村での津波被害は
どんなに疲れていても、ミハネは夜明け前には目が覚めてしまう。テントの中では何人かの医師がベッドに横になって仮眠を取っていた。顔を洗い先日いたテントに顔を覗かせると、ナースであろう患者の様子を診ている影がゆっくりと動いている。その奥の机にランデムが座り、ランプの小さな明りの下でカルテを記入しているのが見えた。
「おはようございます」
ミハネが駆け寄り小声で伝えると、ランデムは君か、と眠たい眼をこすりながら言った。
「昨日から寝ていないんですか?」
「いや、この椅子で少しは仮眠を取ったさ。ずいぶんと早いじゃないか」
「私はいつもこの時間帯に目が覚めるんです」
そうか、と言ってランデムは時計をちらりと見る。精巧なクォーツ時計は4時35分を指していた。
「日の出前だな。ミハネ、すまないが眠気が覚める効果のある薬草をくれないか」
「カーミ草をお茶にして持ってきます。あれは眠気覚ましにいい薬になりますから」
ミハネは急いでお湯を沸かすと、その間に眠気覚ましの為のカーミ草をベースに、免疫力や集中力を高めるためのものをブレンドする。入れたお茶をランデムと自分の為に用意をして一緒に飲むことにした。
「今夜は久しぶりに静かな夜だった。痛み止めや麻酔がよく効いたらしい。内科にいるアリーは早々に仮眠を取っていた。向こうでも同じだったのだろう。依然深刻なのはキールのいる精神的な辛さを持っている患者だな。あれからずっと付きっ切りで看病している。ミハネ、それを飲んだらキールの様子を見てやってくれ。それから今日はさらに重篤な患者の方にも手を貸してほしい。頼んでも大丈夫か?」
「はい。もちろん」
「助かる。・・・このお茶は美味いな。一夜明かした体に染み入る」
「・・・痛み入ります」
前世でミハネはこのベッドに寝かされる側の立場にいて、慌ただしく行き来する看護師や医師を傍観していた。前例のない病気、指定難病、そのような複雑で難しい病気に罹っている人ばかりが運ばれてくる病院だったので、どれだけのプレッシャーがかかり、どれだけ神経を尖らせ集中して事に当たっていただろう。その時にはその仕事に就く人々がどのようにして命を救おうとしていたか、ミハネは知らなかった。それが今、医師側に立ったことで過酷な状況の場所にいることが嫌でもわかってしまう。化学が現代ほど進歩していないこの世界では原因も突き止められないままに、なすすべもなく見守る中命を落とす人だって少なくはないだろう。ランデムの言葉は一つ一つが重たくて、ミハネは上手く表情を作ることができなかった。
キールの受け持つテントを訪ねると、いくつかの個所からすすり泣きが聞こえてくる。ベッドから起き上がり静かに泣いている人たちの手を握り、ナースは静かに頷きながら、時折何かを囁いていた。キールはナースの一人と長らく会話を交わしていた。会話が終わるのを待ち、キールに話しかけた。
「おはようございます」
「おはようミハネ。早いねぇ。ちゃんと眠れたの?それともベッドが硬すぎた?」
「いえ、十分眠りました。私、いつもこの時間帯に目が覚めるので」
「そりゃ凄いね。あ、そうか薬草を育てるのに早くから起きて世話するからか。偉いねホント」
「何か私に出来ることはありますか?」
「そうだねぇ、ここにでっかいヤカンがあるから、そこに水を汲んで沸かしてくれない?それで、リラックス効果、出来れば安眠効果のあるものを作って欲しいんだ。ここの人たちは不安と恐怖でほとんど眠れていないから」
「わかりました!」
水の入ったヤカンは重すぎるので、車輪の付いた台を使って運ぶ。ミハネは今度はリラックス効果のあるペパミンに気持ちを向上させる効果をもつパロの葉をブレンドしてお茶を作った。出来上がったお茶をスト二人がかりで台に乗せ、押してテントまで運ぶ。ヤカンはやけど防止のために麻布でぐるぐる巻きにして机のそばに置かれた。
患者を診ているナースがかわるがわるカップにお茶を注いで持っていく。
