセラーになっているのなら、それに乗じて重版されていてもおかしくないと思えたその書籍は、終ぞ手に入る事は無かった。
「んー、これだけだと何とも」
「そもそも"何"かすらわからないな。 虚象って態々言ってるってことはそういう生物なのか? 象? ガネシャ……って、神話とかに出てくる象頭の神様……とか?」
俺ときゃみさまは、イベント参加を決めた昨日のうちに、イベント開始点であるコーレル市への移動を済ませていた。
原作エピソードになぞらえたイベントであるなら、予習のしようもあるだろうと、ひとまずコーレルに宿を取り、オフラインで色々模索してみたが、いまいち収穫はなかった。
とりあえず今後の方針をすり合わせようと、ひとまずお互いログインし、こうしてマーケットの一角にあるフードコートでバカでかいソーセージをつつきながらの相談というわけだ。
「ガネーシャ? うーん、関係あるかなぁ? ていうかネットにも情報残らないって、マイナーにもほどがあるでしょ! 原作! TWOは今や国内最大ユーザー数よ!?」
「粋ぺでぃあとかにもあんまり……宇宙部に原作本の朗読動画なんてのが有ったけど、流石に素人の音読何時間も聞いてらんないよ……あ、うま」
「なにそのソーセージおいしいの? アタシにもちょうだい。 ――ふがっ」
「おい、そんな一息に。 無茶だって……あーあー油が」
「ふぁいぎょーヴだっへ……もぐもぐ……こんなの男の子のぴー!に比べたら全然小さむぎゅ!」
「やめろ折角の肉が不味くなる」
「……なっつんだって、女の子になったんだから、いつまでも逃げてられないわよ?」
「考えたくないな」
逃げる様に。気分を変える様に。
脇のジョッキに注がれたソーダ水をあおる。
痛みに近い炭酸の刺激を無理に飲み下し、話題を洗い流したつもりになる。
「そんなことより"ガネシャ"だよ。 "少年"は"ソレ"を見たのを最後に――えーとなんだっけ? 此処では無い何処か? へ行ってしまった……だっけ?」
「まるで"異世界転移"よねー」
「だいたい、イベントNPCは遺跡を調査してくれとは言ってるけど、"ガネシャ"を探せだなんて、一言も言って無いわけだろ?」
「その辺は古参プレイヤーの推測ね。 あ、そもそも異世界みたいなとこから転移してきてるアタシたちが出会ったらどうなるのかしらね」
「出会うっていうか……遭遇するっていうか。 もしかしたらそういう生き物というより、そういう"事象"みたいなもんだったりしてな」
「象の形したブラックホール……みたいな?」
「悪趣味だな」
「アタシはこのThebesの原作者、とんでもなく悪趣味だと思ってるわよ?」
「……に、してもこれ以上の"予習"は効率悪そうだな」
「そうね、そろそろ現地へ移動しましょうか。こうしてる間にもクリアしちゃう人が居そうだし」
◇◆◇◆◇
イベント開始点は、フラグNPCがコーレル市に存在するため、ここから開始するしかないわけだが、そもそも目的地である古コーレリア帝国遺跡ははるか南に位置する。
緯度で言えばセレクトリア王国領南端の街、シュヴァイツ市と同程度。
古帝国の失陥時、遊牧民化した大多数の勢力は紆余曲折を経て現在のコーレル市に根を下ろしたが、そもそも遊牧民化に賛同できなかった一部はシルヴェリア領に流入したと言う。
"あの"シルヴェリアだ。
そも極寒の都と言われたシルヴェリア領シルヴェリア市ほどでないにしろ、セレクトリアを一歩南に外れたシルヴェリア自治領はその領内全てが雪国の様なものだ。
「……お前らその恰好で行くつもりか?」
イベント参加者でごった返すコーレル市の乗合馬車駅。運賃を浮かせるために、移動中だけでもパーティを組む相手、つまり相乗り相手を探していると、古参らしいスキンヘッドの戦士に声を掛けられる。
「あ、やっぱりー? どうしよなっつん、やっぱり寒いらしいわよ?」
「いや、俺だって知らんし」
いざイベント会場へ移動と言う段になってこの備えの悪さ。初心者臭丸出しに狼狽える俺達に、どうやら古参らしいスキンヘッドの大柄な戦士はため息をつきながら、ぽりぽりと頭を掻いた。
「んー、今時だいたいのプレイヤーが全感覚型だろ? 半感覚型なら一定時間ごとにバッドステータス治したり、LP回復したりがめんどくさいだけだけど……」
「いやぁ、残念ながらアタシもこの子も全感覚型だけど……何? そんなに寒いの?」
「ん、んー? まぁ、本人次第だけど、なんて言うか、オレなら心折れる」
「その"寒さ対策"ってのは、所謂装備品の厚着で解決する物なのか?」
「おおっと、こっちの娘はずいぶんとボーイッシュなのな。 えーと」
「なんだと? そんなの俺の勝手――」
なんならそれは、女扱いに腹を立てているのか、それとも男っぽいってとこに腹を立てているのか。それさえ曖昧な最近の自分自身にも腹立たしく、せっかく説明してくれようとしている目の前の戦士に食って掛かろうとする。
幸いにしてそれは、するりと体を入れ替えたきゃみさまに遮られた。
「なっつん、そう言うのいい加減軽く流せるようになりなさい」
「あ、と。 ごめん」
「???」
