目覚めると新しい地で
ハッピバースディ・・・トゥーユー・・・。
懐かしい誕生日の歌とともに、暗闇にぼんやりと明かりが灯る。周囲の様子がはっきりとはわからず、それがバースデイケーキの形をしているとわかった時、ミハネはそれが夢の中なのだと理解した。
病室では火気厳禁だったので、誕生日には電池式の蝋燭を父が持ってきてくれた。土台は白いクリームのデコレーションに赤いイチゴをあしらったバースデイケーキの形の陶器でできていて、磁石が埋め込まれた蝋燭を上に載せるとピタリと貼りつくようになっている。
毎年誕生日には、この蝋燭を飾ってみんなで写真を撮り、体に障らない、優しい食材を使用したデザートを食べてお祝いをしてもらった。
家族の、ミハネを想う言葉が次々と胸の内に蘇る。今日の具合はどう?といつも気遣い、いたわってくれた母。元気になったらどこへでも連れて行ってやるからなと明るく笑っていた父。同年代の女の子の間で流行っているらしいと、女友達に聞いたりして漫画やゲームを持ってきてくれた兄。
もう長くないかもしれないという話は、たびたび医師から直接話をする機会を設けられた。ミハネの病状はあまり症例の多いものではなく、医師も手探りで最善の治療を詮索しながら慎重に医療に当たっていて、時には症状に効くとされる薬の認可がなかなか降りないなど、苦労していることを家族は重く受け止めていた。
ミハネが前世で出会った人の数はごく少数に限られていた。にもかかわらず、そのほとんどの者から目いっぱいの愛情を掛けられて生きてきた。そのことを夢うつつの状態の中で記憶の断片を辿りながら、ミハネはぼんやりと思いだしていた。
父や母や兄は、私が死んでどう感じたのだろうか。ラヴィが眠るようにして息を引き取った時の、背後から襲い来る絶望感や喪失感を思い返してミハネは身震いした。こんなにも恐ろしい感情があることを、彼女は初めて知ったのだ。家族はこのような思いを乗り越えることはできたのだろうか。できたとしたら、どうやって?あの時ミハネは14歳で、自分を取り巻く守られた環境から抜け出すことなく生涯を終えた。これから起こる辛いことや悲しいことが、人を成長させ、より成熟した思考や思いやりを身に着けるという事を知らなかった。
「さぁ、蝋燭を消して。新しい旅立ちと冒険の旅へ、行ってらっしゃい」
母に促されるままにミハネは蝋燭を吹いた。
パチン、と蝋燭の電源が消され、蝋燭の先の炎はかすかに揺らめくと、そのまま小さくなって消えて行った。辺りに暗闇が戻った頃、ミハネはその蝋燭が十本しかなかったことに気がついた。
目が覚めると、ミハネは自分がベッドに寝かされているという事がわかり、まだ別の夢の続きを見ているのかと錯覚した。ベッドの周囲はカーテンで仕切られていて、物音や誰かの会話が聞こえてこないので、誰も居ないという事だけがわかる。シーツはパリっとしていて皺もなく、アイロンがけをされているものだという事、体に掛けられている布団だってふんわりとして日干しされたものであることが分かった。ケイオスの森の木の家ではベッドがなく、みんなでぎゅうぎゅうにくっついて暖を取りながら、ミハネが体に巻いていた毛布や古着を掛けて眠っていたので、久々のベッドの心地よさに体がリラックスしているためかまた眠さが襲ってきた。眠りにおちながら、ミハネの手はラヴィのモフモフやロメロのプルプルを無意識に探すのだった。
再びミハネが目を覚ました時、辺りは陽が落ち掛けており、ベッドに隣接した窓の隙間から蜜柑色の光が差し込んでいた。ずいぶんと長く同じ夢の中にいるものだと思いながら体を起こす。顔に触ってみる。ちゃんと感触がある。
(夢じゃない・・・)
ミハネは窓の外を見た。すぐ下は地面だったので、ここが一階だとわかる。この建物の周囲には目立った建造物はなく、雪に覆われた原っぱが広がっていて、小さな石の階段がこの建物へと続いていた。原っぱの向こう側に小さなレンガ造りの三角屋根の家が連なっており、その奥に風車が見えた。おそらくはこの地域全体がそこそこ大きな町なのだろうという事は推測できた。
ミハネは起き上がり、カーテンの外に出て部屋を見回した。清潔感のある白い石造りの部屋だ。壁には宗教画が掛けられていた。たっぷりとした布で覆われたような祭服の司祭が四人の小さな天使に囲まれ祝福を受けている。窓の上部にはステンドグラスが貼られている。隣には同じ造りのベッドがあり、カーテンは枕元で閉じられていた。部屋の隅には大きな机があり、その横には大人くらいの高さの本棚があり、分厚い本がいくつか並んでいて、下の段に引き出しがあった。ミハネは引き出しを引っ張ってみたが、そこには鍵が掛けられていた。
