2.あいつは殺し屋 俺は一般人(2)
──5月4日 22:06──
俺の胸にナイフが突き刺さるかと思ったその時、瑞木の動きがピタリと止まった。
「……オレのクラスメイトみたいです。一年B組二十八番新月陸。……はい。わかりました」
目の前にいる殺人犯は、誰かと会話をしているようだった。他に誰の声も聞こえないと思っていたら、右耳にイヤホンを着けていたのが見えた。それで会話をしていたらしい。
しかもこいつは、会話を聞くにに本当に瑞木だったようだ。
瑞木は会話を終えると静かにナイフを下した。だが、代わりに俺の腕をしっかりと掴んでいる。
「逃げるな」
たった一言だけだったがその声は鋭利な刃のようにとがっていて、声だけで人を殺してしまえそうだった。
そんな瑞木の様子は、昼間の学校とは似ても似つかない。
腕をつかまれたまま数十秒ほどたったころ、突如として後ろから声をかけられた。
「やぁどうも。新月君、だったね。こんばんは」
とっさに振り向くと、そこには驚くほど綺麗な、おそらく日本人ではないだろう女性がいた。ブロンドの髪をなびかせ艶やかに笑っている。足元に死体が転がっているような場所でそんな表情をしているその女性がとても恐ろしいものに思えた。背中を汗が流れる感覚がする。
「先生、すみません。目撃者を出してしまいました」
「そうだね、目標を殺す動きはいいけど、君は周囲への注意が足りない。問題だよ」
「はい」
「仕上げもしっかりね」
女性が俺の肩をつかむと、瑞木は手を放してしゃがみこんだ。そのまま男のスーツに手を入れ、財布を取り出す。そこから札だけ抜き取ると、財布だけその場に捨てた。
「さて、新月君には話があるんだけど、ここにずっといるわけにもいかない。着いて来てくれるね?」
疑問形ではあるものの、拒否は一切許されない声音だった。俺はただ静かに頷くことしかできなかった。
瑞木と瑞木に先生と呼ばれる女性に挟まれ、逃げ出す隙を一切もらえないまま俺は近くに止めてあった車の後部座席に押し込まれた。運転席には女性が、隣には瑞木が座っている。車は全員乗り込むと発進した。
一先ずは口封じで殺されることは免れたみたいだが、俺がこれからどうなるのかは想像につかなかった。
車はしばらく暗い道を走っているが、その間誰も口を開かない。沈黙が痛い。
「……あ、あの。今はどこに向かっているんですか? 俺、家族も心配するだろうし、早く帰りたいん、です、け……ど…………」
なけなしの勇気を振り絞って話している途中で瑞木に睨まれ、声が尻すぼみになっていく。怖い。
「あの、別に二人のこととか通報とか絶対にしませんし……せめて家に連絡だけでもしたいんですけど…………だめ、ですかね?」
「まだ生きて帰れるかも分からないってのに、家族の心配かい?」
「あっはいすみません」
「ははっ、まあそんなに硬くならなくてもいい。無事に帰れるかどうかは君しだいさ」
「…………はい」
「話というのはね」
その一言で、ピリッと雰囲気が変わった気がした。それまでは話の内容の物騒さはともかく、軽く談笑をしているような雰囲気だった。だが今は、先ほどまでと表情は変わらず笑っているものの重い空気を感じる。
「……なんでしょうか」
「いやね、君の隣に座っているルイは今殺し屋として修行中なわけなんだ。
ルイは殺しの才能だけなら十分あるんだけど、今日君に見つかってしまったように目標に集中しすぎて周囲への注意がおろそかでね。だがその集中力はルイの美徳でもあるから今のスタイルをあまり崩したくない」
「……はあ」
「しかもこいつは常識というものに欠けているだろ。表での高校生活でこちら側やこいつが獣人であることがばれるんじゃないかと気が気じゃなくてね。
こいつの表の生活のサポートと、ついでに殺し屋としての相棒になれるやつを探していたのさ」
「……………………」
「ルイのクラスメイトの新月陸君。殺し屋になる気はないかい?」
「先生」がバックミラー越しに俺を見つめている。瑞木は自分も関係する話にも関わらず、興味なさげに窓の外を見ていた。
「ちなみに断ったらどうなります?」
「このまま帰すわけにはいかないな。残念だけどカラスの餌にでもなってもらおうか」
「……はは、ですよね」
