九.毒の花
微かに、鳥の声が聞こえる。朝を感じて、柚月は目が覚めた。
ほんのりと明るくなり出した部屋。
ぼんやりと襖が見える。
だが、まだ意識がはっきりしない。
柚月はまた目を閉じ、ごろりと寝返りを打った。もう一度眠りそうになったが、なんだろう、布団の中に違和感がある。
柚月はうっすらと目を開き、ぎょっとして跳ね起きた。
女だ! 女が寝ている。いや、白峯か。白峯が襦袢一枚の姿で、布団に収まっている。そういう柚月自身、襦袢一枚、いつもの寝巻を着ていない。
なんだ⁉ どういうことだ‼ 柚月は部屋を見渡した。
自分の部屋ではない。
どこだ⁉ 柚月は動揺しながらも、次第に昨夜の記憶が戻ってきた。
遅くに白玉屋に来て、酒を飲んで、それから―。
「ヤッバ」
柚月は白峯を起こさないようにすっと布団から出ると、部屋の隅に脱ぎ捨てられた着物をひっつかんだ。
――これが、魔が差すってやつか!
柚月は自分にゾッとしながらも、急いで身支度を整える。
「もう、お帰りなのですか?」
白峯が身を起こした。その動作一つ、色っぽい。
だが柚月はそれどころではない。「すみません、起こして」と言いながら、袴をはいている。
白峯は傍にあった着物を一枚はおると、柚月の身支度を助けた。
「もっと、ゆっくりしていかれたらいいのに」
白峯のゆったりとした口調とは裏腹に、柚月は慌ただしい。
「いや、家の者に泊るって言ってきてないので。今ならこっそり帰ったらバレないから」
そう言いながら、まだ眠いのだろう。柚月は帯を締めながら、あくびをしている。
白峯はおかしくなった。
昨夜、柚月は白峯の意のままに誘いに乗り、奥の部屋に入った。白峯にしてみれば、いつものことだ。どんな客も、思い通りにならないことなどない。
柚月は寝屋に入り、袴や着物を脱ぎ捨て襦袢一枚になると、布団に入った。右腕を下にして寝るのが癖だ。白峯が入れるよう、布団の半分を開け、背中を向けている。
白峯も襦袢一枚になると、柚月の隣に入り、背中に寄り添った。
だが、しばらく間をおいても、柚月はいっこうに動かない。それどころか、すうすうとなにやら音が聞こえてくる。
白峯は体を起こし、柚月の顔を覗き込んだ。
寝ている。
照れ隠しかと思って頬をつついてみた。
が、やはり、寝ている。
しかも、起きそうもない。
白峯は驚くよりもあきれ、次第に悔しくなって布団に戻った。
背中越しに、すうすうと、柚月の寝息が聞こえてくる。
白峯は頬と膨らませた。のんきな寝息が腹正しい。だが、温かい。柚月の華奢な背中から、ぬくもりが伝わってくる。
すうすうと、規則正しい柚月の寝息を聞いているうちに、白峯もいつもの間にか眠りに落ちていた。
そして朝だ。起きてみると、柚月は今度は急いで帰ろうとしている。家の者にバレないように、と言って。
バレないようにとはなんだ、まるでいたずらを隠す子供だ。
あくびをしながら、必死に帰ろうとしている柚月の姿に、白峯はとうとう、ふふっと吹き出してしまった。
隣の間に行き、まだ眠っている一期と一会から、白峯が柚月の羽織を取ると、一期と一会も目を覚ました。
「お帰りです」
白峯の声に、二人は「あい」と言いながらむくっと起き出す。眠そうに目をこすりながら二人そろって付いてきて、見世の入り口、三人並んで柚月を見送った。
「では、また」
そう言って、急いで帰っていく柚月の後姿を見送りながら、白峯はまたふふっと笑った。
「いちげ、どうかなすったの?」
眠そうな目で聞く一会に、白峯は微笑んだ。
「さあ、どうされたのでしょうね」
そう言いながら、胸が温かい。
だた、温かいだけではない。
その中に潜むものがある。
今、自分の中に芽生え始めているものは、育ててはいけない思いだと、白峯は知っている。大事に育てたところで、その先にあるのは、地獄だ。何人もの遊女がその毒に侵され、狂っていった。それを、白峯はここでずっと見てきている。
心に根を下ろす前に、摘み取らなければならない。
恋という、毒花の芽。
白峯はすっと花魁の顔にもどると、見世の中、自分の部屋へと、引き返していった。




