魔王城にて
ミハネはパロの葉を鞄に詰め込むと、あっという間に見えなくなった。
その様子を見ながら、ロメロは不安そうに呟いた。
「ミハネ・・・大丈夫かなぁ・・・」
「今の魔王様のあの様子なら、あの子を無碍には扱わないだろ」
「それは・・・そうだろうけど・・・無茶しすぎずに無事帰ってきて欲しいなぁ・・・」
”疾走”して、もう何時間たっただろうか。決してペースを落とさないまま、彼女はひたすら走り続けた。自分の大事な存在にじわじわと近づいてくる死の気配と、失うかもしれない不安と恐怖に駆り立てられ、半ば我を失った状態でただただ走るしかなかった。
雪の積もった広葉樹も、日光を反射して照りつける白銀の世界も普段のミハネには見慣れた世界だ。そこを抜けて異様な雰囲気の立ち込めている針葉樹が近づいてくると、呼吸が乱れ、手足の動きが鈍ってくるのがわかった。独特の臭気とねっとりとした湿度を含む空気が、ミハネに重くのしかかってくるようだ。ギリ、と奥歯を噛み締めて前へ進もうとすると、たちまち足をすくわれる。とうとうその場に突っ伏した。心身の疲労に加え、立ち止まったことで噴き出してくる考えうる限り最悪の結末が、ミハネの脳内を駆け巡った。これも瘴気の仕業かもしれないと思い立ったのは、感情的になりひとしきり泣いた後の事だった。
(知らなかった・・・。瘴気がこんなにも厄介だなんて・・・)
気持ちを切り替えて鞄からパロの葉を取り出して口に入れる。淡いクリーム色をしたその葉は、うっすらと苦みがあるがさほど癖はない。二、三枚飲み下すと腹のあたりから四肢にかけて、体に清浄なエネルギーがいきわたるような感じがして、妙な空気はなくなった。パロの葉は、瘴気に侵された体を元の状態に戻す効果がある。ただし、それは瘴気のない場所で使用するから効果があるのであって、瘴気で満たされた場所では、一時的に元に戻ったとしてもすぐにまたまとわりついてきた瘴気にやられてしまう。針葉樹の森が深くなってくるにつれ、瘴気はさらに濃く、暗く、とぐろを巻くように手足にまとわりついてきた。手足の痛みやしびれに加え、頭痛も頻繁に起こるようになる。倒れて意識が途切れてしまったら、今まで走ってきたすべてが無駄になってしまう。ミハネは鞄の中の葉の残りの枚数を数えると、それを半分に分け、片方を残し、半分を食べた。次に瘴気にやられる前に走り切る算段で、はじめのころと変わらないスピードで疾走した。
ケイオスの森からまっすぐに北上した場所、つまりミハネが一直線に走り向かっている場所には、森を抜けると傾斜の強い山脈が連なり、山脈の向こう側は北の王国ニヴルの領地となっている。その山脈の頭頂部に魔王城があり、ふもとには少し開けた魔物のための城下町スヴァルが栄えている。そこには、武器・防具の店や宿屋、食事ができるレストランや酒場、格闘技場やカジノなどの娯楽施設など、生活に必要な施設はほぼ揃っている。生活に必要なものが充実すればするほど、町や国を襲って金品食料を奪う必要がなくなる。
これは魔王の方針で、魔物が人狩りや町を滅ぼすことに目を向けさせない目的で始めたことだ。この方針を徹底しているために、魔王城の間近にある北の王国は被害を受けず、時に取引にも応じるような間柄だった。魔物の中にも殺戮を好む残虐な性質のものや、血の気の多い荒くれものはおり、その大多数はこの方針が気に入らず不満を持ってはいたが、魔族は王の言葉が絶対であるため、それを表立って進言するものはいなかった。
そのような城下町にミハネが到着する頃、日は傾きかけており、夕日が赤く輝きながら沈もうとしていた。息を荒くして今にも倒れそうな少女を、城下町の異形の面々は珍しそうに見物していた。猪のような顔の角だらけの者や、ガーゴイルのように嘴と翼を持った者、ルーファスに似た様相のゴブリンなど、多種多様な魔物たちが近寄ってくる。
「あれ、人間じゃねぇの・・・。どっから来たんだろうな」
「あの瘴気をくぐってきたってのか?小さいが意外と強いのかもしれん」
