神様の催眠術
もしも明日またここに来たら、今とは全然違う雰囲気なんだろうな――。
一緒におまつりに来たクラスメイトの輪から外れ、一人で意味もない想像を膨らませる。
おまつりで賑わう神社は、今だけの幻。明日の今頃は、静寂に包まれたいつもの寂しい空気が充満しているはず。
だから私が仲間外れにされるのも、今だけだって信じたい。
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地元で最大のイベント、夏まつり。
中学最後の思い出に五人で浴衣を来てこようと約束したのは、一か月前のことだった。
ユカ、ナミ、メグミ、そして私。小学校から仲良しの四人に、今年の春からチサキが加わって、五人。
どうして途中からチサキが仲間入りしたのかって、それは彼女が親の仕事の都合とかで、新学期が始まるタイミングで都会の学校から転校してきたからだ。
中三で転校って珍しいし大変だと思う。だから私たちは、迷わずチサキを私たちのグループに迎い入れた。
最初は遠慮気味だったチサキも、五月の連休に入る頃にはすっかり馴染んでいた。そして今思えば、その頃から三人の私に対する態度がおかしくなっていったような気がする。
別に何をされた訳でもない。話しかければちゃんと答えてくれるし、遊びに誘えば付き合ってくれる。
でも、それだけなのだ。
前はもっと、ユカの方から話しかけてくれた。
前はもっと、ナミの方から誘ってくれた。
前はもっと、メグミは私の前で大きく笑った。
なんとなくぎこちなくなって、今はもうどうやって三人に話しかけていたのかさえ思い出せないほど。
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「ねえユカちゃん。ここって、こんなに人が住んでたんだね」
こっちに移り住んでから初めての人の多さに目を丸くするチサキに、ユカが「もう、やだー」と大声で笑っている。
「いくら前住んでたところより田舎だからって、おまつりになればこれくらいの人、当然だし」
ユカにつられて、ナミもメグミも「あはは」と笑った。
こんな状況になっても、『ミキもそう思うでしょ?』とか、振り返って話しかけてくれることを期待してしまう私はどうかしている。
だって期待しても傷つくだけだって、ちゃんと分かっているのに。
「それよりさ、はやく絵馬、書きに行こうよ」
ナミがみんなを急かして、やっぱり私だけ会話に入れない現実を嫌でも受け入れてしまう。
小さくため息をひとつ。
そんな私に唯一声をかけてくれるのは、いつだってチサキだ。
「ミキちゃんも、行こう?」
ほらね。
それなのに、チサキじゃないんだよね、なんて思ってしまう自分が、すごく嫌だ。
「ってか、絵馬に何書くの?」
私のことなんて見えていないみたいに、メグミがナミに問いかけた。
「えー、そう言われると、何書けばいいんだろう」
首を傾げるナミに代わって、チサキが口を開く。
「別に何でもいいんじゃないかな。家内安全とか――」
「ストップ!」
チサキの言葉を慌てて止めたのは、ユカだった。
「願い事は口にしちゃダメでしょ」
ユカが人差し指を口に当てると、チサキが「そっかー」とほんわかした声を出した。
素直に、うらやましいと思う。
楽しげな会話。明るい空気。心おきなく話せる間柄。
少し前まで、そこは私の場所だったのに。
もう嫌だな。
これ以上四人の仲の良さを見せつけられるのも、ビクビクしながら様子を伺うのも、チサキさえいなければ、なんて考えてしまう自分も。
いっそ、学校を辞められればいいのに。
ううん。学校だけじゃない。家にだって帰りたくない。だけど私には、他に行くところはない。だから黙って耐えるしかない。
絵馬を受け取って、四人の後をついて歩く。
巫女さんの格好をしたお姉さんから、ペンが用意されていると教えられた場所には、先客がいた。
男の人がやけにイケメンの、たぶん恋人同士。
まだ初々しさがあるように感じるから、もしかしたら付き合いたてなのかもしれない。
……恋人、かあ。
私にも彼氏がいたら、こんなに憂鬱な気分にはならないのかな。
一瞬だけそんなことを考えたけど、やっぱり違うとすぐに否定した。
みんなと仲良くしていた頃の記憶がある限り、どうしても寂しさは消えない。
「ほら、はやく書いちゃいなよ」
「待ってよ。書くことが決まらない」
四人が楽しそうに騒いでいる隣で、私は静かに願い事を書いた。
『みんなで仲良くできますように』
心からの願い。
どうしてみんな、ギクシャクしちゃうんだろう。笑っていた方が、楽しいに決まってるのに。
いろんな感情といろんな過去の光景がごちゃ混ぜになって、自分でもどうしようもなく胸が苦しくなった。
その苦しさが、目にどんどん水分を蓄えさせて、視界が滲むのを止められない。我慢しなきゃって思えば思うほど、目の前がぼやけていく。
あー、決壊。
「ちょっと、大丈夫⁉」
さすがのユカたちも、一人泣き出した私に驚いたみたい。
向こうから話しかけてくれるのなんていつぶりだろう。