殺し屋。目の前で運転している女性が先程言った言葉を脳内で反芻する。俺がもし殺し屋になったら、さっきの瑞木みたいに人を殺すようになるってことか。
俺だってもちろん今死にたくないし、死ぬ訳にはいかない。瑞木という殺し屋による殺人現場なんてものを目撃しながら、運良くクラスメイトということでせっかく生き延びたんだから命は大事にしたい。
だが、瑞木みたいに人を殺せるかと言われると、正直わからなかった。想像だけで言うなら、全く知らない人ならいける気もしないでもないが、実際には尻込みしない自信がない。そのせいで素直に頷けないでいた。
「新月君、私だって誰でもいいわけじゃないんだ。でも君は十分殺し屋としてやっていける資質があると思うよ。こうして私達とまともに会話ができているし、最初にルイと会った時も無駄に騒いだりせず冷静だった」
「それは単純に怖くて動けなかっただけなんですけどね」
「あはは、でもこうやって自分の意見を言う度胸もある。それにこちら側に来れば、ちゃんと報酬だって払う。普通に働くよりもはるかに多くの報酬を得ることができるよ? 君にしても悪い話じゃないと思うけどね。君、お金に困ってるんだろう」
「うっ…………何でそれを知ってるんですか」
「伏馬高校の生徒のことはだいたい把握しているんでね。
身体の弱い母親を楽にさせてあげたくないかい? 弟と妹には大学まで出させてあげたくない?ちゃんとお腹いっぱい食べさせてあげたくは? どうなんだい、お兄ちゃん」
目の前に悪魔が見える。言うこと全てが悪魔の囁きだ。
「それで、どうする? そろそろ返事が聞きたいな」
「…………あーもう、わかりました! なりますよ、殺し屋」
「よし、交渉成立だ」
お金の為だ。仕方ない、割り切ろう。こうなりゃやけだ。
「ルイもそれでいいね?」
「先生がそう言うなら、異論はないです」
「よろしい。今日はもう遅いし、詳しい話はまた次の機会にしようか」
気がつくと、知らない場所を通っていたはずの車は俺のよく知る道に出ていた。俺の家の近くだ。次の交差点を右に曲がればもう家に着くだろう。そこで車が停車する。
ここで止まるということは、俺の家族構成どころか住所まで完璧に把握されてるということか。
「さて、今日はここで解散としようか。一応言っておくけどね、帰ってから私達のこと話したら君の家族も含めて命は無いよ?」
「わかってます。送ってくれてありがとうございました」
「先生」に促され車を降りる。「先生」は軽く手を降ると、車は発進して行った。
辺りには静寂が戻ってくる。全身に凶器を突きつけられているような息苦しさは消えていた。
****
──5月4日 22:26──
「ただいまー」
やっとの思いで家に帰ってきた俺は、玄関でそっと息を吐き出した。そんな疲れきった俺とは裏腹に、部屋の奥からパタパタと元気な足音が聞こえてくる。
「兄さんおかえり。今日は帰ってくるのはやいね?」
「え、あーうん。実は店出たら担任の先生に会ってさ。もう暗くて危ないからって車で送ってくれた」
「そうなんだ」
弟の海に出迎えられて部屋に入る。海ももう今年で中学生で、大分しっかりして来た。
「あ、兄ちゃんおかえりー!! 見てみて、空も仕事してたんだよー!」
そう言って飛びついて来たのは妹の空だ。空は今年で小学校五年生。手先も結構器用で、海と二人で内職を手伝ってくれている。
今やっていたのは簡単はシール貼りの作業のようだ。テーブルの上に葉書がたくさん散らばっていた。
今日も頑張ってくれていた二人の頭を撫でる。
「海も空も頑張ってて偉いなぁ!! いつもありがとう、助かってるよ」
海は頭を撫でられたことが少し恥ずかしかったのか、すぐに手をどかすと作業に戻ってしまった。空はえへへー、と嬉しそうにしている。
「ちゃんと夕飯食ったか? あと何か必要な物は?」
「ちゃんと食べたよ!」
「今のところは大丈夫かな」
「そっか」
俺の兄弟は2人とも真面目で本当に良い子達だ。
二人の、そしていつも頑張ってくれていた入院中の母さんの為にも、お金は稼がないといけない。俺は死ぬ訳にはいかないのだ。
そして、これから犯罪の道を進むことになるとしても、絶対に家族に迷惑をかけるわけにはいかない。何が何でもこの秘密は守り通す。
そう心に決めたのだった。
……そういえば連絡先とか聞いて無いけど良かったのかな。まあいいか。