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満月の夜に妖精は

 スレイプは魔王城の城下町スヴァルツで生まれ育った馬だ。スヴァルツの馬は代々軍馬であり、気性が荒く、育てるのにも乗りこなすのにも年月がかかる。そうして大切に育てられた馬のうち、最も優秀で由緒ある血統同士で交配することでより強い馬を輩出する。スレイプも、そうして優秀な血を受け継いだ父と母を持つ、所謂サラブレッドというやつだ。


 そんな魔族の馬に乗り、ミハネは声なき声を上げていた。一瞬で帰れると魔王は言っていたので、てっきり魔法的な力で瞬時に辿り着けるのかと思っていた。なので、スレイプがまずバルコニーから飛び降り、地面をけり上げるまでの短く長い滞空時間中に一度死んだと思ったし、その後も軽々と大地を蹴り、酒場の屋根に着地して建物を半壊させたときにも違う意味で死んだと思ったし、針葉樹の森を地面を蹴ってバリバリ走り抜けるのかと思っていたら樹齢の経った針葉樹の枝から枝に飛び移り、空を飛ぶように移動するので、結局ミハネは何度も死にそうな目に遭った。


それでも、魔王城へ行くまでの道中に比べるとほとんど一瞬と言っていいぐらいの時間で到着することができたので、ミハネはフラフラになりながらもお礼を言い、陽が沈み切る前にルーファス達の元に着いた。


「み、皆さん・・・ただいま・・・」


「ミハネ~~!!あああん帰ってきたー!!」


 ロメロが泣きながら縋り付いてきた。


「ラヴィは・・・ラヴィは無事?」


「あぁ・・・まだ油断はできないがな。心音も呼吸も安定してるし、血止め草でなんとか止血もできた。だてに何百年と生きちゃいないからな」


「ラヴィそんなにお年寄りだったのー!?」


 ラヴィは朝と変わらずそのまま地面に倒れ込んでいた。体を冷やさないよう、周りの雪は取り除かれて枯れ草が敷き詰められ、その上からありったけの毛布を掛けられていた。目を閉じたまま動かないのでミハネは心臓が掴まれたようにぎゅっと縮む想いだったが、かすかに動く鼻先で生きていることがわかり、少しほっとした。


「急がないと・・・」


 ミハネは月下睡蓮の入った瓶からコップに水を注ぎ、中の花を器に移した。透ける花弁を注意深く外し、傷口を塞いでいる古布を除いてまだじんわりと血の滲む傷口に丁寧に貼り付けていった。コップに次いだ水をラヴィの鼻先へと持っていく。ラヴィはぐったりと横たわったままだったが、髭の先がピクリと動いた。そして、水の匂いを嗅ぐような仕草をした後に小さく舌を出して少しずつ飲んだ。

 ゆっくり時間をかけてコップの水を飲み干した後、ラヴィの体は震えだし、よろめきながらも立ち上がることができた。その姿を見て、ミハネはほろほろと涙をこぼした。


「良かった・・・。本当に、良かった。ラヴィ、帰ろう。うちに帰ろう」



 それからラヴィはしばらくの間は寝たきりのまま過ごしたが、三人の献身的な看病のおかげもあり、三日目の朝には家の外に出て、気のふもとの茂みにある新鮮な草をパリパリと食べるのだった。

 傷口に異常はないか毎日観察をしていたが、綺麗な石が生えていた箇所から新しい石が生えてくることはなく、少しへこんでケロイド状に赤く爛れていた。


「死者を生き返らせるほどの回復薬とは言われているものの、やっぱり奪われたものの再生は難しいんだな」


「まぁ元気になったんだし、大丈夫だよ!時間が経てばまた生えてくるかもしれないしねっ」


 ロメロは楽観的に笑っている。ラヴィは意に介さずという風に鼻をひくひくさせていた。

秋のうちに必要な食べ物は収穫して加工を済ませている。これからゆったりと流れる時間を楽しめるのだと思うと、ミハネは心からほっとするのだった。



 それから十日が経った。



 冬の凍てつく空気のせいか、良く晴れた夜だからか、その日は妙に頭の冴える晩だとミハネは思った。

目を閉じてじっとしていても、心がざわざわして居心地が悪く、寝返りを打っても収まらなかった。


 トントントントンと、ラヴィが前足でテーブルを軽く叩いた。


「・・・ラヴィ、まだ起きてたんですか」


 ラヴィはミハネに向かって幾つか草を渡すと、ポリポリとセロの茎を食べ始めた。採れるのが珍しいタイプのほんのり苦い草なのだが、何の効果があるのかは皆よくわかっていなかった。仕方なくそれに付き合っていると、今度はトタタタと扉に向かい、ドゴォッっと音がするほど勢いよく蹴り倒した。


