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蒼い恋は桜の季節に鎮む  作者: 沙羅咲
1/1

桜の季節、転校生

はじめまして。

沙羅咲です。

拙い文章ではありますが、ぜひお楽しみいただければ幸いです。



春の香りが鼻を擽る。

彼が目を開けると、そこは美しき桜の世界。

まるで、桜吹雪の中心に迷い込んでしまったかのように目前に広がる桜の花弁。

彼は桜が生きる、小さな小川の辺りに佇んでいた。

どうしてここにいるのかは、彼自身もわからない。

ただ、不思議と恐怖はなかった。


「〜〜〜様!!」


ふと、誰かを呼ぶ声がして、そちらを振り返る。

手を振りながら走ってくるのは、女の子らしい。

桜色の艶やかな髪に、自分よりも20cmほど小さな背丈の彼女。

ただ、その顔ははっきりとしない。

どこかぼやけていて、誰なのか認識することができない。

彼女は、彼に近づいてくる。


「どうしたのですか?そのように呆けて」


可愛らしい声だと思った。

肩あたりで切り揃えられた髪は、春風に揺られてふわふわと揺れ動く。


「いや、なんでもないよ」


彼は、優しく笑った。

多分、とても愛おしそうな目で彼女を見つめながら。

二人は、目前に広がる桜並木を並んで眺める。


「…君と同じだ」


彼がぽつりと呟いた言葉に、彼女が不思議そうに見て、何かを閃く。


「あぁ、そうですね。この子達とわたしは同じです」


嬉しそうに、ただどこか切なそうに目を伏せる彼女。


(そんな顔をするな)


