邂逅
まずは濃い影が天幕のごとく降りてきて、まるでスローモーションにでもかかったかのように、波はすべてを飲み込みながら頭上へと降りてきた。ああもうこれは死ぬしかないと月並みな感想しか思い浮かばず、ドボンと大きな音がして、全身の骨が砕けるのだと覚悟した。
砂と海水と空気が混じり合い、重みですべてを押し潰していく。そのくぐもった鈍い音とひどい揺れの中、ヴェインはずっと固く目を閉じたまま動かないでいた。
ふと鼻先に何か温かいものが触れた。揺さぶられておかしくなりそうだった頭に意識が戻ると、ヴェインは自分にミハネが鼻をくっつけているのが分かった。
「え、何、ミハネ・・・・」
びっくりして起き上がると、体の上に乗っかっているミハネを引き剥がす。ミハネはしばらくの間きょとんとしてヴェインを眺めていたが、口角を上げてニコニコと微笑みを浮かべた。
「俺ら、助かったのか?」
辺りを見回すと水中を空気の膜で覆われている、その中にいることが分かった。砂と水とが入交じり荒れ狂う水の中にでも僅かながら太陽の光が差し込み、辛うじて様子が分かる。ヴェインはイーヨを背に固く体を丸めていたのだった。イーヨも怖かったらしく、ぴったりと身を寄せて体を震わせている。イーヨに積んだ荷物もそのままだ。ヴェインはその鼻先を優しく撫でてやった。ミハネは落ち着かない様子で泡の中をきょろきょろと見まわしている。時折ミハネの周りをキラキラとした小さな光が飛び回っていた。泡は波の動きに合わせて押し戻されるように浜のほうへと移動しているようだ。それが確認できたのか、ミハネは満足そうに地べたに座り込んだ。腕には相変わらず黒い本がくっついている。
「とりあえずはみんな無事か・・・」
ヴェインが呟くとミハネが振り返って彼を見つめた。
「どうした?なんか言いたいことがあるなら言ってくれ。らしくもない」
ミハネが微動だにしないので不思議に思って見つめ返す。いつもと違って様子がおかしい。言葉を発しないし、別人のようなふるまい方をする。そして表情はミハネの顔なのにミハネではない。
「・・・お前、誰だ?」
ミハネの姿をした何者かは、虹色の目を輝かせてニマニマと笑う。
海から吐き出されるようにして砂浜へと戻された。ちょうどプライベートビーチの場所だ。どれぐらいの時間あの泡の中にいたのかは分からないが、嵐は収束したようだ。まだ海は荒れ模様だが雲は去って星が輝いている。
ここから村に合流すれば何とかなるだろうか。浜辺の最北からはあまり様子が見えてこない。振り返ってイーヨとミハネを確認すると、何かこそこそと話をしているようだ。ミハネがヴェインに手招きをする。イーヨのそばに来ると体をグイグイと押して”乗れ”とでも言わんばかりだった。イーヨもじっとこちらを見てくる。渋々乗るとミハネは前の席でイーヨに耳打ちした。
「イーヨ、お前飛べるのか?」
ヴェインに返事をするかのようにイーヨは威勢よく鳴きながら翼を広げた。羽ばたきながらどんどん上空へと飛翔していくと、無風状態の中ゆっくりと森のほうへと向かっていった。途中でミズガルの村からかがり火の光がちらりと見えた。おそらくは皆無事なのだろう。少し安心してミハネとイーヨに委ねる。
ミハネは飛竜を飛ばす免許を持っていなかったはずだが、ずいぶんとうまく操作している。時折耳打ちして的確で細やかな操縦の仕方だ。風のない日は暴風の時と同じくらい操作が難しい。乗せてやれる風のない分ドラゴンが消耗してしまうからだ。だが、イーヨもストレスなく進んでいるみたいだった。