ヒソヒソと会話を交わす面々を見て、ミハネは声を掛けた。
「あの・・・・すみません、どなたか酒場を教えてくれませんか」
「っつったってよ、お嬢ちゃん未成年だろ?あんなとこ行くもんじゃねぇよう」
思いのほかリテラシーの整ったセリフに、ミハネは少し気持ちが楽になった。
「お酒は飲みません・・・ルーファスのお使いで来たんです・・・ここに来たら酒場に行けって。時間がありません。お願いです。魔王様に会いたいんです」
「嬢ちゃん、ルーファスの知り合いけ?そういうこったか、承知した。こっちさ来い」
「あ、ありがとうございます」
意識が途切れそうなのを何とか我慢しながら、もつれる足で猪頭についていく。大股で歩く彼に足がついていかず、倒れそうになったのをガーゴイルに救われた。
「しっかりしろ。お前、どこから来た」
「も、森の中央地点から・・・」
「あぁ、ルーファスが居るの、あの辺だったなや」
大人の足でも三日はかかる距離だ。この子はどのような思いでここまでやってきたのだろう。そして、魔王に会うとはあまり穏やかとは言えない。それがたとえ、ルーファスからの頼み事であったとしても。
「魔王様に会う、というのはあまり問題ではない。あのお方は慈悲深い方ゆえ、危害を加えようとしない限り時間を割いてくださるだろう。けれども、そのためにはまずこれを飲んでもらわなくてはならない」
酒場のテーブルについたミハネの目の前にドン!と置かれたのは、顔ほどもある大ジョッキで、中にセメントのようなドロドロとした液体が表面張力の限界まで注がれていた。
「これを・・・全部ですか?」
「無理であればお帰り願おう」
ガーゴイルは冷たく言い放った。灰色で黒や紫のツブツブが浮かんで見えるその飲み物は、思い出したようにボコッと泡が浮いては消えて表面に穴をあけている。顔を近づけると瘴気とはまた違った独特の香りがする。ミハネはふと、前世に病院にいた頃に飲んだバリウムを思い出した。
「わかりました・・・・」
何も考えず、食道から胃に直接届くようにして、ジョッキを傾けてセメントを流し込んだ。
飲み込んだ後に襲ってくる猛烈な気持ちの悪さに耐えていると、魔物たちが関心の目を向けてきた。
「すげぇなー。あれを一気に飲み干したぞ」
「嬢ちゃん、いい飲みっぷりだったぞ!」
好意的な言葉を向けてくれたのに、ミハネは全く反応できなかった。両手で口を塞いでいないと吐きそうだったからだ。
「うぐぅ・・・」
「よし、全部飲んだな。約束通り連れていってやる」
酒場を出るとすぐさまガーゴイルはミハネを抱きかかえて翼を広げ飛翔した。
「普段ならワイバーンを使うんだが飛び方が荒いと台無しになりそうだからな・・・。そのまま口を塞いでおいてくれ。絶対に吐くなよ頼むから」
ガーゴイルは空に向かって一直線に飛び上がり、魔王城の屋根を超えたところで吹き荒れる風の気流を読んでそこへ翼を添わせた。そのためいたずらに風にあおられることなく、スムーズに城の上部中央にある宮殿のバルコニーに着地した。
「本来なら客人は城門から中へお通しするのが通常なのだが、なにやら事情がありそうなんでな。近道を使わせてもらった」
ガーゴイルは窓を三度ノックし、リリス、と三度名前を呼んだ。窓が開き、中から妖艶な女性が姿を現した。緩やかにウェーブのかかった髪に、細い銀縁の眼鏡、その奥の燃えるような深紅の瞳。濡れたような唇には同じ色のグロスが塗られている。大きな胸と細い腰を強調するように、黒色のピッタリとしたハイネックで袖のないデザインのマーメイドラインドレスを着こなし、同色エナメルのピンヒールを履いている。
「珍しいわね。あなたがそこから声を掛けるなんて」
「客人だ。魔王様に急用らしい」
「魔王様に?ふぅん」
黒くつややかなロングヘアーをなびかせ、値踏みをするようにミハネを見る。
「まぁ・・・害にはならないだろうから御会いなさるでしょ。貴方名前は?」
「あ、ミ、ミハネです」
「そ。じゃあ、こっちついてきてくれる?」