思っていても、口には出せない歯痒さに、彼は目を背けるように再び桜を見つめる。

この時間が、永遠に続けばいいのに。

そう願いながら、彼の意識は混濁し始めーー。









ピピピピッ……ピピピピッ……


「んんっ……」


カーテンの隙間から朝の光が部屋に差し込む。

スマホのアラームで、意識を急激に現実に引っ張られた彼は、ベッドの上で起き上がった。

時刻は6:30。

昨日はちゃんと眠れたらしい。

大きなあくびを一つして、彼ーー真田(さなだ) 蒼介(そうすけ)はベッドから出た。


「また、あの夢か…」


顔を洗い、身支度を整え、朝食を摂って家を出る。


「いってきます」


学校へと向かうその道中、蒼介の脳内にあるのは、今朝見ていたはずの夢だった。


物心ついた頃から、時折見る夢がある。

桜並木がある小さな小川の辺りで、桜色の髪の女性と黒髪の男性が一緒にいる夢だ。

蒼介は第三者目線でそれを見ている。

二人とも顔がはっきりせず、誰なのかはわからない。

会話の内容はまちまちで、また蒼介自身も忘れていることもあるかもしれない。

それでも、決まって同じ二人が夢に登場するのだ。

最初こそ少し不気味だったものの、怖い夢ではないため、日常に害は出ていない。

昔見た映画かドラマが夢に影響しているのだろうと、蒼介は思っている。


ふと頭上を見上げると、夢と同じ桜が咲いていた。


「桜……」


「そーちゃんっ!おはよ!!」


物思いに耽っているところ、後ろからドンっと衝撃を受け、蒼介は前につんのめった。

その声の主を、彼は知っている。


「…おい、急に飛びついてくんなっていってるだろ!莉乃」


背中に抱きついている彼女ー(たちばな) 莉乃(りの)を制しながら、蒼介は体勢を立て直す。

莉乃は「ごめんごめん」と口先だけの謝罪をしながら、蒼介の隣に並んだ。


莉乃はこの町ーー美丘町の有力者といわれる

(たちばな) 宗次郎(そうじろう)の孫娘だ。

それでいて、昔からこの周辺を治めていた橘家の御令嬢。

本来、蒼介が仲良くできるような身分ではないらしいが(父親談)、家が近かったこともあり、幼馴染としてよく遊んでいた。

腐れ縁もあってか、今も同じ美丘高校に通っている。


「ねぇねぇ、蒼ちゃん!今日、転校生が来るらしいよ!!」


そんな莉乃が目を輝かせながら、蒼介に話を振る。


「は?なんでそんなこと知ってんだよ」


「それがね、昨日の始業式のとき、転校生っぽい子が峯岸先生の隣にいたんだって!!」


「峯岸…あぁ、新しい担任か」


「もうっ!!担任の名前くらい覚えなよ!」


莉乃は、正直だ。

自分の感情に真っ直ぐで、表情がくるくると変わる。

だから、彼女を嫌う人はいない。

最初は妬んでいた女子生徒も、莉乃の明るさに毒気を抜かれ、いつの間にか友達になっている。

そんな莉乃を、蒼介は誇りに思うし、少し羨ましくもあった。

蒼介は高い身長と鋭い眼光のせいで、大体の第一印象がよくない。

さらにあまり喋る方でもないから、誤解を生みやすい。

別に、友達が多ければいいとは思わないが、やはり少しだけ寂しい気持ちもある。


「でね、その転校生、すごい美少女だったんだって!!」


「へー」


莉乃は熱く語っているが、蒼介は正直あまり興味がなかった。

テレビの中の女優然り、モデル然り、蒼介には世の中で美しい・可愛いといわれるような感覚が疎いらしい。

隣にいる莉乃も高校1年のときにミス美丘に選ばれるほどの可愛さらしいのだが、蒼介はそういう目でみたことがない。


「ほんとに蒼ちゃんはそういうのに興味示さないよねぇ」


「まぁ、興味ないからな」


なぜか少しがっかりしたような表情をした莉乃に気づかないまま、ふたりは桜並木の下を歩いていく。

今日もいつもと同じ“日常”が始まる。

そう思っていた。



カシャッ…


不意に、シャッターを切る音が蒼介の耳に届いた。

何気なくその音を追うように目を向けた先。


「……!」


その瞳に映ったのは、枝垂れ桜の下でカメラを覗き込む、一人の少女の姿。


切り揃えられた前髪に、春風に靡く艶のある黒髪。

肌は日本人とは思えないほどの白さで、その頬は上気したように少し赤く染まっている。

舞い散る桜の花弁の中にいる彼女は、まるでこの世のものとは思えない程の儚さを纏っていた。


ふと、彼女が笑う。

その笑みは枝垂れ桜に向けられていて、どこか哀しげなものだった。


「どうしたの、蒼ちゃん?」


「え……あ、いや…」


立ち止まることはなかったものの、一点から目を逸らさない蒼介を不思議に思った莉乃が、肩を揺らす。

ハッとした蒼介も、莉乃の方へと目線を移し、何でもないと首を振った。

莉乃はそんな様子に気にすることもなく、「急ごう!」と蒼介の前を走っていく。


「………。」


莉乃の後ろを追いかけるように、蒼介は走ろうとするその直前。

もう一度、先程の枝垂れ桜を見てみたが、もうそこには彼女の姿はなかった。





蒼介と莉乃の通う美丘高等学校は、美丘町で唯一の高校だ。

全校生徒は500人程度、一学年5〜6クラスで構成されている。

自然が豊かで長閑なこの町の空気に当てられてなのか、美丘高校もどこかやわらかな空気で問題が少ない高校だ。


蒼介と莉乃は2年C組の同じクラスのため、二人並んで教室へと入る。


「おはよ〜!!」


「あっ、莉乃おはよ!」


廊下側の席の莉乃は、近くで話していた女子たちの輪へと入っていく。

蒼介の席は窓際のため、自然と会話が終了し、それぞれが席へと向かっていった。


「あらあらまぁまぁ、今日も仲良くご登校ですかぁ?蒼介くんよぉ」


「……五月蝿い」


