ショートキャンペーン"虚象"Ⅷとかいう第12話
2046.7.25
旧コーレリア帝国領"城塞都市コーレリア"跡
神谷 夏彦 (なつぴこ)
音が去って。
安堵に息を吐いて。
それでも続く不安に泣いて。
壁の裏に隠れて。
膝を抱えて震えて。
こんな姿、膝立てて座ったら、下着が見えるだのなんだのって、きゃみさまが見たら怒るだろうか。
叱ってくれていい。今すぐ出てきて、縋らせてほしい。
誰か。
──待てど、状況は好転せず。
ステータスウィンドウが開けることが、ここがまだゲームの中であることの証明か。
その情報を信じるならば、正午。
本来であれば、日差し昼天の時。しかしながら目の前の霧は晴れず。
状況は好転せず。
いっそ今からでも先ほどの黒い影を探して、無謀でもなんでも斬りかかってみようか?
ここがまだゲームの中だというのなら、このアバター、「なつぴこ」が死亡すれば、強制的にセーブポイントに戻されるはず。
しかし、"アレ"に感知されるという事に、何か言い知れぬ不安を感じてやまない。
そも、このゲーム。安全対策の為か、ゲーム中にプレイヤーの本体である人体が尿意を催すだけで"異常な精神状態"とみなされ、強制的にログアウトさせられる事が有るという。
しかしながら、先ほど自棄を起こしかけるほど。痙攣と呼べるほどの震え、不安、恐怖を感じておきながら、それが実行される様子もない。
今の状況は異常だ。
何らかのイレギュラーが起こっていると思った方が良い。
そして。
"アレ"は、何か、ヤバい。
アレに危害を加えられたら、その損害はゲームの範疇にとどまらぬような。
そんなオカルトじみたことを。
しかしながら思わず信じてしまいそうな、目下、状況。
でも、だ。
やはり待てど、状況は好転せず。
──動か……なきゃ。
◇◆◇◆◇
のろのろと"北区集会所"から這い出て。
未だ晴れぬ霧にウンザリしつつも。
どこへ? 知るか。 当てなんかあるか。
いや、確かここ。"城塞都市"とか言ってたな。
高い外壁に覆われた都市部ゆえ、そう呼ばれているのだろうが、だとすれば中心部に本丸……というか王城のようなものがあるのではないか。
え、ええと。
俺達はセレクトリア領から南下して旧コーレリア帝国領に入った。
城壁の裂け目から城塞都市に侵入し、最寄りの集会所が"北区"であった。
だとすれば俺たちは街の北側から侵入した。
中心へ向かいたければ、最初の立ち位置から集会所へ向かった方向にさらに進めばよい。
本当にそれでいいのか?
そんなものわかりゃしないが、待って状況が好転しないのだから、動くしかない。
◇◆◇◆◇
中心区へ向かって移動を開始。
しばらくして異変は起る。
足音。だ。
俺以外の。
これは。幸か不幸か。
いや自分で動くと決めた。なら変化は幸だ。
◇◆◇◆◇
遠ざかる足音。
かすかに残る、人跡。
足跡。下草の折れ。空気感。真新しく折れた小枝。
まるで。
まるで誘う様に、中心区へ。
霧に名残りを見、一時前に角を折れた気配。
それを、追いかける様に、中心区へ。
◇◆◇◆◇
誘われる様に歩き。
誘われる様に跳ね橋を渡り。
誘われる様に城門を潜り。
誘われる様に園庭を歩き。
誘われる様に影を追い。
誘われる様にその背に手を伸ばし。
その。肩を。掴むまで。
なんだかずっとうわの空で。
「っ! ──な、なっつん?」
振り返ったその顔がよく見知っていて、それでいて──
「高……坂……?」
ここには居ないはずの其れであったことに、特に疑問を抱くこともなく。
「──高坂!」
不安不安不安だらけで。ずっと訳が分からなくて。
そんな中見知った顔を見つけて。
思わず縋った。
「え? なっつん?」
「高坂、何なんだここ。急に霧が出てきて。一緒に来た奴らも皆居なくなっちまって」
つい安堵した。
つい気が緩んで、うまい具合にThebesになじんだ、旅装の友人。毛皮のマントにターバンといういでたちの級友、男にしては長めの茶髪の青年、高坂冬樹に縋りついて。
「あ、ああなんだろ。 僕にもよくわかんないんだけど──」
だから。
高坂がThebesに居るはずがないんだって。
「この状況は、とても都合がいいね──」
次の瞬間、園庭の舗装路に、押し倒されていた。
石畳に背を打ち付け、何ならそこはいつも通り痛いくせに。
この状況はなんだ。
正直、混乱した。
俺、今何されてる?
目の前のこいつは数カ月前に俺に愛を囁いた同級生で。
俺は今もその返事をはぐらかしたままで。
そもそもこいつはThebesには居ないはずで。きゃみさまにもそう説明されていて。
でも、今、そいつに押し倒されていて。
「ずっと──」
聞き間違えようのない。いつものアイツの声で。
そう呟きながら、高坂はおもむろに俺の服を引き裂いた。
「え」
そんな声しか出せない。
カーディガンのボタンがはじけ飛び、セーラー服の襟が見たことの無い形に萎れ。
俺、今何されてる?
「ずっと、こうしたかった──」
間を置かず。さらに下に身に着けていたシャツが引き裂かれ。
露になった下着を見下ろして、アイツ。
高坂冬樹は、見たことの無い顔で、嗤った。
「どう……して」
なんで。
アイツはこんな事する奴じゃ無いのに。
こんなこと絶対しない奴だって。
俺だけが、思っていたのか?
アイツだって普通の男子高生で。
人並みに性欲があって。
でも俺に気を使って、そんなのまるで感じさせないで。
だから、アイツだけは違うって
でもそれは傲慢だ。
俺の、そうだったらいいなっていう、押し付けだ。
我慢できるわけないじゃん。
普通の。男が。
だから。──でも。
嫌だ。 嫌。
「もう、我慢できないよ。なっつん」
何故かこの段階において、既にそうであることが何かおかしいと分かるのは、俺自身が元男だからか。──恍惚とした表情で、俺に手を伸ばす。
「い──やだ」
「すきだ。なっつん。女の子として。」
甘く。
囁きながら。
でも下卑た嗤い方をしながら。
アイツが絶対しないはずの顔をしながら。
高坂が、迫る。
指が、触れる。
生々しい感触に、背筋が震え。
くちびるが。
「嫌だ! いやっ! 高坂ぁっ!!」
自分でも情けなくなる。
女みたいな声で、泣き叫んで、アイツを振り払おうとした。
その手は空を切った。
その手は、空を切った。
何が起こったかわからず。
しばらく目を閉じて身を硬くして。
荒い息を吐いて。
混乱しながら眼を開けてみれば、そこにはもう、高坂の姿は無くて。
気がついて、見れば──
引き裂かれてびりびりになっていたはずの衣服は元に戻り、まるで、全部。
全部。俺の。妄想だった。みたいに。
「っく……は」
涙が、自分の頬を伝うのがわかった。
「はは……ははははは……」
悔しい、んだろう。多分。
俺は今、怒っているんだろう。
ムカついてるんだろう。
子供の癇癪みたいに怒って、それで、きっと。
涙が出ているんだろう。
これも、幻なら。
Thebesに誘発された俺の自意識だ、って。いうなら。
この世界は、どれほど俺を弄べば気が済むんだろう。
悔しくて。
恥ずかしくて。
ムカついて。
涙を止められなかった。
「あははははははははははははははははッ!!!!」