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帰郷

 スープの入っていた寸胴鍋の中身はすっかり空になってしまい、山積みになって余っていたパンも、小さなカゴに幾つか残るばかりになった。ふぅ、と物憂げな顔でため息をつくファリスの横顔は儚げで、普段よりもその美貌を際立てせていたが、要はまだ食べ物が足りずに空腹なのだ。


「食べても食べても腹が減る・・・。こんなことは今までなかったんだけどな」


「うーん・・・。うまく言えないんですが、色んなことが立て続けに起こって心と体にとても負担がかかったんだと思います。その状態から元に戻ろうとして、体が食べ物を欲しがっているのかもしれませんね」


「そういうもんなのかなぁ・・・。なんかさ、医者は脳に異常はないって言ってたんだけど、なんかこう現実味がないんだよな。気づいたらテントの中にいて、村の皆も悪ガキどもも居なくて。夢とも思えないんだけど、なんていうか、ここにいてミハネが隣にいるのもちょっとなんだか不思議な感じ」


 無理もない。日常的に海に接した環境で育ってきた者にとって、海はある種の母のようでもあり、友のようでもある。その海に、水に殺されかけているのだ。どこかで意識が混濁しているのだろう。


「あとさ、ミハネ、ちょっと手を借りれるか?」


「手を・・・?あ、ヒールですね」


「ん・・・」


 ミハネはファリスに向かって手を差し出す。その指先には様々な薬草を切り取ったり運ぶ際、乾燥した葉先で切ってしまったり、ナイフで傷つけてしまってできたものだ。大急ぎで支度をしたためにうっかり切ってしまってできた傷もある。年齢や見た目に現れない苦労や努力というのは、手のひらが教えてくれるものだ。そう思いながら、ファリスはミハネの手を左手に乗せ、右手をかざした。

 しばらく時間が経った後に右手を離す。そこには依然と何ら変わりのないミハネの手があった。


「やっぱり今まで通りにはいかないか。さっき自分にもやってみたんだけど、どうにも効果が感じられなくてな。まぁ、ちゃんと回復するまでに時間を掛けないとダメなんだろうな」


 そう言いながらも次々とファリスはパンを口に運び続ける。最後にはぐいっと水を一気に飲み干した。

ミハネはファリスの様子を驚きながら眺めていた。どことなく既視感を感じることに気づき、彼女は次第に地龍であるグノーと初めて出会った時のことを思い出していった。籠の中が空になり、ファリスは露骨にしょんぼりとしだした。よほどショックだったらしい。ファリスのお腹からは未だにキュルキュルと音が鳴っている。


「パンもなくなっちゃったか・・・。後は夕食の時間まで我慢するしかないよな」


「良かったら、保存食用に持って来ている豆があるので、ファリスさん、それを食べませんか?」


「いいのか?正直言って助かるよ。頼む」


「はい!」


 ミハネは身に着けていたショルダーバッグから白い布の袋を取り出すと、そこから三粒ほどジンサンマメを手のひらに出した。ファリスに渡すとその小さな豆粒をどこか不服そうに見つめている。


「保存食って・・・。ミハネ、いくら何でもこれだけじゃあどうしても足りんだろ。もらっておいて文句言うのもアレなんだけどよ」


「とりあえず食べてみてください。足りなかったらまだ余分にありますから」


 ファリスはミハネに促され、不満そうな顔で豆を口に放り込み、噛み砕いて咀嚼した。


「どうですか?」


「うん・・・さっきよりも結構腹に溜まる感じはするな・・・。もう少しもらえるか?」


「もちろん!」


 ミハネは五粒ずつファリスに渡していくことにした。ファリスは受け取っては食べて飲み込むを繰り返していたが、何度か繰り返すことでようやく満腹感を得られることができた。


「ああ、ようやく満たされた・・・。何だったんだろうなあの空腹感は・・・ともあれ、助かったよ」


「お役に立てて何よりです」


 ミハネはにっこりと微笑んだ。


(良かった、念のために国にいる人達の人数分持って来ていて・・・)


