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弐.お小姓様の苦労

 城内、宰相の執務室。つまり、雪原の部屋。

 二間続きのこの部屋は、手前の控えの間と、その奥にある、雪原が主に使っている部屋から成る。


 入ってすぐにある控えの間はこじんまりとしていて、窓辺に文机が一つ置いてあるくらいで何もない。

 ここに来る部下たちは、この部屋から雪原と話す。

 奥の部屋にまで入ることはめったにない。


 一方その奥の部屋は、雪原が使う実質的な執務室。

 そのはずだ。

 だが、部屋の中には地球儀や天体望遠鏡のほか、珍しい舶来品があれこれ置かれ、そのうえ、畳の上には本が山積みにされていて、部屋全体がごちゃごちゃと散らかっている。


 ほとんどが、明らかに雪原の趣味の物だ。


 舶来品が多いのは、雪原がもともと外交官だったからだろう。雪原は、海外に興味が深い。

 また戦の後、外交を断つ政策「封国(ふうこく)」が廃止され、海外文化が一気に流れ込んできていることも影響している。


「今回も異常なし、ですか」


 雪原はそう言いながら報告書をしまった。その表情に、安心の色はない。少々ため息のような息をもらすと、切り替えて、柚月に微笑んだ。


「ご苦労様でした」


 開け放たれた襖の先、控えの間で、柚月は小姓らしくかしこまり、「いえ」と一礼する。


「で?」


 雪原は足を崩すと、肘置きについた手で頬杖をついた。


「今回も、夕飯だけ食べて帰ってきたのですか?」


 何を期待しているのか、雪原はニヤニヤしている。

 悪い顔だ。

 柚月は、あきれているのが顔に出ている。


「そうですけど」


 淡白に答える。

 雪原は、柚月の顔を覗き込むようにじっと見つめた。


「私に遠慮せず、遊んできていいのですよ? 代金なら払ってあるのですから」


 雪原は確実に面白がっている。


「いえ、結構です!」


 柚月は食い気味に、きっぱりした口調で断ち切った。

 朝帰りなどしてみろ。なんといってからかわれるか。雪原の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

 柚月もだんだんこの主のことを学習してきている。


「そもそも、なんで遊郭なんですか」


 柚月は少々、ふてくされたように頬を膨らませる。

 秘密裏に調べていることだ。城内で報告書を受け取るのを避けたいのは分かる。

 だが、なぜ、よりにもよって。

 ほかにも場所はあるだろう。


「今回に限ったことではありませんよ」


 雪原は座りなおした。


末原(まつばら)は、もともとそういう役目もあるのです。ほら、あそこだと皆丸腰でしょう?」


 遊郭の見世では、皆入り口で刀を預ける。


「都ができた当時はなおさら。まだまだ世は荒れていたでしょうからね。武器を持たずに膝を突き合わせて話せる場所ですから、密談とか、密書のやり取りとか。そういう、内緒でやりたいことに使われてきたのですよ。まあもっとも、今ではそんな使われ方すること、めったにありませんけど」


 都ができたのは、戦国の乱世の終わり頃。末原(まつばら)の歴史も同時に始まった。

 二百年を越える。


 当時は大きな戦は収まってはいたが、まだまだ平和とは言えなかった。そのため、武器を持たずに会談ができる場が必要とされ、その一つとなったのが、遊郭だったのだ。


「ま、あそこは秘め事の巣窟(そうくつ)ですからね」


 雪原は思わせぶりに、顎を撫でた。

 柚月は納得しきれず、まだふてくされたような顔をしている。


「でも、なんで白玉屋なんですか? 場合によっては、迷惑をかけることにもなるのに」


 密書のやり取りに関わっているのだ。争いに巻き込まれかねない。どんな義理があって協力するというのか。柚月はずっと引っかかっている。


「ああ、あそこは、雪原家お抱えの見世なのですよ」


 雪原はけろりと答えた。


「え?」

「ほら、雪って、白い玉でしょう?」


 柚月は空から落ちてくる雪を想像した。


「まあ」

 白くて丸い、と、言えなくもない。

「それで『白玉屋』ですか?」

 雪原家の「雪」をもじった屋号、ということらしい。


「ええ。雪原家だけではありませんよ。政府で代々栄職を務めるような、ほら、所謂、名家と言われる家は、だいたい末原(まつばら)にお抱えの見世を持っていますよ。中には抱えていた家の方が没落して、見世だけが残っているものもありますけど」