「これで落ち着いてくれるといいなぁ」
キールは頭を左右にゆっくりと揺らしながら呑気な口調で語る。一睡もしていないらしく、おそらくは限界なのだろう。ミハネはお茶を飲んでもらおうとしたが、すぐに寝落ちしそうだから飲めないと断られた。
「今回は目立った怪我人や病気の人は少ないけれど、津波の被害のせいで精神に大きな傷を作ってしまった人が目立つな」
「その大きな傷はやっぱり治りにくいものですか」
「一度強い恐怖に囚われてしまうと必要以上に自分を守ろうとするからね。無気力になったり悲観的になりすぎたり、ひどいと自分から死に近づこうとする。その状態が治るのに何年もかかる人もいる。今回は津波だろう?という事は、海を見るたびに恐怖を思い出す人や、少し高波が来るとパニックになる人が今後も出てくる可能性があるというわけ」
「それは・・・どうしたら治せるものなんですか?」
「とにかくその恐怖を抱え込ませないこと、言いたいことを吐き出させるのがまず一つ。それからできうる限り寄り添って一人ではないという事、自分たちが付いているという事を確認してもらって、安心してもらう。それでああしてナースに付き添わせて話をしてもらっているんだが、皆ちょっと興味深いことを言ってるんだよね」
「何を言ってるんですか?」
「津波の中にさ、竜を見たんだって」
時は津波の前に遡る。ミハネとヴェインを放り出してシグマが逃げたその先にファリスはいた。
「津波だ!!!おーい!!津波だぞ、早く避難しろーー!!!」
津波の来る直前、怒鳴りながら駆け込んでくる男の姿をファリスは見た。ちょうど夕暮れ時で食事の美をしようと魚を捌いていたところだった。あの顔は知っている。旅行代理店を営むムスペル国の商人で、何度も旅行客をドラゴンから降ろしているところを見かけたことがある。話しかけようとすると村の女性が金切り声をあげる。
「ちょっと!なんだいこれ!!なんだってこんなに水位が上がってきてるんだい!?」
「津波だってよ!だいぶでかいぞ。早く!早く村の方へ逃げろ!!」
その声を聴いて皆パニックになった。嵐の怖さを皆知っている。水位が上がるという事はこれから海が荒れる前触れだ。皆口々に津波だと騒ぎ、船から逃げ出るネズミのように群れを成して村に向かった。
村にいた人たちも異変を感じて高台の方へと移動しようとしていた。その中には国王スランディードと秘書のフサルトの姿もあった。
「ファリス!こっちだ、早く」
スランディードが叫び、ファリスへと手を差し伸べたのはフサルトだ。混乱し人の群れに圧倒されている人たちに声を掛け、高台へと急ぐよう指示を呼びかけながら、自分たちより先に行くよう村人たちを促している。
「王様!あんたらも急がないと呑まれるぞ!!」
「心配は要らん!こういう危機の時に力を発揮するのが王の定めじゃ。儂は最後に行く。お前はここにいる人たちを早く連れ行け!」
「そんなこと言っている場合か!!あんたが死んだらこの国はどうなる!?ちったぁ周りのことも良く考えろ!!」
文句を言い合い人に揉まれながら、そこにいた人たちは王やフサルトも含めてほぼ全員が高台にある果樹園の下に避難することができた。そこへ到着してようやく腰を抜かす老人や泣きじゃくる子供達をあやしながら人数を確認していく。村人の顔は王もファリスもほぼ顔見知りな為、何処の誰かも覚えている。バラバラになっている家族同士探し出して繋ぐなどしながら、注意深く数を数えて確認していった。その間にも遅れて何人か合流してくる。数え終わったところで、老人と子供が数名とあの悪ガキたちがいないことが分かった。。逃げ遅れて海に足を取られた可能性もある。
「・・・ミハネ達は?」
ファリスはミハネとヴェインの姿がないことに気が付いた。旅行代理店の男を見る。男は顔を伏せてガタガタと震えていた。旅行代理店の男が来るという事はドラゴンに乗って迎えに来たという事だ。何故この男がここにいる?
