チェスとピラミッド
食事を済ませてお店に戻る頃には夜も更けて、満天の星が瞬きだす。月はふっくらとした姿をしていたが、まだ完全な球体とは言えない姿で上がってきている。
「あと四日で満月になるわね」
マリスが月を見上げながら呟く。ミハネは気を引き締めてダンジョンの準備に取り掛かろうとしていた。店に入るとマリスはお茶の準備をするために奥の部屋に入って行った。武器は綺麗に片付けられていて、宝石の付いた黒い本だけがテーブルの上に乗っている。ミハネは恐る恐る本に手を触れてみる。けれどももう本がくっついてくることはなかった。気になってペラペラとページを捲ってみる。書かれている文字は相変わらず読めなかったが、ほんの終盤には不思議な円形の図面や長方形の中に文字を描かれたもの、翼の生えた人の絵などが細部まで繊細かつ緻密ななタッチで描かれていた。翼の生えた人物に、以前何処かでミハネは会ったことのあるような感覚を覚えたのだが、何処の誰でいつあったのか、思い出せなかった。
「それ、天使召喚の魔術書みたいよ」
お茶と共にやってきたマリスが声を掛ける。
「天使を呼ぶんですか?」
「そう。有名な悪魔召喚の魔導書ゲーティアの天使版と言ったところね。有名なところだとエノク書なんかがあるけれども、これは無名の誰かが書いたもの。なかなかの高等魔術よ。正義と悪、白と黒、天と地、様々な二元性を捻れさせ、逆転させることでとてつもない”何か”を召喚させる・・・。多分、ニヴルから逃げて集落を作った人たちが書き綴ったのでしょうね。神と教会の概念が広まってから、こういった召喚術や魔術はあちらでは禁忌だったから。最近よ、魔術も古くから伝わる”科学の一種”ということにして迎合する姿勢を取り出したのは」
「召喚術って出来るものなのですか?」
「魔術と同じよ。コツを理解して術者に相応の魔力さえあれば、波長の合う何かが次元の狭間を越えて魔法陣のところまでやってきてくれる。まぁ、適性もある程度は要るでしょうけど。その本は出しておいてあげるから、文章の解釈からコツコツ始めなさいよね。まぁでも今夜はこっちね」
マリスは話を切り上げると、半分に畳まれていたチェス盤を開きテーブルに置いた。黒と白の駒も別々の箱に用意されている。
「チェスは経験ある?」
「いえ、全くないです」
「駄目ねぇ。遊びもちゃんと学んでいかないと。まぁいいわ。今日はルールと進め方だけ説明するわね」
マリスは六種類の駒の説明と動かし方を伝えると、一つずつ動かし方を伝えながらキングを討ち取れば勝ちだという事をミハネに教える。
「いわゆる戦のやり方をボードゲームにしたわけなんだけど、これをするのにも意味があってね。上達してくると相手の出方を読んで対策を考えたり、こちらから仕掛けたりすることができるの。戦いには敵をかく乱させたり罠を仕掛ける頭脳戦も必要不可欠な要素となる。そこもちゃんと鍛えていかないといけないからね」
「なるほど・・・わかりました」
ずっと緊張していたミハネは食事で気が緩んだのか、楽しそうにチェスのコツを少しずつ掴んで行った。夢中になった二人がゲームを終了したのは、夜が深まってずいぶんと経ってからだった。
次の日からは薬草を使った実験の連続だった。ダンジョンを攻略するためにどれだけ魔物にばれないように月下睡蓮に近づくか、その為に摂る行動や必要な薬草について何度も話し合い、複数の本に記された薬草の効果について、それが本当かどうか検証するためにいくつかの薬を作っては試し、実証ができたものだけを取り入れていく。中にはどういう状態でその効果を出そうと思ったのかと首をひねるような薬草もあったが、そのようなもののほうが効果が出やすいのも面白かった。
夕食は先日のようにレストラン『ディクレタメンディ』へ行くか、屋台で手軽に済ませるかのどちらかにして、夜は決まってチェスに熱中した。ミハネがある程度まともに勝負が出来るようになってくると、
「少し趣向を変えましょうか」
とマリスは言いながら、白と黒の駒のいくつかを盤上から除いていくと、自分の魔力をチェスボードに流し込みながら呪文を唱えた。チェスボードから立体的な映像が浮かび上がり、駒は小さな蝙蝠や狼の魔物の姿になって盤の上で威嚇してきた。よく見ると蝙蝠はビショップ、狼はルークの駒が対応している。ミハネ側の駒は全て白い袋になっている。これは自前の薬草を表しているのだろう。キングは女の子の姿、つまりミハネ本人を示し、マリス側にあるキングは宝箱の姿になっている。
「このチェスボードは少し特殊でね。ゲーマーの魔力に反応して術者の思う通りの姿をチェス盤の上に投影してくれるの。今この盤上はダンジョンの中そっくりに出来ているわ。これを使って説明していこうと思ってね」
さあ、始めましょうかとマリスが言うと盤上だけが濃厚な闇に包まれて何も見えなくなってしまった。
「ダンジョンの中は時折月明かりの見えるくらいの真っ暗な道を長々と歩いて行かなければならない。出来れば魔物を刺激したくないから、行きは松明を使うのは控えたほうがいいわ。右手を壁に付けながら進んで行くと、時間はかかるけど迷わなくて済むからそうすること。ダンジョンはピラミッド型で上に登っていく形になっているわ」
ミハネは今の説明だけを聞いて少し悩んだが、右回りにキングを進めることにした。進めるごとに魔物の気配が迫ってくるようだ。ただのボードゲームなのに今まで以上に臨場感が伝わってくる。ミハネは慌ててキングの前に薬草の袋を置いた。