「ち、ちょっとどうしたんです!?乱暴にするとみんな起きちゃいますよ」


 そうミハネは心配したのだが、存外二人はぐっすりと眠っていて、起きる気配もなかった。スン、と鼻息ひとつして、ラヴィは先に外に出た。


「もう・・・」


 空には雲一つなく、目に見えない凍てついた空気がナイフのように落ちて刺さってくるような、怖いくらいに美しい満月の夜だった。部屋着と防寒着の間に毛布を巻き付けて外に出たのだが、顔が痛くなるし、吐いた息が凍り付きそうなくらい白かった。知らない間に雪が降り積もっていて、月明かりが雪に反射しているせいかいつもよりも明るく感じた。時折霜柱を踏み抜いてしまい、バリッザクッと感触を楽しんだ。


 それにしても、ラヴィのこんな我儘な姿を見たのは初めてだった。みんな仲が良かったから気づきにくかったけど、ラヴィはいつだってみんなの心地の良いように立ち回ってくれていた。人に迷惑をかけてまで我を張るような者ではなかった。ご機嫌に飛び跳ねながら先に先にと進んでいくけれども、そんな様子のラヴィを見て、なんだか少し妙な気もした。


(・・・まぁいっか。元気になったし、楽しそうだし)


 西の国の伝承には昔から妖精にまつわる逸話が多く残されている。例えば、満月の夜には妖精が姿を現し躍るという言い伝えがある。ミハネはふとそれを思い出した。遠い昔に母から童話として聞いたことがあったのだ。

 童話の中の妖精は、手のひらに乗るくらい小さくて、軽くて空を飛ぶための翼や羽が生えていて、可愛らしくていたずらっ子でちょっぴりおませさん。恋の相談が大好きで、いつでも噂をしているわ・・・。

 今までに何度か満月の夜にみんなで月光浴をしに散歩をしたことはあるが、未だに妖精は見たことはない。それに、母と一緒に初めて森に来た夜だって満月だったけど、小さな羽の生えた女の子には出会わなかった。ラヴィにあの夜救われなければ、命だって危なかったのだ。

 この世界に生まれて、魔物や魔王など、元の世界ではいるはずのない者たちに出会ったけれども、女神だとか妖精だとか、目に見えないものはきっとこちらの世界でも夢物語なのね。と少しばかり不思議なおとぎ話を期待していたことに気が付いて、それが非現実なことなのだと落胆した。


(前世でもできないことばかりだったけど、こっちの世界でもなんでも都合よく出てくるわけじゃないのかぁ・・・)


 溜息をついて歩きながら空を見上げると、冴え切った空気のせいかいつもよりも星が沢山見えた。空は目に見えているよりもずっと遠く、星同士もそんな近しいわけではないのに、星をバケツからひっくり返して流れ出たようなミルキーウェイと、そこから飛び散った水滴跡のようにチカチカと瞬いている星に手を伸ばしてみると、なんだか届きそうですぅっと空に吸い込まれそうに心地よくなるのだった。

 ラヴィの足取りがパタと止まった。そこは、ラヴィのお気に入りでよく昼寝をする場所だった。午前中の涼しい時間帯には陽当たりがとても良く、日中を過ぎると影が差した。すぐ横にある小さな茂みには、季節ごとにラヴィの好きな実がなり、ここで流れる時間をラヴィはとても好きだった。


「結局いつものところに来ましたね」


 ミハネが声を掛けると、ラヴィはフンスと鼻を鳴らし、後ろ足で雪をどかして土を柔らかくほぐしたあと、ぺたりと座り込んだ。ひくひく動く鼻先に、なにやら小さな光がふわふわと漂っていた。