 袋の中のジンサンマメは四分の一ほどの量に減っていた。



 テントの外が騒がしくなってきている。ニダヴェルから来たドラゴンライダーが続々と到着しているのだ。ドラゴンの為の停留所を持たないミズガル国にはドラゴンが留まることができない為、他国から来たドラゴンライダーはすぐにミズガル国から発ってしまう。


「そろそろ私はニダヴェルに帰らなくては。夜行便に間に合わなかったら行けないので、そろそろ準備してきますね」


「ん・・・そうか。ミハネ、あと一分だけ時間をくれないか?」


「?はい、それくらいでしたら大丈夫ですけど・・・」


「もう一度手を出してみて」


 ミハネは再び手をファリスに差し出した。さっきと同じようにファリスはミハネの手を自らの手で包み込む。さっきと比べるとファリスの手のひらが暖かくなっていることに気が付いた。

 ファリスの手のひらはオレンジ色に発光し、その光が少しずつミハネの手からミハネ自身に向かって伝わってくるのが分かった。手のひらから肩、頭、心臓、もう片方の腕、そして体の下半分にゆっくりと光は流れていくと、またファリスの握っている方の手へと戻って行った。


「・・・どうだった?」


 ミハネから手を離すと、ファリスは聞いた。ミハネの手のひらの傷はすっかり消えてしまっている。それどころか、首や肩にずっしりと響いていた疲労感や倦怠感も無くなっている。


「すごい・・・。ファリスさん、魔法使いみたい」


「ははっ。お前が言うのか。まぁ、効いたみたいで何よりだよ。この豆のお陰なのかな。すごいエネルギーだ」


「ジンサンマメは少しの量でお腹がいっぱいになるんです。だから、何かあった時の為に保存食として持ち歩いているんですが、魔力まで回復させちゃうのかもしれないですね・・・」


「なるほどな。有意義な人体実験が出来てなによりだ。じゃあ、ニダヴェルに戻って行っておいで」


 ファリスはお礼を言って出ていくミハネを見送ると、自分のベッドのあるテントへと戻り、自分の心臓に手を置いてヒールをかけようと意識した。今までにないくらいに手は熱くなっていて、オレンジ色の光が強く心臓に流れ込み、血管を伝って前進へと行き渡るのが分かった。ピントのぼやけていた意識が徐々に重なり現実感を伴っていくにつれ、ヒールの効果が格段に上がっていることをファリスは自覚せざるを得なかった。


「なんだこれ・・・。あの豆の効果か・・・?」


 ファリスは改めてミハネという少女の不思議さを実感するのだった。



 ミハネは大急ぎで帰郷の準備を済ませると、ランデムやキール、アリーへの挨拶もそこそこにドラゴンの元へと向かった。幸運なことにケラスの姿を見つけたミハネは、真っ先に彼に声を掛けた。


「お、奇遇だな。良かったら帰りも乗るかい?」


「是非お願いします!!」


 ドラゴンとドラゴンライダーの相性はとても大事だ。それ以上に、彼らの飛び方に対する好みまで把握しておくことが重要なのだという事をミハネは今回学んだ。いかに相性が良かったとしても、ドラゴンもライダーも破天荒な飛び方が好みであれば、どうしても荒っぽい運転になる。その点、ケラスは始終穏やかに運転し、ドラゴンを丁寧に扱っていた。ミズガル国の変則風を乗り越えた後は追い風に任せてのんびりとドラゴンの進むに任せているし、それでもドラゴンは大人しく翼を広げてニダヴェルに向かっている。今まで乗ったライダーの誰よりも乗る人の事を考えて飛んでくれているのがわかる。

 行きと同様ケイオスの森の中継地点に差し掛かると、ドラゴンを降ろして休憩を取る。その時にミハネは好奇心から、どうしてそんなに穏やかな運転ができるのかをケラスに聞いてみた。