「しばらく歩いていると、壁に杭が打ち付けられているから、それに手が触れたらそこから上に上がれるわ。二階に着いたら、また右手を壁に付けて進んで行くのよ」
階が変わると盤上の魔物の配置まで変わってしまう。ミハネは慌てて戦略を練り直さなくてはならない。
「・・・五階まで上がり切ることができれば、そこに月下睡蓮があるわ。そこの水を水筒に入れてまた戻ってきてくれるかしら」
「わかりました。あのう、月下睡蓮の花を一本切り取って持って帰っても構いませんか」
「ええ、それは別に構わないけれども、必要なの?」
「・・・はい。以前借りを作ってしまった人がいるので、ちゃんと返したいなと思って」
「そう。じゃあ、水筒は二本要るわね。月下睡蓮は水から離すとすぐに萎れてしまうの。必ず水中で茎を切ってから、空気にさらさないように水ごと水筒に入れてくれるかしら」
「・・・はい!ありがとうございます」
魔チェスは従来のチェスに比べると格段に難しく、ミハネは簡単にチェックメイトを重ねられ続けてしまったが、やればやるほど勘が研ぎ澄まされていくように感じ、冷静に盤上の気配を探りながら駒を進めて行けるようになった。ミハネはずっとこのゲームをしていたいと思うようになっていったが、夜更けには必ずマリスのストップがかかり、ミハネは宿に返されることとなった。
「貴方の本分はあくまでも薬草屋ですからね。あまり早寝早起きのリズムが崩れると薬草にも良くないわ。ちゃんと質のいい薬草を作ってもらわないと私だって困るんだから」
楽しい時間の後というのはどこか寂しくて。ミハネはいつも残念な気持ちを少し抱えながらマリスの店を後にしている。それももう、あと少しだ。ほとんど綺麗な球体となった月を眺めながら、明日への緊張を胸に宿へと帰っていくのだった。
ラズダーザとは違い、ムスペルの夜は冷えるからと持たされたカーディガンを羽織り、ミハネは陽が沈むまでの間、ムスペル城のふもとにあるホテルのラウンジで温かいココアを飲んでいる。
ムスペルはその大半が砂漠だが、土地の面積で言えば他の三国よりも遥かに広い。その為、他の国では馬や馬車の移動が一般的だが、ムスペルでは国内を走る蒸気機関車が走る線路が開通していた。線路上を走る機関車の車窓からは広大な砂漠がどこまでも広がり、その奥に小さくピラミッドや古墳の様な洞穴の空いた山が見える。ミハネは広大な砂漠の織り成す景色をじっと見ながら、ラズダーザからムスペル国へと赴いたのだ。
日が完全に沈んだら、ミハネはラウンジを出てムスペル城の方へ歩き出した。インドのマハラジャを彷彿とさせるような白を基調に金や原色で彩色を施された、遠目にも特徴ある美しいお城だ。間近で見るともはや圧巻ともいえる佇まいを見せてくれる。
当日、マリスはミハネにダンジョンの入り方を教えてくれた。月下睡蓮の眠っているダンジョンは、車窓から見えていたピラミッドや洞窟とは違い、普通の人には見えないように巧妙に隠されているらしい。ミハネはムスペル城の城門より北極星の方向に向かって走り出す。しばらく走っていると、正面にピラミッドが現れる。今度はピラミッドから90度角度を変えて、東に向かって96歩歩き、さらに北に140歩歩いたところで立ち止まり、乾燥させカシムの花を重ねると、手のひらから炎を出して燃やす。カシムは燃やしても火が付きにくく、驚くほど煙が出やすい。そしてこの煙には若干の催眠作用が含まれている。通常はこの煙を吸うことで幻覚を見たり感情のブレや揺らぎを起こして混乱状態を引き起こしてしまうのだが、状態異常に対する耐性のあるミハネは影響されることなく淡々と作業ができる。触れられそうなくらいに濃度の濃い煙が膨らんでいくの見ながら、ミハネは徐々に後ずさっていく。大きく立ち昇る煙の塊を月明かりが照らすとき、見えない筈のピラミッドの輪郭がおぼろげながら浮かびあがる。ミハネは注意深くピラミッドに近づくと、そっとその外壁に触れた。見えない壁の感触を感じられたとき、ミハネはほっとして、今度は注意深く入り口となる扉を探した。扉の大きさや特徴についてマリスに聞くと、とにかく見えない壁に触れて何か掴めそうなものが手に当たったら、それを思い切り引くように言われた。
想像するに、引くタイプの扉であれば、自分の身長よりもずっと上のほうに”何か掴めそうなもの”はあるのではないか。それなら、上から探すほうが早い。思うが早いかミハネは見えない壁を駆け上がり、相当な高さのピラミッドの頂点まで到達すると、その頂点に触れてみた。手には四角錐の先ではなく、何か丸い輪っかのようなものが触れる。ミハネはそれをしっかりとつかむと、そのまま思い切り引っ張った。
その途端、地面が唸りを上げながら揺れだした。ミハネは見えないが感触のあるわっかをそのまま握って見守っていると、どうやら砂に埋まっていた下段部分が地上に出てきているらしい。地上が遠ざかっていくのを見てしばらく様子を見ていたが、揺れが収まりドォンと大きな地鳴りが聞こえてから、再び辺りに静寂が訪れた。その様子を確認すると、ミハネは傾斜になっている壁面をそのまま滑って降りていく。
音のしたほうへ行ってみると、そこにはミハネの背丈よりも高い長方形の石が倒れている。倒れた石の向こう側に、ぽっかりと暗い穴が開いていた。どうやらここが入り口らしい。煙が消えてしまわないうちに、吸い込まれるようにしてミハネは穴の向こうへと歩いて行った。