「なんでしょう・・・蛍みたいな・・・」


 指先でつつこうとするとふわりとよけて逃げてしまう。手をかざしても実態がよく見えない。不思議ですね、とラヴィのほうを向くと、その光は先ほどよりも増えていた。


「・・・妖精?」


 そうだと言わんばかりに、目の前にいた小さな光はぶんぶんと八の字を描いた。ミハネはたちまち嬉しくなった。さっきはいないのかもしれないと疑ってしまったけれども、本当にファンタジーの世界にいるのだとワクワクしてきたのだ。よくよく目を凝らしてみても、どうしても女の子には見えないけれども、よくよく見る練習をしたら見えるようになるのかしら。自由に動き回る光たちを見ながら、それが少し歯がゆく感じられるのだった。


「今まで見られなかったのに、なんで今日は見ることができたんでしょう。ね、ラヴィ」


 ラヴィはよっぽど好かれているのか、沢山の妖精たちに囲まれ、気持ちよさそうにうつらうつらとしていたが、とうとうごろんと横に寝転び、大きな体をのっそりと丸めた。


「もう。今頃眠くなったんですか?」


 そういってミハネはいつもみたいにラヴィをモフモフした。その時になってラヴィの様子がいつもと違うことに気が付いた。ラヴィの毛皮の奥にある細かい毛に覆われた柔らかな皮膚に触れたとき、いつもはあたたかなそこがぞっとするほど冷たく感じた。表の毛は毛並みが乱れ、パサパサとして柔らかさを失っていた。妖精はまだ続々と集まってくる。木の幹の間から、雪の底から、星の光の瞬きから。そうして集まった光たちは、ラヴィの体を行ったり来たりと通過して、なにやら不思議な儀式をしているように感じた。彼女たちは皆、ラヴィと遊びに来たのではなく、ラヴィの魂を連れて行こうとしていることをミハネはようやく理解した。


「待って。ねぇ、ラヴィ、起きて。お願い。もう少し・・・」


 ミハネは乱暴にラヴィを揺さぶり、体をはたいて体についている妖精を追い返そうとした。


「あっちに行って、お願いだから・・・起きて!ねぇ、ラヴィ!!」


 体をポスポスと叩いたが、ラヴィの反応はない。ルーファスとロメロの顔が脳裏を横切った。彼が死んだことを知れば、彼らはどう思うのだろう。こんなに傍にいる自分でも、心がきしんで張り裂けそうなのに。


「ねぇ!まだ、あの二人はまだ知らないんだよ!!お願い、待って!!」


 ラヴィの体をぎゅっと抱きしめたとき、ラヴィの背中から柔らかくて大きな光がふぅっと出てきたような気がした。光に包まれながら、ミハネは涙をボロボロ流して懇願した。


「置いていかないで・・・!!!」


 光はどんどん大きくなりまるでミハネ自身が輝いているみたいだった。やがてそれ以上に光は膨らみ続け、丸い原っぱ全体を、中央にある大きな大樹を、森全体を飲み込みながら、空に向かって放たれた。


 

 光が消えた後には静寂だけが残った。ミハネはその場にしゃがみ込み、眠ったように動かなくなったラヴィをそっと撫でた。この中にはラヴィはもういない。何もかもが失われ、ミハネは自分が空っぽのがらんどうになってしまったような気になっていた。そのがらんどうの体の中を前世の父の咆哮と母の嗚咽がこだました。あの時自分は苦しさよりも悔しくて悲しくて申し訳なくて体が悲鳴を上げていた。それが何よりも辛いと思っていた。まさか残された人の気持ちが、それとは比べ物にならないくらいに痛みを伴うものだとは知らなかった。


(私は・・・とてもとても無力だ・・・)


 空っぽのはずなのに、涙が何故か止まらなかった。



 誰もが死の瞬間と誕生の瞬間を自覚できないのと同じように、夜と朝の境目は、誰も知ることができないと言われている。夜明け前が一番暗いはずなのに、気が付いたらもう空は白み始めている。

 ミハネはいつの間にか眠ってしまっていた。それすらも妖精の計らいだったという事には、彼女はまだ気づいていない。

ここで第一章が終わります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

まだ物語は続きますので、よろしくお願いいたします。

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