蒼介の方は、わざとらしく莉乃と蒼介を交互に見ながらニヤニヤと笑う男子ーー日野(ひの) 拓馬(たくま)が近づいてきて、肩を組まれる。

拓馬は同じ剣道部の仲間であり、蒼介が一番楽に付き合える友達だ。

ちなみに、剣道部では部長の役職についている。


「だってさぁ?ずるいじゃんか、あんな可愛くて性格もいい幼馴染がいるなんて!!お前の前世、どんな徳を積んだらこうなるんだよ」


「さぁな。どんな徳を積んだらこんなバカな友人ができるんだろうな」


「あっ、ひどい!!俺のこと友人って言ったな!?親友だろ、馬鹿野郎」


「そこかよ」


最初は騒がしくてどこかズレている拓馬のことが苦手だった蒼介だが、決して人を傷つけない話術と愛されキャラのこの男に、次第に絆されていった。

何より、一緒にいて心地よい。

ただし、やっぱりうるさい。


「なぁなぁ!!それよりさ、聞いたか?うちのクラスに超絶美少女の転校生が来るって!」


「あぁ、莉乃が言ってた」


「どんな子なのかなぁ〜?ふわふわ系の端本○菜ちゃん系の子かなぁ?それとも、ボンっキュッボンっな外国人系の子かなぁ?」


「さぁな。端本○菜も知らないし、ボンっキュッボンっも興味ない」


拓馬の話を聞き流しながら、蒼介は1限の準備をしていく。

新しいクラスになって、早2日。

クラス中がこの話題で持ちきりのようで騒がしい。


「お前、楽しみじゃないのかよ?転校生だぞ?美少女だぞ!?」


「さぁ?まぁ、お前に新しい彼女ができることを祈ってるよ」


ホームルームが始まるチャイムが鳴る。

拓馬は口を尖らせながら、自分の席へと戻っていき、クラスの皆が席についた。

数秒後。

担任の峯岸が、出席票とともに教室へと入ってくる。

その後ろについてきたのはーーー


「え……?」


今朝みかけた、少女だった。


教室にいる全員が、息を呑む。

艶やかな黒髪を胸元まで下ろし、歩くたびにサラサラと聞こえてくるかのように軽やかに揺れる。

肌は白く、身体は華奢。

まるで繊細な人形のようだ。

口元と頬は薄く桃色に色づき、その姿は“可憐な美少女”そのものだった。


「えー、ホームルームを始める前に、転校生を紹介する」


峯岸が黒板に彼女の名前を書いていく。


『佐倉 寂愛』


彼女に似合わない峯岸の汚い字で書かれたその名は、何で読むかわからない難読漢字だった。


「じゃあ、自己紹介を」


「はい。佐倉(さくら) 寂愛(しずめ)です。よろしくお願いします」


凛と響く声。

綺麗な所作でお辞儀をする彼女ー寂愛は、どこか清廉さと高貴さを纏っていた。

興奮を抑えきれない様子で周りと話し始める人、ぽかんとした様子で彼女を見続ける人、すでに彼女に恋心を奪われた人。

男女問わず、この日から佐倉寂愛は注目の的となった。

そして、そんな寂愛の席はーーあろうことか

、その外見に興味を示さない、蒼介の隣となった。





……………………………………………………




佐倉(さくら) 寂愛(しずめ)がこの美丘高校に来てから、1ヶ月。

転校して間もない頃は、それはもう大変な騒ぎだった。

『2年C組に1000年に1人の美少女が転校してきた』との情報が学校中を駆け巡り、連日教室前の廊下は見物人でごった返していたのだ。

寂愛本人も話すのが得意でないのか、何を聞かれても曖昧に笑うだけのことが多かった。

自分のことを語らない彼女に代わって、噂もたくさん流れていた。

 

「大手芸能事務所に10回スカウトされたけど、全部蹴ったらしいぞ」


「由緒正しいお家のお嬢様なんだって」


「芸能人の両親をもった、第2世なんでしょ?」


「元財閥の御令嬢って聞いたけど…」


「いや、金持ちの愛人の子で、東京の家から追い出されたんだって」


「孤児院で育ったって言ってた」


「男関係がやばいんだって。モデルの彼氏、1週間でポイしたって」


「一個上の真崎先輩、告白して振られたんだと。お前みたいなブスと付き合うわけないって言われたってマジ?」


羨望を含んだものから下世話なものまで、彼女の話題は1ヶ月経った今でも無くならない。

寂愛もその噂を聞いても、柔らかく笑って受け流すだけだ。

どれが本当なのかもわからない。

だからこそ、余計過激な噂が流れてしまう。


(まぁ、俺には関係ないけど)


隣の席になった蒼介としては、最初こそ驚いたものの、すでに関心を失っていた。

むしろ、休み時間になると隣の席に人が群がるので、辟易しているくらいだ。


(いつになったら日常が送れるのか…)


蒼介は大きなため息をついて、現実逃避をするかのように窓の外へと視線を向けた。




事が動いたのは、その日の4限だった。


「あの、教科書見せてくれませんか?」 


授業が始まってから数分後、右隣の寂愛からこっそりと話しかけられた。

蒼介がみると、たしかに机の上にはノートとプリント、筆箱しかない。


「忘れてしまって…」


恥ずかしそうに俯く寂愛をみて、蒼介は使っていた教科書を寂愛に差し出した。


「ほら」


「えっ、」


「いーよ、貸す」


見てくれはデカくて目つきが悪く、不良に見えなくもない蒼介だったが、中身は真面目なただの高校生だ。

昨日の夜はちゃんと予習してきたし、今日はおそらく指されることもない。


「でも……」


「平気。それに佐倉、今日当たるだろ」


このままの進行度でいくと、ギリギリ寂愛が指される部分までいく。

机をくっつけて二人で見る、という選択肢も無いわけではなかった。

だが、ただでさえ噂が一人歩きしている寂愛にいらない誤解を増やすのもどうかと思ったのだ。


(だったら、本ごと貸した方がいい)