今宵は新月。本来であれば絶対に森へ入ってはいけないとヴェインはバリーにきつく言われていたことを思い出した。確かミハネも同じようなことを言っていたはずだ。彼女が平然と森へ向かっていることに、ヴェインは漠然とした不安を覚えた。ケイオスの森の中央あたりには、大樹の密生していない円形の原っぱがある。イーヨをいったんそこに着地させると、上を向いて何かを呟いた。すると、多くの金色の光をまとった小さな虫の様なものがたくさん集まってきて、ヴェインやミハネの周りをふわふわと飛んでいる。その様子に満足したように、ゆっくりとミハネは歩いて行く。彼女はケイオスの森で育ったのだから、ちゃんと道が分かっているのだろう。その後を神妙な顔つきでイーヨが歩いて行く。間に挟まるようにしてヴェインも同じ方向へ歩いて行く。光がなければ発狂しそうなほどに暗い夜道だ。置いてけぼりを喰らうのは勘弁してほしかった。
光の誘う方向へと進んで行き、見えてきたのはひときわ大きくて古ぼけた一本の大樹だ。その根元にわかりにくく小さなドアが備え付けられている。だが、そこからではイーヨが中には入って行けない。ミハネは少し考えていたが、裏口に回り、大樹の土から突出している尖った根元を引っ張り上げようとした。何分かそこで格闘していた後、諦めてヴェインの服の裾を引っ張ると、お前も引っ張れと言わんばかりに催促する。二人がかりで根を引っ張り上げると、幹がべりべりと音を立てて剥がれていった。
驚く二人を物ともせずに、ミハネは我が物顔で上がれと手招きをする。イーヨとヴェインは思わず顔を見合わせ、そろそろと中に入って行った。
大樹の幹の中は存外広く、奥のほうに明かりが灯っている。ミハネは明りの方へとずかずかと歩いて行った。イーヨとヴェインは息をひそめながらゆっくりと彼女についてく。
「誰だ!!」
鋭くしわがれた男の声が幹の中をびりびりとこだました。かなり警戒されていたようだが、それがミハネだとわかるとすぐに警戒心を解いた。
「なんだよミハネか。何だって新月の日にやって来たんだよ」
やけに親しげになった声の主と雑談を交わしているらしい。その声にかぶせるように違う声も重なった。
「違うよ~、ルーファス~」
ポニョン、と変な音がする。
「ラヴィでしょ。僕分かるよ。ラヴィの目をしてるもの」
ミハネは鼻をムズムズさせながら足でトントンと床をたたいた。
「じゃあ、後ろにいるのはお客さんかい?」
ルーファスがヴェインたちに声を掛ける。
「出て来いよ、ミハネの友人だってんなら人間でもドラゴンでも構わねえ。ゆっくりしていきな」
おずおずと出てくると、そこには大人の半分くらいの背丈のゴブリンと一抱えほどの大きさのスライムが立っていた。ミハネは二人の間でニマニマしながら笑っている。
ルーファスはお湯を沸かしてヴェインの為のお茶を用意していた。ロメロはイーヨに備蓄しておいたジンサンマメを食べさせている。
「夏だから熱くないほうが快適かもしれないが、今日は新月だしな。厄落としだと思って飲んで汗を出しておくといいだろう」
受け取ったカップから用心深くお茶を啜る。熱いがそれが心地いい。さっきまで海の中で揉まれていたからだろうか。体の自覚できていなかった芯の部分が溶けていくようだ。喉を潤し胃に滑り込むと、後味は何とも言えず清涼感にすっきりとした。
「で、お前はどうしてここへ?」
ルーファスは責める調子でもなく淡々と聞いてきた。新月には森に魑魅魍魎がうろついている為、森の者でも禁忌だと避ける。それなのになぜよりによってそんな日を選んできたのか、気になるのだろう。
ヴェインは今までのいきさつをわかる範囲でルーファスとロメロに説明した。
「なるほどなぁ・・・。ミハネも跳ねっ帰りだからな。お前も苦労してんだな」
「はぁ・・・」
魔物にまで跳ねっ帰りだと言われるミハネは、いったい森の中でどのようにして生活していたのだろう。六歳から十歳までのミハネがここにいた。想像がつきそうでつかないのがもどかしく、ヴェインは曖昧に返事をしてごまかした。いつの間にか隣でミハネが寝息を立てている。部屋の隅に小さな女の子の服がきちんと畳まれているのを見て、少しばかり切なさを感じた。
「大切に、ミハネを育てたんですね」
