ショートキャンペーン"虚象"Ⅵとかいう第10話
2046.7.25
旧コーレリア帝国領"城塞都市コーレリア"跡
神谷 夏彦 (なつぴこ)
『今は利用できない機能です』
呆然と。
再び目の前に表示された、簡潔なメッセージを眺める。
はは。
え。なに。
どういうこと?
俺、今ログアウトしようとした、ん、だよな?
できない。なんて言われる事が有る可能性にこれっぽっちも思い当たらなかった。じゃあこれはなんだ? ログアウトできないって。つまりどういうことだ?
全感覚投入型のVRゲームにログインしてんだぞ? 今、俺の脳波は実際の体から一時的に遮断されて、ゲーム内のアバターである「なつぴこ」に疑似接続されている。はずだ。
それが解除できない? それって永久にバーチャルの世界でしか生きられない。この世界がサービス終了したら存在ごと消えてしまう様な、あやふやな存在って事? 何だよそれ。なんだよ、それ。
「冗談じゃ――」
正直、この時点で。
冷静では、なかった。
今、自分の意識が操っているこの体が、途端にどうしようもなく脆い物の様に思え、不安に駆られ、震えながら目の前で手のひらを広げる。
「ふざけんなよ……ふざけんな……」
うわごとのように繰り返しながら、不具合発見時にスタッフを呼びだす目的の「GMコール」のキーを何度もたたく。
押した回数だけ、無情に表示され、履歴に流れて行く
『今は利用できない機能です』
の文字列。
◇◆◇◆◇
正直発狂しかけた。
何だよそれ。って。
ログアウトも。外部との連絡手段すら。
全て『今は利用できない機能です』の一点張り。
じゃあ何? 俺、もうこの世界から出られないって事?
一生このThebesの世界から出られず、このゲームサービスの終了時にサーバーデータと一緒に消えてしまうだけの存在ってわけ?
泣いて、喚いて、ログアウトも、GMコールも、肩が外れるくらい何度もキーを叩いた。
『今は利用できない機能です』の文字列はもう見飽きた。
そうしてどのくらい経ったか。
ステータス画面のリアル時刻表示を信じるなら、2時間ほどそうして、喚いて。
いや、暖簾に腕押し、無駄な努力も疲労するほど繰り返していればどこか冷静になるもんで。
まて。
「今は――?」
あり得ないだろ。と、自分の中で否定しつつ。
しかしながら、これが。
ここまでがクエストの演出の一部であるわずかな可能性にかけて。
俺は、へたり込んでいた城塞都市の外壁から立ち上がった。
いざ行動を起こしてみると。
というか、これが本当にクエストの演出で在ったならば。
俺はまんまと絶望して大泣きしてくれたピエロだ。
そう思うと急に、羞恥にも似た怒りに奮い立ち、するにそぐわぬ防寒着の袖で涙を拭った。そしてこんな状況でも律儀なまでにリアルに、スカートに纏わり付く砂埃にイラついた。
「くそ……だとしたら、悪趣味にもほどがあんだろ……」
未だ早朝のように霧掛かる城塞都市内を歩き始める。
ここまでそこそこの時間を此処で過ごしたが、霧が晴れるわけでも、朝が訪れるわけでもない。
恐らく、夜明け前のように見えて、この状況は時間経過によって好転しない。
そう見切りをつけて、歩き出す。
当てもなく?
いや――当てって程でもないけど。
俺はこの状況でも取り出す事の出来た、例の羊皮紙の地図を手に、合流地点だと決めた"北区民間集会所跡"を目指した。
◇◆◇◆◇
正直この状況で。
自分の思い通りに成る事が一つあるだけで、こんなに心救われるとは。
今現在、霧がかかった後のこの"城塞都市コーレリア"は地図と合致した。
しかしながら、やはりどこか様子がおかしい。
まず第一に、今、俺の目の前に広がるこの城塞都市は先ほどまでのように風化していない。
作りがローテク。つまり建築の技術はそのままに、石造りの街並みが、しかしながらこんな霧でもかかっていなければ壮大な景観を見せていよう。寸分の欠けもなく並び立つ。
おかげで迷うことなく"北区民間集会所跡"まで来ることができたが。
が。
「跡……てさ」
跡、と表現するには余りにも剛と聳え立つ大型建築。
集会所というにふさわしい、平屋ながら規模の大きい建物の前に、俺は訝しんでそれを見上げていた。
やはり風化していない。
もちろん、俺の仲間どころか人影の一つも、ない。
ならこれは。
今の状況は、没落する以前のコーレリア帝国をタイムスリップして追体験するような、そういうクエスト演出だろうか。
どちらにしろ動かねば事態は好転しそうにない。
作りがしっかりしているとはいえ、夜明け前のような薄暗さ、それに加えてこの霧だ。
集会所の内部を探索しようとして、何か灯りになる物は無いか、と仮想ストレージを眺めていた。
その時。
だ。
こ─────────ん。
この音は。
どこかで聞いた。
鉄琴の低音を思い切りぶっ叩いたような、重く、響く音。
嗚呼そうだ。周囲の状況ががらりと変わって、こちら側に一人、隔離された瞬間に、同じ音が鳴っていた。
と成れば。
俺はもうその音に対して凶兆しか感じることが出来ず、音の出所を探す。
こ─────────ん。
後方。
今、自分が歩いてきた方向にそれを感じ、内部確認ができていない不安を振り切って、集会所の内部へ飛び込む。
一先ず周囲だけを安全確認し、戸のない入口を音もなく潜り、石材に隙間を開けただけの窓から外の様子を窺った。
こ─────────ん。 ざし。
音はとてもゆっくりと、しかしながら聞こえ始めた時から定期性を持って、そして着実にこちらへ近づいてきた。
こ─────────ん。 ざしっ。
こ─────────ん。 ザシッ!
ある程度近づいて、気づく。
音のすぐ後に、何か、引きずるような音が続く。
集会所の窓――石材の隙間から覗き見る霧の中に、何かが見えた気がした。