流石に何の説明もなしに俺たちの事情が分かるわけもなく、巨漢の戦士は首をかしげるばかりだ。
溜息ひとつ、きゃみさまが前に立つ。
「ああ、ごめんなさい。 この子そう言う性差の扱いに敏感なの。 それで、アタシ達今月始めたばっかで、"寒い"ってのがどのくらい深刻か分からないのよ――良かったら色々教えてくれると――」
俺に代わって戦士との会話を引き継いだきゃみさまに眼だけ詫びて、スゴスゴと後ろへ下がる。
ああ、情けない。
俺は、もう女の子なんだ。
なんなら自分で自画自賛しちゃうくらいの"可愛らしい外見"って奴にも、いい加減自覚が有る。そんなんが、口を開けば"俺"だなんだと。巨漢の戦士の反応は当然だ。
当然。
なんだ。
「――つん。 なっつんてば」
「う――は、な、何?」
自嘲の波に押しつぶされそうになっていれば、突然のきゃみさまの声に、我に返る。
「なーにーじゃないわよ。 このおじさまのとこのパーティに混ぜてもらって現地まで行くわよ。 防寒具も貸してくれるって。 ほら、お礼して」
「へ? あ、す、すみません、御厄介になります」
「いいさ。 これでうちは4人だ。4人掛けの馬車を借りてすぐにも移動を始めよう」
巨漢の戦士にそう促され、指で示された馬車に向かって歩く。
「その、さっきはすみませんでした」
「うん? まぁそう言うのは此処じゃよくある事さ。 オレの連れ合いもその手合いでね。何なら話が合うかもしれないぞ」
きゃみさまに何と説明されたのか。いやもう、完璧に俺のことネカマと勘違いしてるよな、と。しかしながら今度こそ、それに腹を立てることはなかった。
そう、事実と違っていたって、いちいち否定していたら埒が開かない。女になれってんじゃない。大人になるんだよ、神谷夏彦。
「これから馬車で遺跡の最寄りに在る遊牧中継点跡まで一気に移動する。費用は割り勘で一人2000シルバー。"セーブポイント帰還石"での帰還を想定しているから現地でのセーブは推奨しない。ま、死に別れたらそこまでの縁ってことで。ここまで、大丈夫かい?」
「ええ」
短く返事をし、きゃみさま共々巨漢が集金するに応じ、彼がNPC御者に纏めて支払いを済ます。
「よし、乗り込んでくれ」
促され、屋根付きの客室に乗り込む。
戸を開けてみれば、先客。
――そういえば連れ合いがいると言っていた。
長い金髪を緩くまとめて胸元に流す。瞑想するように閉じていた眼は、俺達の搭乗とともに開かれ、緑がかった宝石のような青だとわかる。
そんな外国人人形のような、赤頭巾を緑色にしたような格好の、可愛らしい10歳前後の少女。
まさかこの娘がその"連れ合い"と言う奴か?
搭乗口で訝しんでいれば、彼女は俺達に向かってニカッっと。年相応ともいえる様な屈託のない笑顔を見せる。
そこでようやく、彼女が荒い造りの革鞘に包まれた武骨な鉈剣を携えていると気が付く。
なるほど、俺自身が人を見かけで判断していたんじゃ、何を言われても仕方がない。きっとこの少女は、見た目に反してあの巨漢の隣に並ぶにふさわしい戦士なのだろう。
少女の出で立ちが場にそぐわぬと異を唱えるなら、そも自分たちとてキャミソールワンピースにセーラー服。どの口に言えた義理が有るのか。
意を決して会釈だけし、少女の対面へ座る。続いて何を思ったか口笛を吹きながらきゃみさまが俺の隣りへ。最後に支払いを済ませた巨漢の戦士が少女の横に腰を下ろす。
「よぅ。 お嬢ちゃんたちが今回の同伴かい? いや、華やかになりそうで良いじゃあねェか。どこで口説いてきたんだ、ロイ」
――一瞬。
誰が喋っているのかわからなかった。
と、いうか、てっきり巨漢の戦士が喋っているのかと。
しかしそれにしちゃ、話が合わないし、巨漢が喋ったにしちゃ声が高い。そもそも巨漢に話しかけているし。
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。 防寒着の事知らない風だったから、教えるついでに流れでそうなっただけっすよ、おやっさん」
今。
なんつった? うん? おやっさ――
俺は自分たちの素性の異質さなど棚に上げて、ぽかんと口を開けて、声の主――おやっさんと呼ばれた、10歳くらいの少女にしか見えない人物に目を向ける。
「ま☆り☆い☆し☆あ☆ちゃんだっつってんだろ。 一見さんの前でいつもの呼び方してんじゃねェよ、ロイ」
「いまさらっスよ。おやっさん」
その、どうにもおっさん臭いとしか言いようのない語りは、どう見ても目の前の少女から発せられている。
なんならどちらに主導権があるのか。小さな少女に成す術も無く頬をつねられて"降参"のポーズをとるのはスキンヘッドの巨漢の方。
俺が唖然としてそれを眺めていると、はたと気が付いた少女が何やら照れながら手を振る。
「あ、まー隠しゃしないけどさ。 ネカマってやつだよ。 お嬢ちゃんも似たようなもんなんじゃないの?」
そう言って俺を指すが。
「あ、いや、俺の方は説明すると長くなるんですが……」
「そ? じゃあ目的地に向かう道すがら、自己紹介と行こうか」
「――そう、ですね」
この軽さは、正直ありがたかった。