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赤き竜

 赤い光が光のような速さで遠ざかっていくのが見えた。その光が消えた今、どこもかしこも闇に包まれた通路をミハネは全身が空を切るのを感じながら、なすすべなく落下を続けている。

 ミハネは四階から一階までのおおよその高さを計算したが、体感的に既に一階だった場所は通過して、地下深くへと進んでいるのだろう。

 空気の抵抗が生じているせいか体を動かすのも難儀したが、なんとか体を無理によじって仰向けの姿勢を作ると、両手を床側に向けて大きな風の塊をイメージして呪文を唱えた。

 暗闇の所為で落下している地点から床までの距離は測りかねたが、イチかバチかの賭けだった。

ミハネの手から生じた空気の層は床に当たっては跳ね返り、ミハネの体を一瞬宙に浮かせたあと、なんとか床に着地させたのだった。機転を利かせたことで何とか無事だったが、今更どっと汗をかき、動悸が激しくなってくる。

 意識的にゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせると、ミハネは真っ暗な周りを見回す。四階の中央の部屋はあまり広いとは言えなかったが、地下のここでは周りに壁があるかのような圧迫感はない。壁にたどり着くまで慎重に歩いて行くと、落ちたところから壁にたどり着くまで相当な距離を歩くことになった。ひた、と壁に触れてみるとそれは上の階のそれと同じような感触の石だ。魔物の気配がないかどうかミハネは息をひそめて辺りを探り、しんと静まり返っているのを確認すると、意を決して手のひらから炎を出した。周囲が明るくなると、そこは相当広い神殿の様な様相をしていることが分かる。ミハネは天井辺りに火の玉を飛ばしてランプに灯りを点けていった。空間の両端にはギリシャ建築を彷彿とさせるような柱が幾つも並び、奥には柱で囲まれた祠があった。

 ミハネは祠を避けて周りをぐるりと見て回ったが、地上階に行く取っ掛かりとなるようなものは見つからない。場所の雰囲気からして何かが居そうな予感がしてくる。ミハネは腰に刺した短剣に触れて帯刀出来ているか確認をした。

 襲い掛かってきたら、喉元を狙えば・・・。マリスの言葉を思い出すたびに力が抜けそうになる。出来れば何も殺さずに逃げ切ってしまいたい。だが、魔物の巣窟にわざわざ入るという事は、当然命を狙われるし、自分の命を守るためには相手を傷つけたり息の根を止める覚悟も無ければならない。それは狩りや釣りで獲った獲物を食べるのとは異なるが、命のやり取りには違いない。マリスはとても正しい事を伝えてくれている。それは頭では理解していた。

 祠の中に入るための踏ん切りがつかなくなり、ミハネは一度鞄の中を整理することにした。鞄の中には水筒が二本とほんの少し残っていたパロの葉やカシムの花、財布とマリスがくれた謎の紙の包みだった。

 どうしても逃げ切れなくなったら魔物の前に放り出すと良いものなんだそうだ。中身は結局教えてもらえなかった。

 まさか地下に落ちてきてしまうとは思いもよらなかったので、ここに魔物がいるとすれば、どのような強さでどんな者がいるか想定ができない。もしかしたら、この材料だけでは逃げるだけで精いっぱいという可能性だってある。だが、逃げ切ってしまえばまだチャンスはあるはずだ。ミハネは鞄を握りしめると、一歩一歩祠へと歩みを進めるのだった。


 祠の中はしんと静まり返っていて、中央だけが灯りを灯していないのになぜか明るい。その様子はミハネに、夢の中で見た誕生日のバースデーケーキを思い起こした。足音を立てないように注意深く明るい場所まで向かっていくと、そこには品の良いアンティーク調のテーブルと椅子があり、テーブルの中央には火の灯された小さな蝋燭が置いてあり、白い陶器のポットとカップがそっと添えられていた。

 敵意を削がれて思わずポットとカップのセットをしげしげと眺めてしまう。


『貴方の為に用意したものです。どうぞおかけくださいませ』


 声の主は何もないところですが、と付け加えた。びっくりして思わず辺りを見回すが、どこにも姿が見えない。


「あのう、私はミハネと言います。貴方はどなたですか?ピラミッドの主様?」


『大した者ではございません。ただ、長年ここにおりますが客人がお越しになられたのは貴方様ただ一人でいらっしゃいますから、出来るだけ手厚いおもてなしをと思いまして』


 声に促されるようにミハネは椅子に腰掛ける。背後から手袋をした手がすっと姿を現すと、伏せられていたカップを表向きにして熱いハーブティーをゆっくりと注いだ。

 その様子を見ながら、ミハネはなんだかソワソワした。何者かわからない不気味さは相変わらずなのに、気持ちが安定しすぎてしまっている。この根拠のない安心が、ミハネの中では一番不気味に感じた。


「ピラミッドの中は存外冷えてしまいますから、熱いうちにどうぞ」


 ハーブティーを一口啜ると、口の中でさっぱりとした芳香がはじけ、胃の中に温かさが広がっていくのを感じた。意識していなかっただけで、体がかなり冷えてしまっていたのだろう。それが自覚できるくらいに、お茶は体を温めてくれた。


「美味しいです。いろんなハーブがブレンドされていて。まるでマリスさんのところで飲むような・・・」


「ええ。あの子がわざわざ満月になると届けてくれるのです。そして、あの子の手引きがないとピラミッドの内部へは来られない仕組みになっていますから、ここへ来たあなたはマリスの大事な方だとお見受けしたのです、薬草屋のミハネ様。ようこそ、わがピラミッドへ」


