羅針盤の針の先は
イーヨに乗り、ミハネ達がラズダーザに到着したのはお昼を大幅に過ぎた頃だった。この時間帯ならマリスは起きている頃だ。疲れも忘れて二人はマリスの店へと急いだ。
「嵐以外にもなにかあった?」
あまりにぼろぼろな二人の姿を見て、マリスは開口一番こう言った。
「はい。沢山のことが・・・」
ミハネはマリスにミズガル国であったことを少しずつ語り始めた。ミハネがいないときや意識のない時の様子は、ヴェインが補足する。それをマリスは静かに集中しながら黙って聞いているのだった。
「とりあえず、一つずつ整理していくわね」
そういうとマリスは香炉に炭を入れ、指先から出した火を灯す。着火して赤くなったところに乾燥した木のチップを入れて煙を出すと、薬箱から何種類かの薬草を出し、そこにくべた。掌をかざしながら呪文を唱え、小さく燃えている炎を黄緑色に染めていく。
用意ができたところでミハネを連れてくると、彼女の腕ごと黒い本をその炎の上にかざした。
炎と煙に燻されてしばらくすると意思が尽きたかのように本がミハネの腕から離れた。
「まず一つ。この本の中身の事はおいおい学んでいくとして、次は石像の事よね。ミハネ、あなたは石像にも森に入り口にも近づけなかったというけれど、多分あなたの場合はそれで正解だと思う。ミハネの意識が途切れた後、何者かが乗り移ったようになっていたんでしょう?多分それは貴方の特技の一つになるのだと思うし、ラヴィだろうということで魔物たちは納得しているのよね。あのまま警戒音を無視して近づいていたら、石像の中身に体を乗っ取られていた可能性があるの」
ひぇっ。そう言ってミハネは身をすくませる。けれどもそれはミハネにとっても納得せざるを得ない理屈だった。なんせぼんやりとしているうちに物事が進みすぎていたり、気を失っているうちにルーファス達の家まで行ってるのだ。何もないわけがないではないか。不可抗力だと抗議をしたが、マリスに付け入る隙を作らないように精神を鍛えないとダメだと言われてしゅんとした。
「あとは・・・とても不確定なことばかりだから現時点ではどうしようもないわね。石化かも知れないという着眼点は良いんだけど、何によって石化したのかで対処法が違ってくるの。それが分からないのであれば現時点ではお手上げよ。それに、ミズガル国の自然災害の事となると、私たちに出来ることは何もないわ。せいぜい向こうで足りていない物資を送ってあげられるくらい。他に何か手掛かりはないの?どんな小さなことでもいいわ」
そういえば、とヴェインは身に着けていたショルダーバッグから布の包みを取り出し、中身を広げて見せた。初日に石像の膝元で拾った赤い石だ。丁寧に磨かれているそれは濡れたように光っていた。
「石像の目の周りも少し赤いものが付いていて・・・。これで何かわかったりしますか」
マリスはゴーグルを外して光に透かして眺めていたが、ゆっくりと息を吐いてこう言った。
「何かわかるところまでやってみましょうか」
マリスの眼はドラゴンの血筋側から受け継いでいる霊眼だ。この世界で見えている事象と、見えないけれども存在する事象の両方を視ることができる。気持ちを落ち着け集中して、手のひらに転がした石を凝視していた。石から何やら靄のようなものがうっすらと立ち昇っているのが視える。元の持ち主―――おそらくは石像となった者が石に込めた執念のようなものかもしれない。靄を見失わないよう目で追いながら、石の奥へ奥へと辿りながら、マリスの意識は石の中に入って行く。
石。天然石や宝石など、きらびやかな石や加工され人間の手に渡った石のなかには、人と同調して意思や感情を受け取っている物がある。生物とは違い命を持たない物質であり加工しやすい石というものは、魔術においてもエネルギーを転写したり意思を込めるのに格好の媒体となるのだ。逆に言うと、それだけ何かを込めやすいものなので、込められた何かを抽出することだって理論上は可能である。そのやり方がどうであるかは別として。
マリスは石にまとわりついていた靄との同調力を高めることでそれの有している記憶を追っている。