「お前、ファリスとミハネを知らないか」
ファリスが話しかけると男はギュッと自分の腕を掴んで頭をさらに伏せる。
「旅行代理店の奴だろう?ドラゴンはどうした?客は?どうなんだ?」
男はそのまま石になったように固まり、何やらブツブツと呟いているが、ファリスには聞き取れなかった。
「王様、あれを・・・!」
村人の泣き叫ぶような声に皆海の方を向いた。方々から叫び声が上がる。
今までに見たことのないほどの高さを持つこの津波は、すべてを憎み飲み込もうとする竜の口のように見えた。
「落ち着け、大丈夫だ。どれだけ高い津波が来ようともここまで来ることはないだろう。いいか、絶対にここを動くんじゃない。私たちは大丈夫だ。」
怯える村人や旅行客に向けてスランディードは何度も何度も声を掛けた。ファリスは居てもたってもいられずに登ってきた道を降りようとし、それを察知したフサルトに腕を掴まれた。
「ファリス!!何を考えているんです。・・・死にに行く気ですか」
「違う!ミハネとヴェインが、あのガキどももいないんだ。私が面倒を見ているあいつらが・・・」
ファリスはまともな判断力を失っていると感じ、フサルトは大きくため息をつく。
「ファリス、これはおそらく今までで一番大きな災害です。被害もこれからどれだけ大きくなるかわかりません。あなた方が一番に行うべきことは自分たち一人一人が一番に自分の命の事を考えることです。貴方の友達はまだ見つかっていない。けれども、どこか別の場所で非難していたり、どうにかして助かっているかもしれない。貴方が今から海に向かうのは自殺行為だ。ここにいるみんなだって不安になる。だから頼みます。ここを絶対に動かないで」
懇願を続けるフサルトを見つめ返しながら、ファリスはボロボロと涙を流した。
「それはわかってる。けれどもごめん。私にはできない。たとえ替わりであったとしても子供を見捨てる親には私はなれない」
そう云い捨てると、ファリスは掴まれた手を振り払い、元来た道を走って降りて行った。
気持ちばかり先走って何度も転びそうになりながら、ファリスは坂道を駆け降りていく。誰も登ってきていないのがわかると、絶望を押し隠して焦燥感を高めていく。まだだ。まだ諦めるな。そう言い聞かせながらファリスは走り続けた。
坂道を下りきったところに悪ガキたちは居た。大声で名前を呼びながらファリスが駆け寄ると、一人は老人を背負い、一人は子供を抱きかかえている。
「ゼン、トーヤ。オシムはどうした?」
「姉貴!!オシムを手伝ってくれ。子供二人抱えてまだ向こうにいるんだ」
「ミハネとヴェインはいなかったか!?」
「見てない」
「・・・わかった!!」
さらに村に向かって走って行くと、泣きそうな顔で腰を抜かした子供たちを引きずって歩くオシムの姿があった。ファリスは子供を一人背負うと、オシムと共に駆け上がる。子供たちはそれぞれの背中で恐怖に怯え、震えていた。
先ほどまで高くそびえていた水の壁は海岸側に倒れ込み、すべてを飲み込もうとし、かつてないスピードで水は背後にまで忍び寄ってきていた。ファリスとオシムは足を踏ん張りながらさらにスピードを上げて走る。
長年過ごしあれだけ愛したかつての海では、もうなくなってしまっている。遠くのほうからここまで広範囲にわたって海から響いてくる海鳴りに不気味さを感じる。ゼンとトーヤは無事に果樹園までたどり着けただろうか。オシムも自分よりもはるか先に進んでいる。ファリスは足元に絡まってくる水の気配を振り払いながら意識を前へ前へと集中させた。
”返せ”
すぐ後ろで声がする。
”もう幾年月になる。我に逆らい子を奪うのか”
何か冷たいものが首から背中にかけて伝うのが分かった。気が付けばくるぶしまで水で浸かってしまっている。必死でもがき前に目をやると、上り坂が途切れている。あともう少しで登り切れるところまでは来ているのだ。
”子の代わりにお前がなるか?それとも背負った子供にするか”
まるで生き物のように蠢いて、くるぶしの浸かったところから水が這い上がり首を伝って顔全体ににべったりと水が張り付く。
”来い、こっちに来い・・・・”
意識が遠のく瞬間に怒号が聞こえた。子供をファリスから引き剥がして救出したのは先に坂を上り切った村人だ。続いて水中に飲まれようとしているファリスの体も間一髪でフサルトに寄って水から引き揚げられた。
ファリスはフサルトやスランディード、村人たちから口々に名前を呼ばれたが、既に呼吸が止まっていて意識がない状態だった。応急処置として人工呼吸を施され、ようやく心臓は動き出したが、ファリスが昏睡状態から目覚めることはなかった。