四人がオロオロと私の周りに集まり始めて、今さら、とも、ようやく、とも思う。
「よく分かんないけど、悲しくなっちゃった」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、泣いている本当の理由はごまかした。
四人は困ったように顔を見合わせて、それからユカが私の手を引いて人気のない神社の裏側へ連れて行った。
「ごめんね、ミキ。ずっと無理してるの気付いてたのに何もしてあげられなくて」
そう言って、ユカが俯いた。ナミもメグミも、同じように地面を見つめている。
「無理なんて、してないよ」
まだ止まらない涙を手の甲で拭いながら、私は首を振った。
私たちのやり取りを見ながらキョトンとしているチサキに向かって、メグミが「悪いんだけど、ちょっとだけあっちで待っててくれる?」と絵馬かけのあたりを指さした。
そこで初めて、私が何を無理していて、ユカたちがこれから何の話をしようとしているのかに気付いた私の口が、私が考えるより早く、でもゆっくりと動く。
「大丈夫。チサキにも聞いてもらいたい」
相変わらず訳が分からないといった様子でほわんとした表情を浮かべるチサキに、少し救われた。だからチサキには私みたいな思いはしてほしくない。仲間外れにされたなんて、微塵も感じてほしくない。
チサキ以外の三人が頷きあって、まっすぐ私を見つめた。
ユカがもう一度、私の手を取る。
「親が離婚するなんて、私たちには経験ないことだから、こんなことを言ったら傷つけちゃうかなとか、どういうふうに接することがいいのかとか、全然分からなかったんだ」
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私の家はお父さん、お母さん、私の三人家族だった。
お父さんは全国を転々とするサラリーマン。お母さんは専業主婦。
たぶんそれなりにいい暮らしってやつを送っていたんだと思う。仕事が忙しいお父さんはあまり家にはいなかったけど、でも欲しいものはたいてい買ってもらえたし、お母さんはいつだって素敵な格好をしていたから。
そんなお母さんがある日突然働き出すと言い出したのは、去年の十二月、お父さんの転勤が決まってから少しした頃だった。
お父さんの新しい転勤先は、ここから新幹線で二時間くらい。
一緒について来てほしいというお父さんと、単身赴任するか新幹線で通えばいいというお母さんの話し合いが毎晩遅くまで続いていたのは、ベッドにもぐりこんだ私の耳にもしっかりと届いた。
結局、お父さんは私とお母さんを連れていくことなく転勤先へと一人で引っ越し、お母さんは正社員の仕事を見つけて働き始めた。
お父さんが家を出る日、お母さんがお父さんに一言も声をかけなった事実が私の心を冷たくしたのは、今でも鮮明な感覚として残っている。
お母さんからお父さんと離婚したと聞いたのは、それから二か月後の三月初めのこと。「うん」とだけ答えて、私は自分の部屋へ籠った。泣きはしなかった。あの時何を考えていたのかは、今はもう思い出せない。
そしてそれ以来、お母さんとはまともに会話をしていない。
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チサキが口元を両手で押さえている。
「ミキちゃん、ごめん。私、すごく無神経なこと……」
チサキの言っていることが、さっきの願い事の件だとすぐに思い当たったことで、それだけ自分がショックを受けていたことを自覚した。
「チサキが来る前のことだもん。気にしないで」
泣きながらも、それくらいのことは言える。
そしてあの時ユカが咄嗟に話題を逸らしてくれたんだとやっと分かって、きっと他の三人も同じような気持ちを抱いてくれたんだろうと想像して、ユカたちの存在に感謝した。
そのユカが、潤んだ目でほほ笑んでいる。
「何もできないけどさ、私たちはみんなミキの味方だから」
パーっと空から光が降り注いだ。
もちろん実際にそんなことは起きていなくて私の勘違いで思い込みだけど、まるで神社の神様が私を照らしてくれたような、今、そんな感覚に包まれている。
同時に、突然湧き起こった温かい感情が私を満たして、目の前にいる四人がどうしようもなく好きだと思えた。
みんなが私をのけ者にしていると感じるなんて、どうかしていたんだ。きっと家族がバラバラになった心細さを、一番身近なユカたちに投影してしまっていただけ。
「みんな、ごめんね」
信じきれなくて、ごめん。
疑って、ごめん。
一人で被害者ぶって、ごめん。
いなければなんて思って、ごめん。
まるで催眠術にかけられたみたいに、濁っていた視界がクリアになっていく。
すぐには元に戻れないかもしれない。また嫌な妄想に囚われる瞬間があるかもしれない。だからこそ、今のこの気持ちを忘れずにいたい。
「私のそばにいてくれて、本当にありがとう」
家に帰ったら、お母さんにココアでも入れてあげよう。そして今日のおまつりの話を聞いてもらえたらいいな。