全く知らない場所ではあるが、ミハネはそこまで危機感を感じなかった。逃げようと思えばすぐに逃げられる場所に寝かされていたことや、神聖な場所であることから、おそらく自分は保護されたのではないだろうかと考えていた。森暮らしの長い彼女にとって、久々に人の文化に触れ、それがどれだけ快適さを考えられて作られているかを実感する良い機会だったのかもしれない。森では得られなかった、ある種の安心感を抱いていたのだった。
ガチャリ、と音がして乱暴にドアが開いた。思わず身を固めてドアを見ると、そこには茶色い髪をした少年がいて、彼もまた、ミハネを見て固まっていた。
「あのう・・・この家の方でしょうか?私はミハネと言います。どうして」
どうして私はここにいるのでしょう?とミハネは言いたかったのだが、言い終わる前に無言でドアを閉められてしまった。今までされたことのない反応を見て、ミハネは驚いた。彼は何をしに来たのだろう。会話をしたい相手が拒絶を示した場合、どうすればいいのかわからず、ミハネはその場に立ち尽くした。
しばらくしていると、今度はシスター姿の妙齢の女性がやってきた。ミハネを見て優しく微笑むと、そっと近づいて膝をつき、彼女の両手をそっと包み込んで話し始めた。
「まぁまぁ、目を覚ましたのね。痛いところはない?あなたケイオスの森で倒れていたそうなのよ。それをバリーとあの子・・・ヴェインが見つけてね、ここまで運んできたの。ああ、ここは教会の医務室よ。礼拝は日曜日だけで平日には人もいないし、ここを使うことはないからってここへあなたを運ぶことになったの。あなた相当疲れていたみたいでね、今日は貴方が運ばれてから三日目よ。一週間眠りっぱなしだったらさすがにお医者様に相談しないといけないわねって話していたんだけれども、元気そうでよかったわ」
ミハネは目を丸くして彼女の言葉を聞いていた。先ほどの少年の態度とは違い、よく喋る人だ。彼女は名をリンデルと言い、水色の目と印象的な人だった。ミハネは先ほどの少年に聞きたかったことをそのままリンデルに聞こうと思ったが、口を開く前にお腹が鳴った。
「無理もないわ。ずっと眠っていたんですもの。食堂へいらっしゃい。ご飯を食べましょう」
リンデルに連れられ、医務室を出て廊下の奥にある食堂まで歩くことになった。途中、大きな扉があり、気になってみていると、そこには講堂があるのだと教えてくれた。
「講堂って何ですか?」
「神様にお祈りを捧げるところよ。日曜日には沢山の人が集まって皆で祈るの。とても神聖な場所なのよ」
異世界でも神様という概念はあるんだなとミハネは思った。宗教には詳しくないが、さすがにイエス・キリストと仏陀くらいはどのような歴史がある宗教なのかは知っている。ほかの神様たちもゲームをしていると沢山名前が出てくるので、なんとなく概念みたいなところはミハネも知っていた。
食堂へ行くと、修道服を着たシスターたちが何名か出迎えてくれた。食堂は縦に長い造りになっていて、部屋に倣って作られたような長机が二本の列を成していた。そこへ向かい合うように椅子が並べられており、四席分にに一つの間隔で蝋燭が置かれ、火が灯されていた。
リンデルはミハネを左奥側の席に案内した。ミハネが座った席の向かい側の少しずれたところに、バリーとヴェインは腰を掛けていた。
「この方がバリー、その息子さんのヴェインよ。雪の中倒れていたあなたを助けた恩人となる人達ね」
「はっ初めまして。助けていただいてありがとうございます」
「いやいや、あんなところに倒れている小さな子がいたもんだからびっくりしたよ。体のほうはもう平気かい?」
強面のおじさんの話し方は存外優しく、ミハネのこわばった心はたちまちほぐれた。ヴェインは相変わらず面白くなさそうにそっぽを向いている。
「はい!もう平気です。安心したらお腹が空いちゃって。もうペコペコです」
「そりゃそうだろうとも。もう三日ほど眠り続けていたんだからな。君は今幾つだい?」
「この冬で10歳になりました」
「10歳?マジかよ」