少しだけ逡巡して、寂愛は結局その教科書を受け取った。


「ありがとう、真田くん」


「おう」


他愛もない、言ってみれば面白みもない会話。

それでも、お礼を言った時の寂愛の凛とした笑顔は、普段見せているような笑顔とは少し違うような気がした。


 




放課後、時刻は18:00。

剣道部に所属する蒼介は、部活を終えて教室へと向かっていた。

本来ならば部室に荷物を置いているため、教室には戻らないのだが、今日は忘れ物をしてしまったのだ。

同じく剣道部のマネージャーである莉乃には先に帰るように言ってある。

急ぐことはないと思いながらも、小走りで廊下を駆けていく。


教室に入ろうとドアに手をかけたところで、小窓から人の影が見えた。


(…?誰かいる…)


教室は西日が差していて逆光。

その後ろ姿だけでは誰だかわからない。

ただ、窓際で外を眺めているように見えた。


ガラガラ……


蒼介がドアを開けて中へ入るのと同時に、人影がこちらを振り返る。


その人物は、佐倉 寂愛だった。


「…おう」


なんて話せばいいのかわからず、蒼介は無難に軽く手をあげた。


「おつかれさま」


こちらをまっすぐに見る寂愛は、口角を上げただけの顔でそう言った。


いつもの笑顔では、ない。

笑っては、いなかった。


「なんでこんな時間にいるんだ?」


寂愛への違和感に気づきながらも、蒼介は自分の目的を達成するために席へと、寂愛の方へと近づいていく。

そして、目にした。


彼女の机に油性ペンで書かれた、ひどい言葉たちを。


『ビッチ』


『死ね』


『消えろ』


『調子乗んな』


『愛人の子』


机の中には白い一輪の百合が、頭を覗かせている。


「…おい、これ……」


完全にイジメだ。

隣の席だったのに、そんな素振りがあったなんて知らなかったし、気づかなかった。

いや、蒼介が目を向けなかっただけで、前からこんなことがあったのかもしれない。

唖然とする蒼介に対し、寂愛は驚くほど冷静だった。


「あぁ、大したことじゃないよ」


強がりとか、悔しさからくる声色は、全く感じられない。

本当に、気にしていないような表情だった。


「いや、でも、こんなこと…誰が…」


「さぁ。探すつもりもないし、知りたいとも思わない。もし私が告げ口をしてしまったら、教師や親から怒られて傷つくのはその子たちだしな」


寂愛の方へと目を向けると、彼女は窓を背に向け、その机を慈しむかのように眺めていた。

蒼介はそこで初めて、この違和感の正体に気づく。


(口調…それから雰囲気も…違う)


「佐倉……お前、こっちが素か?」


「ご名答」


驚きを隠せない蒼介をみて、寂愛は心の底から楽しそうに凛と笑う。

それは、みんなが見ているようなお淑やかで感情ののっていない笑顔ではなく、どこか楽しげな蠱惑的な笑顔だった。


「私は自分の顔に興味がないのだが、周りはそうでもないらしい。だからこそ余計なことは何も喋らず、お淑やかに、静かに暮らしているのが一番楽なんだ」


女の子っぽい口調も、この容姿と合っていただろう?とスカートを軽く翻す。


「…こんなことされて、悲しくないのか?」


「悲しい?…んー、それはないな。どちらかと言えば愛らしい、だな」


「は?なんで…」


「可愛いだろう?皆、誰かのようになりたくて、認められたくて、このようなことをするのだから」


「でも、嫌がらせを受けたら嫌な気持ちになるだろ」


「…どうだろう?なんて言い表せばいいかわからないが……こう……母親的な感覚?だな。赤ん坊が悪戯をしても、母親はあまり怒らないし、その様子をむしろ愛らしいって思うだろう?」


蒼介は言葉を失った。

目の前の少女は、自分に嫌がらせをしている相手のことを『愛らしい』と言ったのだ。

そこに、他意は感じられない。


彼女からは、恨みや悲しみは一切感じられない。

あるのは、相手を思う慈しみだけ。

同じ位置に、高さに、立場に、最初から彼女は立っていない。

言うなれば、はるか上からこの幼稚な行動を見下ろして、笑っているかのようだ。


「まぁ、これでは明日の授業が受けられないから、流石に消すけどな」


寂愛はそう言って教卓の上に置いてあったアルコールスプレーとティッシュを持ってきて、悪意のあるその文字たちを消し始めた。


(変な奴……)