その者は浜辺で子供達と遊んでいる・・・同じような目線、その者も子供である可能性が高い・・・。子供たちが帰り、一人で浜辺をうろうろしていたが、諦めて海に入ろうとする・・・。すると何かに引き留められる・・・馬だ、馬が追いかけてくる。慌てて海の中に潜ろうとするが間一髪捕らえられてしまう。人さらい?森の中に入って行く、闇夜の中暴れて人さらいから逃れて深く深く入って行く。視界が真っ暗で何も見えない。木の枝や薮、寄生木らしきものにぶつかっては隙間から身をねじ込んだり必死で登って先へと進む・・・。走ったその先で何かにぶつかる。生き物の様だ。それがカッと目を見開いたとき、その眼が怪しく光ったせいで何者かの鱗片が見えた。
「バジリスク!!」
マリスは大声で叫び、ひゅっと息を吸い込んで意識を元に戻すと、手元にあった水をごくごくと飲み干し一息ついた。ゴーグルを嵌めて落ち着きを取り戻すと、ようやくミハネ達のほうに向きなおることができた。
「どうすればいいのか、大体はわかったわ」
記憶の全てをそのまま信用してはいけないとマリスは言う。自分では見たまま感じたままを素直に受け取っているつもりでも、脳は簡単に自分を騙すことができるし、なんなら自分の都合の良いように作り変えることだってあり得るからだ。けれども、おそらく最後の映像で出てきたバジリスクに石にされたのは本当だろう。その前の暗くなってから海に入ろうとした点と、馬に乗ったものに連れされれようとしていたのが何故かはまだわからない。
「その子さえ元に戻れば、海に返すなりなんなり事は動き始めると思うわ。バジリスクの石化状態から元に戻すのに必要な材料を集めないといけないわね」
「何が必要ですか?」
新しく聞く石化を治す材料のことをミハネはしっかりとノートに書き起こすつもりでいる。
「石化を治す薬草はあるのよ。ここにないものは月下睡蓮を育てている湧き水くらい」
「月下睡蓮?それってムスペルのどこかにあるんでしょうか」
ミハネはかつて魔王と会話をした際、場所は誰にも知らないのだと言っていた。その為、こうも簡単にマリスの口から出てきたことが信じられなかったのだ。
「それはあたししか知らないの。あの花は貴重だからね。簡単にはわからない場所にあるしこれからも誰にも教えるつもりはないわ。けれども、薬草を煮詰めるときに使う水はあそこのでしかダメなのよ。悪いけどミハネ、今回は貴方に頼むつもり。お願いしてもいいかしら」
「はい。やります」
「じゃあそれで決まりね。今度場所を教えるから、また出直してらっしゃいな。どうせ今はそこには入れないんだし、あんた達、なんだか汚いし」
「今は入れないってどういうことですか?できればすぐにその水を手に入れて、早く石化を戻す薬を作ってミズガルへ届けたいのですが・・・」
「気持ちはわかるけれども、そこは満月の夜にしか行けないの。だからあと二週間弱は待機していないといけない。その間、ミズガル国の災害がどうなるかわからないから少し不安は残るけれども、あなたたち
にだってできることが他にも色々あるはずよ。待たずに動きなさい。それで何か見えてくるものがあれば、あたしに教えてくれる?」
二人はわかりました、とマリスに言った。彼女は今日はもういいからと、宿に行って風呂に入るよう促した。店を出る前にヴェインは一つだけマリスに聞きたいことがあると彼女に伝えた。
「俺もそのダンジョンに行ってもいいですか?」
「駄目よ」
間髪入れずマリスが断りを入れる。予想はしていたがヴェインは少しばかりがっかりしていた。ダンジョンと言えば、魔物退治や宝箱探しなどもあるのだろう。バリーからダンジョンの話は聞いていたので、とても興味があったのだ。もちろん、そればかりではないのだが。
「これはミハネにとっての試練なの。あなたまで行くとあの子が成長できないわ。貴方は貴方で行くべき時がやってくるから、その時に力を発揮できるよう精進なさい」
そういったマリスの口調は相変わらず厳しかったが、眼もとはどこか姉のように優しげだった。