ふわりと風を受ける髪の隙間から、黒く鋭い角が二本見えた。ミハネはリリスの背中が存外開いていて、そこから翼が出ているのを見て、すこしだけドギマギしていた。
どこまでも長く続く廊下を振り向きもせずに歩き続けるリリスに続き、少々早足になりながらミハネは付いて行った。二人の足音は天井の高い孤高の空間に響き渡った。人を寄せ付けない冷たさのある建物だとミハネは思った。その反面、少し不思議な気持ちもあった。ルーファスも城下町の魔物たちも、魔王が自分を傷つけない、殺さないという事をわかっているという事だ。まるで友好条約でも結んだかのように、これまであった度の魔物たちも、自分に危害を加えようとはしなかった。少なくとも、魔王が世界を征服し、それを止めようとするシナリオはこの世界では発生しなさそうだ。セメントを飲んだ気持ちの悪さが薄れだし、冷静になってくると、ミハネはこの世界の状況をもう少し詳しく知りたいと思うようになっていった。
「長いでしょう、この廊下」
「は、はい」
「あなた年齢は?」
「こないだ10歳になりました」
「あらそう。残念ね」
「?」
ようやくリリスの足が止まり、魔王の部屋の扉の前に立った。
見るからに重厚そうな漆黒の扉はどこまでも高く、森の中央にある巨大な大樹程度なら軽く通り抜けられそうなくらいの幅があった。リリスが扉に手を当てて呪文を唱えると、音を立てて扉が開いた。
「来なさい」
ピンヒールが闇に吸い込まれていく。ミハネは急いでその後に続いた。
空気が徐々に重たく冷たくなっていくのがわかった。肌や髪の先にピリピリと電流のようなものが走る。瘴気のようでもないこの感覚に緊張し、ミハネは足がすくむような思いがした。
(たぶん私、怖いんだ・・・・)
彼女はこの時初めて畏怖すべき者と対峙した。心臓がギュッと握りつぶされそうに痛み、激しく脈打つ。口内が乾き、震えが止まらない。彼女はこの世界の者と戦う気も、覚悟すらさらさらないが、それでも魔王が指先ひとつで彼女の腹に風穴を開けられるであろうことは想像できた。
「魔王様、この者が直々に嘆願したいと述べるものです」
「うむ、表を上げよ」
魔王が言葉を発し、そばにいた蝙蝠のような者たちが一斉に飛び立ち、天窓から逃げて行った。
ミハネはあまりの怖さに気が動転しそうだったが、ラヴィの事を思い出して思い切って顔を上げ魔王を見た。
彼はまっすぐな黒髪と切れ長の青い眼をしていた。想像よりもずいぶんと若く、凛々しく端正な顔立ち。顔色はあまり良いとは言えなかったが、体格が人間のそれよりもはるかに大きく、尖った耳と二本の角がなければ、人間と大差はないように見えた。
「リリス、ダークアイズはすべて出払ったか?」
「はっ。仰せの通りに」
「そうか、よしよし。で、お嬢ちゃんお名前は?」
「へぁ?あっミハネです」
「ミハネちゃんね。こんなところまでよく来たねー。偉いねー。あの瘴気抵抗薬は全部飲んだね?あのジョッキ一杯のやつ」
「飲みました・・・。すごくまずかったです」
「まずいよねーあのお薬、ごめんねー。でもあれがないと人間や瘴気無耐性の魔物とかは心を病んじゃって自制が効かなくなっちゃうからさ。ちゃんと飲んでくれてよかったよ。偉いぞー。怪我とか大丈夫?リリスおねーちゃんに回復してもらおっか?」
「え・・・いいんですか?」
「手も足もボロボロだからさ。リリス、頼む」
「畏まりました」
リリスが額に手をかざし、呪文を唱える。ポゥ・・・と手のひらの中央が青白く光ると、それは広がってミハネを包み込み、傷をみるみる治していった」
「すごい・・・痛くなくなった・・・。あの、ありがとうございます」
リリスはお礼を言われて微笑み返した。
「はるばる遠いところから来たみたいだけど、そろそろ要件をきいてもいいかな」
「あの、魔王様にお願いがあるんです」
ミハネは育ての親である森のヌシが何者かに襲われて危篤状態であることを話した。
「そっか、あいつがねぇ・・・」
「それで、もしかしたら魔王様が持っている月下睡蓮があれば、助かるかもしれないんです。ラヴィは家族だから、死んじゃったら私・・・・」