そっぽを向いていたヴェインがミハネのほうに向きなおる。生来の貧しい生活に加え、森でも草や豆・木の実や果物のみで生活していたミハネの身長体重は、10歳の子供の平均的な数値を下回っていた。そのため、痩せて背の小さいミハネは、長身・筋肉質に育ちやすいこの町の人たちから見て、7、8歳ぐらいに見えるのだ。ケイオスの森でどのようにして生きながらえていたのか、バリーとヴェインの胸中は複雑だった。
「これから君には森でのことや何故あそこにいたのかを色々聞かなきゃいかんが、ゆっくりでいいから話してほしい」
「・・・はい。少し長いお話になるかもしれませんが・・・」
「構わんよ。このむさい男どもに言いにくい話なら、シスター・リンデルにこっそり打ち明けてくれてもいい。場合によってはここに住まわせてやることも可能になるかもしれんから、正直に答えてくれ」
「・・・わかりました」
リンデルがワゴンに食事を載せて運んできた。たっぷりのジャガイモと少量のニンジンとキャベツを煮込んだスープと、薄く切られた黒いパンに申し訳程度のバターが添えられ、細かく裂いた干し肉が本日のメインディッシュだった。
「今日はいい日だ。バターと肉が食える」
「ニヴルからのご厚意でね。あの国は酪農も盛んだから、加工したチーズやバターは比較的安価で購入できるし、老衰で死んだ家畜なら教会でも食べることを許可してくださるの」
ミハネにもわかるよう事情を伝えながら、リンデルは祈りをささげるために手を組み、バリーとヴェインもそれに倣った。ミハネもそれを見て後に続く。食事をする前の短いお祈りを済ませた。
「・・・ごめんなさいね、ミハネ。この国は決して豊かな国とは言えないの。だから、これぐらいしか出せないけど・・・」
リンデルは言いかけたが、ミハネの意識はすでに食事に集中していた。ようやく食事にありつくことができた。ミハネはスープをふうふう吹いて冷ましながら、用心深く口に運んだ。野菜のうまみの溶け込んだスープに塩味が効いていて、飲み込むと胃がじんわりと暖かくなった。柔らかく煮込まれたジャガイモはほくほくした食感も良く、お腹に溜まる感触も心地よかった。薄く切られた黒パンにバターを塗り、干し肉を挟んで端から齧る。黒パンも干し肉も特有の固さがあり、何度も噛まないと飲み込めない。噛めば噛むほどじんわりと味が染みてくるのを楽しみながら、ミハネはうっとりと咀嚼していた。
あまりに美味しそうに食事をするものだから、皆食事を口に運ぶのを忘れて彼女を見ていた。
「・・・こんなにおいしい食事は生まれて初めてです」
それを聞いて三人は顔を見合わせた。この国が貧しいのは今に始まったことではないが、それでも数年前まではまだ雇用も今よりも沢山あったし、少し努力をすればまともな食事をすることができた。少なくともそれが普通の”家庭”だ。こんな小さな子供にこのようなセリフを言わせること自体、想像の域を超えていた。
「あなた、どこで生まれたのか覚えてる?」
「私はミルの村出身です」
「あぁ、数年前の虫の大量発生で畑が壊滅して滅んでしまった村だね。それなら合点がいく。ここはミルの村から数キロほどの距離にあるヴォルヴという町だ。わかるかい?」
「はい、村の人で出稼ぎに行ってた人がいたので、名前は知っていました」
ミハネは髪に結んであるリボンを解いて差し出した。
「この町に出稼ぎに行ってきた人から貰ったものです」
ミハネは手短に6歳の頃にケイオスの森に連れてこられたこと、そしてそこで10歳になるまで過ごしていたことを伝えた。
「それじゃああなた、ケイオスの森で一体何を食べて生きてきたの・・・」
「その辺に生えている草とか、季節ごとの果物とか木の実ですね」
「草!」
「あと最近はセメントみたいなのも飲みました。すごくまずかったんですけど」
「セメント?というのはどういう・・・」
「あっ、セメントはですね、家を作るときに壁に塗る土壁あるじゃないですか。あれを水で溶いたやつです」
「つちかべ・・・」
リンデルが眉を顰めるのを見て、言い過ぎたことに気が付く。
「あっ、でもそれはそうすることが必要でやったというか、大事なことだったので大丈夫なんですよ」
慌てて言い直したものの、周囲は完全に可哀そうな子を見る目でミハネを見ていた。リンデルは先ほどそうしてくれたようにそっとミハネの手を包み、涙を流した。
「辛かったなら辛いって言っていいのよ。いつまでもここにいてもいいし、いっそうちの子におなりなさい・・・!!」
森での生活のなかでは、確かにまともな食事はなかったが、愉快で楽しい日々だった。それが一ミリも通じていないことに、ミハネは一抹の不安を覚えるのだった。