 今度行った時に、ほかの見世の屋号も見て見たらどうです? と雪原は笑った。


「だから気兼ねせず、遊んできていいのですよ?」

「結構です!」


 会話が振り出しに戻った。雪原は頬杖をついて、ニヤニヤしている。どうもこの主は、小姓で遊ぶのが好きらしい。


 柚月はムスッと頬を膨らませた。ただ茶化されて、ムキになっているだけではない。柚月の脳裏には、白峯の顔が浮かんでいる。


 初めて会った日、白峯が雪原に見せた笑み。

 雪原にだけ見せた笑みだ。

 腹の内を見せない花魁の顔がわずかに崩れ、微かに見せたその笑みには、雪原への親しみがにじんでいた。

 それに気づかない雪原でもないだろうに。


 雪原は相変わらず、ニヤニヤと柚月を見ている。

 柚月はため息のような息を漏らした。


「雪原さんこそ、たまには顔を見せてあげたらどうです」


 ぼそりと言うと、雪原が聞き返す間もなく、「失礼します」と一礼して下がっていった。


 その様子を、雪原はくすくすと笑いながら見送った。

 が、障子戸が閉まり、柚月の足音が遠のいていくと、日暮れが近づき、薄暗くなった部屋の中で一人、人知れずため息を漏らした。


 柚月もため息交じりだ。

 雪原への報告は、いつも余計な体力を使う気がする。

 ぼりぼりと頭を掻きながら廊下をあるいていると、秘書室の前まできていた。秘書官たちが、あわただしく書類に追われている。


 この部屋では、全国から上がってきた様々な報告をまとめ、雪原に提出する報告書が作られる。

 膨大な量の情報を、わずか二十人ほどの秘書官で処理しているため、いつも忙しく、室内は殺気立っている。


 さらに、その秘書官たちは雪原が直々に選任したとあって、雪原への忠誠心が熱い。

 そうなると、もれなくついてくるものある。


「これはこれは、お小姓様。今日はご出勤ですか? 随分お久しぶりですね」


 秘書官の一人、橋本が、呼び止めるように柚月に声をかけた。廊下の柱にもたれかかって腕を組み、見下ろすような視線を柚月に向けている。

 橋本の方が、柚月より頭一つ分ほど背が高い。だが、この視線はそのためではない。


 柚月が登城したのは三日ぶりだ。

 それをわざわざ「随分お久しぶり」というあたり、この男の気持ちが表れている。


「最近は、南の方へのお勤めがお忙しいようで」


 末原のことだ。


「ええ、まあ」


 柚月は適当に返した。

 いつものことだ。ただの嫌味だと分かっている。相手にする気はない。


 だが、橋本はしつこい。

 柚月が歩き出そうとすると、それを止めるようにたちはだかった。


「ふらりふらりと気が向いた時にいらっしゃったかと思うと、雪原様のお部屋に入られたきり。ちょっとお話し相手をされたら、もうお帰りになる。よく働くお小姓様だ。雪原様も、よくお叱りもせずお傍に置かれる」


 ねちねちと言いよってくる。

 柚月は「めんどくさいな」と思い始めたが、それを隠してすっと感情を見せない顔になると、橋本を見上げた。

 

 仕事の顔だ。

 

 橋本は、この顔がまた(かん)に障る。「気に食わねえんだよ、お前」と言わんばかりの目で柚月を睨みつけた。

 だが、柚月もなかなか負けん気がある。「どけよ」という目で橋本を睨み返す。

 両者ゆずらない。

 「おいおい、誰か止めた方が」と、秘書室で囁かれ出した時、秘書官たちは何かに気づいて、一斉に慌てて頭を下げた。


「柚月!」

「ハイッ!」


 背後からの厳しい声に、柚月は跳ね上がった。

 条件反射だ。

 声で誰だか分かる。


 恐る恐る振り向くと、やはり。

 清名が厳しい表情で立っている。


 宰相補佐官。

 雪原が外交官だった頃からの腹心の部下であり、柚月にとっては、厳しいお目付け役、といったところか。


「ちょっとこっちに来い」


 そう言うと、清名は先に歩き出した。

 行きたくない。柚月は嫌な予感しかしない。

 清名のあの様子。叱られるに決まっている。

 だが、行かないわけにもいかない。


「失礼します」


 柚月は橋本に小姓らしく一礼すると、秘書室の視線にも頭を下げて清名の後を追った。


「スカした野郎だぜ」


 橋本が柚月の背中に向かって舌打ちすると、「まあまあ」と、そばにいた秘書官がなだめた。

 が、橋本の気は収まらない。


「雪原様も雪原様だ。なんで、あんな。どこの馬の骨とも知れないガキ。柚月なんて家、聞いたこともねえよ」

「まあまあ」


 また先ほどの秘書官がなだめる。

 そこに、別の秘書官たちも加わりだした。


「確かに聞かない名だが、栗原家の紋をお召しになっていたし、わしらが知らんだけで、どこか名門のお血筋なのかもしれん」

「そうだよ。雪原様が身元の分からない者をお傍に置かれるわけがない。理由あって柚月と名乗られているだけで、どこか尊いお家の秘蔵っ子ということも考えられる」

「いやいや、先の戦でご活躍だったとも聞く。雪原様のことだ。その腕を見込んでお傍におかれているのやも」

「その話私も聞いたが、本当なのかね。あの華奢(きゃしゃ)(なり)で。信じがたい。あれでは、武功が認められたというより、色小姓様という方がお似合いだがな」


 秘書室に、笑いがおこった。


 皆、腹の内は似たような物だ。多かれ少なかれ、柚月を(ねた)ましく思っている。

 ただ、保身の気持ちから、その気持ちをはっきりとは表に出さないだけで。


「ただの床上手だろ」


 橋本一人、感情のまま吐き捨てた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 遊郭という非日常から幕が開くのが引き込まれますな! その上さらにの「任務」という非日常に上書きされていくという……抑えた筆致も時代モノをよく理解されてらっしゃると思いました。
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