目頭がツンと痛くなる。涙がこぼれそうになるのをミハネは必死でこらえた。
「・・・助けたい気持ちはわかるけど、月下睡蓮を手に入れたからと言ってあいつが本当に助かるかどうかはわからないよ。それでもいい?」
「ルーファスとロメロに誓ったんです。私、ラヴィの為なら何でもするって。だから私は、必ず持って帰ります」
「何でもする、ねぇ。子供って本当に危なっかしいね。いいよ、わかった。リリス、月下睡蓮を」
「はっ」
リリスは立ち去り、またすぐに白い花の入った瓶を持ってきた。液体に満たされた瓶の中で、透明感のある花弁は細やかな気泡を出しながら揺られていた。
「この花はとても特殊でね、どこで採れるか誰も知らない。献上品として僕はたまたま手に入れたけど、長寿の薬として珍重されるみたいだね。この花は、清らかな水の中に入れて月の光に当てることで、生き永らえ続けているんだよ。この花びらを傷口に当て、浸してある水を飲ませるといい。
「綺麗・・・・。魔王様、この御恩は忘れません。ありがとうございます」
「気にしないで。また返してくれたらいいから」
「わかりました!!何年かかっても必ず返しに来ます」
「君はとってもいい子だね!いい子だから、一つ忠告しといてあげるよ」
「はい」
「この世界で生き延びたければ、もう二度と誰のためだとしても、”何でもする”とは言ってはいけないよ。それは銃口を自分に向けて引き金を引く言葉になるからね」
「・・・わかりました」
「じゃあ、帰りは送ってあげよう。リリス、スレイプの用意を」
「畏まりました」
リリスは鋭く指笛を吹き、頑健な馬を呼び寄せた。
「魔界の馬だ。鞍に乗って手綱をしっかり握ってごらん。そう、そしたら、帰りたいところを想像して。一瞬で帰れる。鞄をしっかり持って瓶を落とさないようにね」
「魔王様、リリス様、ありがとうございます!!」
言うが早いか、スレイプは大きく前足を振り上げ、走り去った。そのまま山頂である城から城下町へ直滑降したためだろう。絹を割くような悲鳴と若干の叫び声がこだました。その声が細く消え去る頃、魔王顔に冷たい非情さが宿った。
「・・・行ったな」
「左様でございます、魔王様」
「リリスよ。少女に対する私の態度は適切であっただろうか」
「・・・完璧でございました」
「そうか。大儀だった」
「勿体ないお言葉でございます。しかしながら魔王様、これでよろしかったのですか?」
「何がだ?」
「月下睡蓮ですわ。もう手に入らないかもしれませんのに。何かあった時の為に温存しておくつもりでしたでしょう」
「問題ない。リリス、あの子のステータスを見ただろう。教えてくれ」
「・・・レベルは14。ステータス的にはレベルにふさわしくまぁ平均値というところですわね。特殊なのは毒や麻痺、眠り、興奮状態・・・ほとんどの状態異常が無効になりますわ。後は、スキルが特殊ですわね」
「それは視ていてわかった。今回私とリリスが手を施したことで、瘴気に対する耐性も出来たことだろう。彼女はきっとまた、月下睡蓮をもってここに来るであろうな」
客人が来て楽しそうにする魔王を見て、リリスはこっそりため息をついた。この荒くれものの集う無秩序だった魔族の集落に、力だけではなく知恵を持って統率する魔王の王としての資質に、彼女は人目置いていた。魔界のみならず、人間界との繋がりもうまく利用してさらに発展させていくその手腕も申し分がなかった。何もかもがうまくいってるその状況は悪くはないとはいえ、彼女は退屈していた。
(ミハネね・・・。素材はそう悪くはないんだけれども・・・)
ロリおじカップルは私の趣味じゃないのよね。リリスはそうひとりごちた。そう、彼女は熱烈な恋愛至上主義者だった。特に自分の事よりも、人の恋愛事情をこっそりと盗み見をして歓ぶタイプのものだ。
彼女はラブロマンスを求めるあまりに、魔王とフラグが立ちそうな相手を婚約者候補としてこっそりとマークしていたのだった。