「……ん」


しばらくぼーっとその様子を眺めていた蒼介は、寂愛に向かって手を出す。


「ん?」


「…手伝う」


その言葉に目をパチリと瞬かせた寂愛はふふっと吹き出し、笑った。


「ふっ……、助かる」


「……何がおかしいんだよ?」


「いや、顔と言葉が一致していないなと思って」


不機嫌そうな顔そのもので、手伝うと言われても…と笑いを堪えない寂愛に、蒼介はさらに不貞腐れた。


「余計なお世話だ」






30分ほど机を擦りまくり、ようやく綺麗になったそれを見て、蒼介は不思議な気持ちになった。

二人で教室を出るころには陽はもうすでに落ちていて、街灯がつき始めている。

校門に着くまで、お互い口を開くことはなかったが、蒼介はその空気が嫌いではなかった。

校門に着く直前、口火を切ったのは蒼介だった。


「なぁ」


「ん?」


「聞いていいか?」


「何だ?」


「俺の他に、素のお前を知ってる奴はいるのか?」


「いや、クラスには…この学校にはいないな」


「…じゃあ、どうして俺に素を見せたんだ?」


机の悪口を消しているときにも、ずっと考えていた。

なぜ、彼女は自分に素をみせたのか。

1ヶ月隣の席だったが、別に話という話はしていないし、友達というにはあまりに薄すぎる関係だ。

なのに、寂愛は自分に素を見せた。

その理由が、どうしてもわからなかった。


寂愛は少し悩むふりを見せ、まっすぐな目でこたえた。


「いい奴だと思ったから。

真田蒼介になら、見せてもいいと思ったからかな」


“真田蒼介になら”見せてもいい?

そう言った寂愛の表情は、何故か蒼介の目に強く焼きついた。


「手伝ってくれた今日の礼に、私も一つ秘密を教えよう」


「秘密?」


手招きをされて屈むように顔を近づけると、そのタイミングでネクタイをぐいっと引かれる。


「っ!?」


一気に近づく顔の距離。

彼女の香りが風の勢いに乗ってフワリと香る。

蒼介の右耳のすぐそばに、寂愛の声が届く。


「私、素ではあんまり笑わないんだ。本当に面白いと思った時しか、笑わない」


寂愛はそう言ってネクタイから手を離すと、蒼介とは反対の方向へと歩き出す。


「じゃあな、“蒼介”」


響く鈴のような凛とした声。

それは、蒼介の脳内にも波紋として伝わりーー


「……え?」


真っ赤になった顔のまま、しばらくボーッとその後ろ姿を眺める。

初めて名前で呼ばれたことに気づいたのは、家に帰ってシャワーを浴びていた時だった。









その日から、蒼介に対する寂愛の態度は180度変わった。

今までは蒼介の方を見向きもしなかったのに、事あるごとに話しかけるようになった。

しかも、素の方の、気取っていない喋り方で。

他の人が周りにいるときは、特に絡んではこないのだが、取り巻きがいなくなると遠慮なしに話しかけてくる。


今日もそうだ。


「蒼介、見た目はアレなのに頭はいいんだな」


5限の現代文テスト返却の際には、人の答案用紙を勝手に覗き込み、この言い様だ。


「おい、アレってなんだよ。失礼だろ」


「だって目つき悪いし、竹刀持ってると完全にヤカラだろう、?」


「人が気にしてることをヅケヅケと…。そういうお前はどうなんだよ?」


「もちろん、満点」


「……面白くねー…」



蒼介は、寂愛に対して1つわかった事がある。

それは意外と口が悪い、という事だ。


ちなみに、これが他の人との会話となるとーー


「寂愛ちゃん!テスト、どうだった?」


「えと、今回はよかったです」 


「どれどれ〜?え、満点じゃん!!さすが寂愛ちゃん、頭いいな〜」


「そんなことないですよ」


……この変わり様である。


(猫被りめ)


ただ、寂愛のことが嫌いなわけではなかった。

寂愛は面白い。

蒼介や、他の人が思う常識や思考が、寂愛にとっては違ったりする。

新しい考えや価値観を知る事ができる。

いつのまにか寂愛は、蒼介のテリトリーの住人になっていた。




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