ミハネがいつも利用している宿は、ミズガル国帰りの旅行客でごった返していた為、少し離れたところにある少々値の張るホテルへと足を運んだ。一人用の個室がバリエーション豊かで、部屋にお風呂も完備されている。二人は別々に部屋を取ってそれぞれ休むことにした。
それにしても、鞄が海水に浸されなくて良かったとミハネは安堵した。今まで黒い本が腕にくっついていた為、お風呂に浸かることすらできなかったし、記憶のない間に無茶な動き方をしていたのか、あちこちに擦り傷や切り傷、謎の打ち身ができている。今すぐにでも持って来ていた未使用の服や下着と今来ている服を替えたくて仕方がなかったのだ。部屋にはちゃんとすぐには要れるくらいの温度のお湯が風呂桶に入れられている。日焼け後や切り傷や擦り傷が染みるのも気にせず、桶に救ったお湯を頭からかぶると、ようやく生き返ったような気持ちになった。
一方ヴェインの方も体のあちこちに出来た傷を湯船の中で眺めながら、ルーファスと語らったことを反芻していた。
「本当にミハネとは何にもないんだな。お前さんもミハネももう年頃だろうに」
「はぁ、まぁ、周りの大人たちも期待しているのは何となくわかるんですけど。なんでそういう事ばかりいうかなぁって俺は思ってるんですよ。年頃とはいえまだやりたいことも沢山あるし、まだまだ不甲斐ないんです。彼女と比べても」
「そりゃあよぉ、子孫の繁栄は一族の願望だもの。それに未来であり、希望でもある。夢も希望もなくただ生きていた俺たちだってちょっとは夢見てしまうんだよ。ミハネが赤ん坊を抱いているところなんてよ」
「あぁ~、なんかいいよね、幸せそうな顔が浮かぶよ~」
ロメロがニコニコと笑う。幸せそうなやつだよな、このスライムって。そう心の中でヴェインは呟く。
「そんなこと言って。ロメロさんやルーファスさんだってこんな広い森にいりゃあどなたかいらっしゃるでしょうに」
皮肉交じりにそういうと、いや、と彼らは首を横に振った。
「この森に居る魔物の大半は瘴気への耐性がなくってな。魔物の癖に瘴気のある場所では暮らせない。その時点で子孫を残すための繁殖は望めない。だってそうだろう、遺伝子は常に強い子供を産むために能力の十分備わった奴を選んでいかなくちゃならない。魔物は特にその傾向が強い。力、賢さ、体力、守備力、なんだっていい。他の魔物よりも抜きんでた奴のところに異性は群がる。それなのにステータスがそもそもマイナスの奴なんてその競争の輪にすら入れねぇ。ここで住むしか道のない奴に春なんてこねぇんだ」
「だから、こんな僕たちがミハネと一緒に暮らせたなんて本当に奇跡なんだよねっ。ちょっとの間だけ神様から天使みたいな子供を預かっているような気分だった」
ああ、だからあの子は世間知らずでちょっとあほな子だけれども、純粋でまっすぐなんだろうなとヴェインは心のどこか頑なだった部分が溶かされるような思いでいた。
「女はすぐに自分から去っていくっていうけどよ。ちゃんと帰ってくる子もいるんだよ。あいつみたいに。今この古巣にいる。すぐにまたどっか行っちまうんだけどな。まぁ、女だ男だっていう分け方をしてしまうと大切なもんがすっぽり抜けることもあるから、あんまりいい考え方とは言えないな。けれどもよ。母親とも姉とも別に死に別れたわけじゃねぇんだろ?探したり追いかけたりしてもいいんじゃねぇの、別に。そうやっていじけて待っていないでよ」
ルーファスのいう事はもっともだと思った。どこかで母親というのは、悲しんでいる子供の為に戻ってくるものだと、信じていたのかもしれない。
風呂から上がって体を拭くと、あちこちのひりつく箇所にマリス特性の軟膏を塗った。指を滑らせるとひんやりと心地よく、痛みが引いていくのがわかる。体が癒えてくると、あとから旅の疲れからくる重みがずっしりとのしかかってくるようだった。たまりかねてベッドに横になり、目を閉じる。じきに睡魔が夢へと誘ってくれるだろう。つい先日まで聞こえてきた寝息が聞こえない人寂しさなど、感じている間もないうちに。