「初めはどうしてもドラゴンに乗りたいって好奇心からドラゴンライダーに志願する人がほとんどだから、自己満足で操縦しようとするんだよね。ドラゴンって本能的に荒っぽいことや、嵐の中飛ぶのが好きな奴が多くて、そんな日に乗りこなせるのがライダーの鑑って風潮があるんだけど、そんな荒っぽい操縦の仕方をしていたらドラゴンだって土壇場で悪い癖が出るし、そんなドラゴンにお客さんなんて乗せられないでしょ。そういった自己中心的な考え方を乗り越えてからがライダーの真骨頂だと思うんだけどね」


「なるほど。それはちょっとわかる気がします」


 シグマの荒っぽい操縦を思い出しながらミハネは答えた。


「お客さんを乗せるからっていうのはもちろんなんだけど、ドラゴンも賢い生き物だから、どんなライダーなのかちゃんと見ているからね。自分が主導権を握れる相手なのか、自分を操縦するのにふさわしい人物なのか、それともどうしようもない奴なのか・・・。その判断によっても飛び方を変える。ドラゴンライダーって意外と心理戦なところがあるんだよね」


 小さな焚火を囲みながら、後ろでくつろぐドラゴンの鼻先をケラスが軽くなでてやると、ドラゴンは気持ちよさそうに目を細めた。長年信頼関係があるのだろう。言葉では表せない慣れた空気がそこにあった。


「ケラスさんは守衛団に入られてますよね。どうしてドラゴンライダーではなくそちらのお仕事をされているんですか?」


「ドラゴンライダーよりも守衛団のほうが月ごとの給料が安定しているし、そこそこいいんだよ。昔は需要自体が少なかったから、ずっと気の合うドラゴンと一緒に仕事ができたんだけど、今は需要が増えているから、ライダーだと不特定多数のドラゴンに乗りこなす必要があるしさ。相棒として認めた相手に乗ってもらえない、乗れない歯がゆさだとか、そういうのもあって思い切って雇い主にこいつを買い取れないか交渉してみたんだ。相手はずいぶんと渋っていたけど結果的には承諾してくれた。それで、こいつを食わせていくためにも安定した今の職を手放せないんだよね」


「なるほど、そういう理由があったんですね」


「まぁ、時々人手が足りないときには副業でライダーもやってるけどね。たまにあったらまた指名してくれるかい?安全運転は保証するからさ」


 是非是非、とミハネは深々と頭を下げるのだった。

夜行便では中継地点でライダーとドラゴンの疲労防止のために仮眠の時間を取る。寝袋に潜り込んで三時間ほど眠ると、ケラスからパンをもらって食べ、また再び空の旅の続きを行った。


「まだ眠いかい?」


「いえ、大丈夫です」


「そう?無理しないで眠たかったら言っていいからね。どこかでまた休憩の時間を取るからさ。俺は結構この時間帯が眠くて苦手ではあるんだけど、まぁ悪くないって思ってる」


「あ、ケラスさんもしかして、夜明けが好きだったりしますか」


「わかっちゃったか。あの濃い夜空が薄ーくベールを脱いでいくように白けていく様子がね、結構いいんだよね」


「わかります。私も良く、ラズダーザで夜明けの空を見ていましたから」


「そうなんだ。あの白い建物も面白いよね。どんどん空の色に染まっていくんだもん」


「そうなんです!それがとても綺麗で。一日の始まりがどんなに楽しいのかってワクワクしますよね」


「わかる。けど、空から見る夜明けっていうのも、格別にいいよ。後ろを見てごらん」


 ミハネが振り向くと、ちょうどミズガルの海の向こう側から徐々に明け方がやってくるところだった。それはどんどん広がりを見せ、悠々と飛行しているドラゴンをも包み込み、朝の訪れを知らせるのだ。


「・・・もう朝方・・・」


 いつだって闇と光の境界線ははっきりとは分からない。闇の中にたたずむ間は何もわからなくても、とにかく前へと進むのみだ。いつしか光はこんなにも近くにいて、その未来を明るく照らすのだから。



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