「私の名前を知っているのですか?」


「あの子から良く聞いています。それに、私の大切な仲間たちを沢山連れてきてくれた。ニダヴェル、それからケイオスの森に棲む者達」


 ミハネは驚いて後ろを振り向く。もちろんそこには誰も居ず、空虚で仄かな闇が奥まで広がっている。


「貴方には見えるのですね・・・。私は私の背後に沢山いると言われるのですが、それを視たことがないのです」


「視たいからと言って視るというものではないのです。私たちが姿を現すときというのは、それ相応の何かが起こる場合が多いのです。例えば、今のような状態ですね。ミハネ様が今までその姿を視なかったのは、まだその時ではなかったからでしょう」


「それも言われました。けれども、私には時間がありませんし、力を必要としています。どうか、助けてもらえませんか」


 しばらくすると、カツ、カツ、と背後から靴音を高く響かせて近づいてくる気配がした。姿を見せてくれるのだろうかと期待をしていると、つま先まで丁寧に磨かれた革靴を履き細身のスラックスを着こなした男性らしき者が姿を現した。男性らしいのは声がそうであるからで、上半身はベッドシーツのようなものをすっぽりと被っている為、顔が分からない。ミハネが困った顔をしていると、シーツの中から声が聞こえてくる。


「このような姿で申し訳ございません。人の姿を維持していられるのはこの足元で精いっぱいなのです。私は生来、変化が大の苦手分野でありまして、顔を整えれば体がわやに、体を整えてもしっぽがそのままといった有様で、人との暮らしに馴染むことができず今まで苦労してまいりました。お陰様で元居た場所から流れに流れてムスペルの砂漠の真ん中の、このような人の来ない場所でなりを潜めて生きて行くのが精々という有様で、何ともお見苦しい所存でございます」


「いえ、お構いなく。・・・ということは、今足だけ人間でも苦しいのでしょうか」


「苦しいというほどではございません。自分の身の丈よりも小さな服に体を押し込めるようなものです。それでも、おもてなしには身だしなみや清潔感、人を怖がらせないという事がとても大切だと考えていますから、大したことではございません」


「そうですか。礼儀正しい方なのですね。けれども、もしも窮屈さを感じているのであれば、私は大丈夫ですので元の姿になっていただいても構いませんよ」


「なんと!お優しい。それでは、お言葉に甘えて遠慮なく」


 彼は祠から外へ出ていくと、シーツの中で手足を広げると、うんと背中を伸ばした。ぐんぐんと伸びては太くたくましくなっていく四肢とその根幹の肉体は人間のそれではなくなり、装着していたシーツや服は幻のように霧散した。鬣のようにびっしりと棘の連なった背中からは大きな翼が生え、動かすだけでつむじ風が巻き起こる。赤い竜の頭には鱗がびっしりと生えており、鋭く尖った大きな角は真鍮のように鈍く光っている。眼は黄金のように爛々と輝き、ミハネを捉えている。


『今までどんなに言葉や礼儀を尽くしても駄目でした。この姿を見るだけで人は恐怖に駆られてしまう。恐怖は次第に怒りへと変わり、その怒りが集団に伝わると弾圧が始まりました。何百年もの間、どこに居てもそうでした。ここに定住するまでずっとです。あなたからは何故か私を恐怖する様子を感じられない。私の言葉を信じてくれているからですか?』


 ミハネはしばらく考えていたが、言葉を選びながら慎重に答えだした。


「上手く言えないのですが、マリスさんの大切にしている人だという事が伝わるからでしょうか。つながりを感じるというか」


 ほう、と彼の口から小さなつぶやきが漏れた。


『貴方はマリスの眼を見たことが?』


「いえ、マリスさん、いつもゴーグルを掛けているので見たことはないです」


『・・・ミハネ様、マリスが亜人というのは聞いたことがありますか?』


「はい、竜の血を引いていると」


 はっとしてミハネは目の前のドラゴンをまじまじと見つめた。


『マリスの母親は人間の魔女でした。眼だけがドラゴンの私の特性を受け継いでしまった。あの子には私は苦労ばかり掛けている。私はマリスの父、ラマンドと言います』


 ラマンドは恭しく頭を下げた。ミハネもつられてぺこりとお辞儀をした。礼儀は正しいがラマンドの瞳は金色に燃えているし、やろうと思えば鋭い牙と大きな口でミハネを丸呑みにだってできるだろう。

 ドラゴンの伝承は数多くあるが、赤いドラゴンは火や血、災厄を連想するために忌み嫌われることが多いという事を、ニダヴェルの図書館で国の歴史を読んでいるときに見かけたことがある。人が彼を恐ろしいと感じるのを、ミハネは責めることはできなかったが、人々がどれだけマリスたち親子を傷つけてきたのかを考えると、胸が締め付けられそうになった。


『今日ここに来た目的は、私に会うことでしょうか?』


「・・・いいえ。出来るだけ早く、月下睡蓮を手に入れて戻らなければなりません」


『そうでしたか・・・。理解しました。それでは、急ぎましょうか』


 ラマンドはミハネに背中に乗るように促した。ミハネは言われたとおりにすると、その鬣をしっかりとつかんで準備をした。ラマンドは天を仰ぎ音もなく宙に浮くと、そのまま天井めがけて一気に加速し飛翔していった。

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