「森が勝手に育てたようなもんさ。俺たちはただ危なくないように見張っていただけで。あんたも立派に成長したじゃないか。バリーと一緒によく森に来てただろう」
「・・・!もしかして時々視線を感じていたのは」
「森は魔物よりも野生生物が多いからな。親父さんは魔物相手の仕事のほうが多かったからだろう、気配がダダ漏れですぐわかった。あんたのほうが気配を感じるのも消すのもうまい。ま、適材適所ってやつだろうな」
ヴェインは何と言っていいかわからない。魔物殺しの息子が今、魔物と対峙しているのだ。彼に対してどのような態度をとるのが正解なのか、ヴェインにはわからなかった。彼の心境を見透かすように、ルーファスは淡々と彼に話して聞かせる。
「あまり気負うなよ。バリーはこの森では魔物を殺しちゃいない。お前にも言って聞かせてたろう?殺気を感じないものをむやみに殺すなって」
確かにバリーは事あるごとにそう言っていた。ふざけて魔物を殺すやつは密猟で珍しい生き物を生け捕る奴とそう変わらないと。
「大剣のバリーからそんなセリフが聞ける日が来るなんて夢にも思わなかったぜ。時代は変わったんだな」
パチパチと薪の爆ぜる音が遠くから聞こえてくる。その音ごと、ヴェインの耳にはルーファスの言葉が染み入るようだった。
「魔物を殺さなくなったのは母が家を出てからです。父が魔王退治から帰ってすぐにニヴル国で騎士団長として任命され長い間家を空けているときに、隣村の男と恋をして、駆け落ちしてそれっきりどこにいるかもわかりません。それからは姉が家を切り盛りしてくれていましたが、父が帰ってきて守衛団の仕事に切り替わり、仕事をしながら俺を育てる準備が整った後にニヴルの騎士団に所属している人と結婚して家を出ていきました。・・・それも時代が変わったからでしょうか?」
「さぁなぁ。人間の色恋沙汰ほど先の読めねぇものはねぇからな。お前さんはどうなんだ。ミハネとは」
「よしてくださいよ。大人はそうやっていうけれども、ミハネは妹みたいなもんです。・・・どうせ女は皆自分の元から去っていくんだし」
「はっは、過去の傷跡がまだ癒えねぇとな。まぁ、まだ若いもんな。今は視野が狭くても、そのうちわかってくるだろうさ。酒があればなぁ。お前さんと呑むのは楽しそうだ」
「ねぇねぇ、ヴェインは大剣を使うのー?」
イーヨを寝かしつけて暇になったロメロが参戦してきた。
「無邪気に物騒なことを聞いてきますねこのスライム・・・俺は弓矢を使います」
ルーファスは愉快そうに喉から声を漏らすように笑う。
「時代だよなぁ」
それからもルーファスとロメロ、ヴェインのグダグダな会話は続いたが、いつの間にか皆眠ってしまった。
朝、ヴェインが目覚めると、ミハネがロメロを抱きしめながらルーファスと会話していた。海がどれだけ綺麗でどのように楽しんだか、ファリスという友人がどれだけ美しいのかを力説している。すっかり普段の彼女に戻ったらしい。ヴェインは寝ぼけ眼のままフラフラとみんなに朝の挨拶を交わした。
「おはようございます。ヴェインさんどうして私たちルーファス達のおうちにいるんでしょう?私津波を見てから記憶が全然なくって。村の人たちはどうなりました?シグマさんは??ファリスは無事なんでしょうかねぇ」
ミハネは慌てながらみんなの心配をしている。何となく不気味だった新月のミハネを思い出し、ヴェインは彼女の頭をポンポンと撫でた。
ルーファスにジンセンマメとお茶の朝食を食べさせてもらった後、色々相談してラズダーザのマリスのところへ行き、ミハネの腕にくっついた黒い本をどうにかしてもらおうという結論に達した。
黒い本に書かれた言葉もマリスでなくてはわからないだろうし、石化の解き方も聞かなくてはならない。それが分かったら再びミズガルへと戻り、ファリスの安否を確認するといい。
方向性を定めると、二人はイーヨに乗ってムスペル国を目指すのだった。




