十三.激昂
城内、将軍の休息室。茶室を思わせる、こじんまりとした部屋だ。窓から庭が見え、そこに来る鳥のさえずりが聞こえる程度。
静かだ。
一時、浮世を忘れさせてくれる。
将軍、剛夕は窓辺に肘をつき、庭をぼんやりと眺めていた。
昼下がり。
穏やかな時間が流れている。
部屋には小姓の枇々木しか置いていない。
静かだ。
句でも詠めそうだな。剛夕がぼんやりとそう思った時、にわかに廊下が騒がしくなった。何やらもめているような声。それが、荒々しい足音とともに近づいてくる。
何事だろうか。剛夕が枇々木を振り返ると、枇々木も承知して頷き、確認のため腰を上げようとした。が、それよりも早く、足音の方がやって来た。
「失礼いたします」
開け放たれていた障子戸の陰から、雪原が現れた。家臣たちが、「お待ちください!」と制止しながら、腰に張りついていることも気にしていない。
その顔、冷静なようで、怒りに満ちている。
「どうした」
剛夕が落ち着いているのは、育ちの良さからくる品の為だろう。内心、驚いている。いつも穏やかに微笑んでいるこの宰相の、こんなに怒りに満ちた顔を、剛夕はこれまで見たことがない。
「枇々木殿に、お話が」
雪原の怒りは、声にまで浸透している。
剛夕はちらりと枇々木を見た。枇々木本人は、顔色一つ変えず、静かに雪原の方を見ている。
剛夕は雪原に視線を戻すと、「私も同席しよう」と言って、ほかの者を遠ざけた。
廊下に控えていた家臣たちが、不安な表情のまま下がっていく。雪原はじっと室内を睨みつけたまま、家臣たちの足音が聞こえなるのを待った。
慌ただしく遠ざかって行く気配。
やがて、静寂が戻った。
雪原が一歩踏み入る。
まるで仁王のようだ。
「何事だ?」
剛夕がそう聞く前に、枇々木の方が先に口を開いた。
「何事です。雪原様ともあろうお方が、騒々しい。ご休憩室ですよ」
その声、穏やかな中に、嘲笑が混ざっている。
雪原は一瞬、鋭い目で枇々木を睨むと、剛夕に向き直り、「お休みのところ、申し訳ございません」と深々と頭を下げた。
「構わん。お前がわざわざ来るほどだ。よほどのことだろう。どうした」
剛夕は相変わらず落ち着いている。
「枇々木様にお尋ねしたいことがございます」
すっと顔を上げた雪原は、顔にも声にも冷静さを取り戻していた。だが、目に、煮えたぎるような怒りを宿している。
雪原はその目で枇々木を真直ぐに見た。
こんな目を向けられたら、どんなに鍛練をした者でも怯むだろう。
だが、枇々木は動揺一つ見せない。
「なんでしょう」
余裕か、口元には笑みさえ浮かべている。
雪原は一気にあふれ出しそうになった怒りを喉に抑え込むように、ギリッと歯を食いしばると、その分怒りの増した眼差しで、枇々木を睨みつけた。
「なぜ、柚月に瀬尾義孝の墓のことを教えられたのでしょう」
枇々木の表情は崩れない。
「なぜ? なぜと問われるほどのことでもございません。ご存じなかったようなので、お教えしたまで」
「教える必要のないことです!」
雪原の声に、とうとう怒りが溢れた。
部屋の空気が凍り、シンと静寂が訪れる。
だが枇々木は、なおも動じない。
「それこそ、なぜでございましょう」
困ったような顔で小首をかしげる。
「柚月殿は、何やら悩んでおいでのように見えましたが」
その言葉に、雪原はぐっと言葉を無くした。
その通りだ。
そして、そうと気づきながら、何もしてやれていない、という、負い目のような気持ちが雪原にはある。
「お話し相手が必要かと思いまして。なんでも、柚月殿と瀬尾義孝は無二の仲だったとか。親友になら、何でも話しやすいでしょう」
そう言うと、枇々木の口元がニヤリと笑んだ。
「例え、墓が相手でも」
瞬間、雪原はガッと怒りが湧き、枇々木につかみかかりそうな勢いで一歩踏み出していた。
「待て」
剛夕の声に、雪原の体が、腰を半分あげたところでピタリと止まる。鋭い目は、枇々木を捉えたままだ。
「落ち着け、雪原」
雪原は枇々木を睨みつけたまま、動かない。
「枇々木が出過ぎたことをしたようだ」
剛夕の声には、詫びる響きがある。それが、雪原を冷静にさせた。
雪原はゆっくりと腰を戻すと、剛夕に向き直り、頭を下げた。
「いえ」
いつもの、冷静な宰相に戻っている。
「柚月もひどく傷ついたことだろう。私からも詫びよう」
そう言って、剛夕は頭を下げた。
将軍が頭を下げているのだ。本来なら、慌てて止めてもよいところを、雪原は冷静な目でそれを見つめ、「もったいないことでございます」と一礼するのみで、下がっていった。
雪原の足音が遠のくと、剛夕は窓辺に戻り、また庭を眺め始めた。
その背に、枇々木が向き直る。
「余計なことをいたしましたでしょうか」
枇々木の声は淡々としていて、詫びる様子はない。
剛夕の方も、窓の外を見つめたまま、振り向きもしない。
「構わん。どうせ、いずれ知れることだ」
冷たく言い放った。
雪原が剛夕の休憩室を出てしばらく行くと、廊下の角を曲がったところで、清名が待っていた。
雪原が横をすり抜けると、後に続く。
「柚月はどうしました」
雪原の声は、穏やかなようで、深刻さをはらんでいる。
「今日のところは帰しました」
清名も同じだ。声が低い。
「そうですか」
雪原は深い息を漏らした。清名はできるだけ雪原に顔を近づけ、声を潜める。
「我々への牽制でしょうか」
雪原の目が、鋭くなる。
「分からん。だが…」
雪原は足を止め、顎に手を当てた。
何事か考えている。
が、すぐに顔を上げた。
「椿は?」
「先ほど、本宅に戻られたと知らせが」
「そうか」
そう言うと、雪原は再び足早に歩き出した。
「私も帰るとしよう。お前も今日はもう下がっていい。秘書官たちにもそう伝えろ」
「はっ」
清名が頭を下げるのを背中に感じながら、雪原は柚月のことが気がかりでならなかった。




