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嵐が来る

 一晩明け、透けるように澄んだ空へ光が満ちて、太陽が再び登ってくるのをミハネは早朝から眺めていた。ここにいられるのもあと二日。何事もなく平穏に時が過ぎるだろうということを、穏やかな海は教えてくれているように感じる。ただ、あの水の精霊の予言の事を考えると胃のあたりが重たくなった。

 嵐が来れば、この国に壊滅的な被害をもたらすだろう。今、海にいる人たちや生活を営む人たち、旅行客の命に関わることにだってなりかねない。それを考えると即刻そのことは誰かに伝えて早めに予防をするべきなのだ。それはミハネにも十分理解できることだ。けれども。

 ファリスのあの態度に、自分を否定されたように感じたのも事実だ。どれだけミハネが心を砕こうとも、ファリスに自分の身に起こったことや感じた事、周りがわからないことが何故かわかること、そんなあやふやなものが全く伝わらないことを知り、それが”当たり前”なのだという事を知った。

 これがマリスなら、すんなりと理解して対策を練ろうとしてくれるかもしれない。ヴェインだって渋々ながら理解しようと努力してくれている。ただ、ミハネが今理解して動いて欲しいのは島に住む人たちなのだ。その島の人たちに自分の言葉がまっすぐに伝わる自信がなかった。言われたことが大事なだけに、伝え方によっては嘘つき呼ばわりされるかもしれないし、真に受けた人たちがパニックに陥るかもしれない。考えれば考えるほど、ミハネは伝えるのが怖くなった。


「ここにいたのか」


 ミハネが振り向くと、そこにはヴェインの姿があった。一人でも大丈夫だろうと高をくくっていたら、予想の斜め上を行く行動力と結果を見せてくれるので、さすがに目を離すことに気が引けたのか、眠りを浅くしてミハネの動向に気を付けていたのだ。


「ラズダーザで一泊するときも、屋台から日の出をよく見ていたんです。だからミズガルでも、ここだけで見られる日の出を目に焼き付けておこうと思って。青い海と空の間をオレンジ色の光が上がってくるのがとても綺麗なんですよ」


 ミハネは微笑みを浮かべながら話す。


「なるほどな。それでずっと早起きしていたのか。悪かったな一人っきりにさせてしまって」


「釣りをする人や食事の支度をする前のファリスもとても早起きだったから、よくお喋りしていたんです。ヴェインさんは良く寝ていましたから」


「あまり朝が強い方じゃないんだ」


 ミハネの左腕には相変わらず黒い本がくっついてしまっているらしく、その本が膝の上に乗っている。本がふやけてしまうのを嫌がってか、ミハネはもう泳ぐつもりはないようだった。


「まだ取れないか。その本」


「・・・はい。海に近づこうとするとどんどん重くなってしまうので、こうして砂浜から眺めるしかないみたいです」


「中には何が書いてあるんだろうな」


「それが、どうもこの国の言葉ではないような文字で、私もわからなくて。古代語というか、大昔に使われていて、もう使っていない言葉かもしれません」


「それもマリス頼りになりそうだな」


 ええ、と小さく呟いてミハネはヴェインと寄せては返す波をずっと眺めていた。元気がないなとミハネに言うと少しの間沈黙があった。言葉が喉元で引っかかっているようだ。やっとのことで深呼吸をすると、ヴェインのほうへ向き直ったミハネは泣きそうな顔で言った。


「ヴェインさん、私ね、昨日のことでまだファリスさんに伝えていないことがあるんです」


「おお。まだあるのか」


「はい。けど、どう伝えたらいいのかわからないのです」


「うーん、それは、伝えないといけないことなのか?」


「・・・はい。けれども、ちゃんと受け取ってくれるかどうかわからなくて、怖いんです・・・」


 しょんぼりとするミハネに何か声を掛けてやろうと、ヴェインは少し考えてこう言った。


「結果的にそうなったとしても、多分それは言わないでいると後からとても後悔する類の話だろう。だとするともう、腹をくくったほうがいいと思うぞ」


 正論を述べるとミハネは難しい顔をしてうなだれた。自分に大層なことを言える立場なのかと問われると、決してそうではない。どちらかと言えば、それはヴェイン自身身に染みて後悔している。

 怖い、か。ヴェインから見れば、常に死と隣り合わせになるような場所ですくすくと育ったミハネのほうがその環境はどうなのかと疑問に思うし、いつ何が起こるかわからないほうが怖いのに、仲良くなった知り合い一人に嫌われるほうが怖いと思うほうがよっぽど不思議な気持ちになった。異常な環境には慣れてしまったのだとして、心はとても正常なのだろう。そう考えると少し気の毒だ。大人と子供の間にいる年齢で、選べることなどまだ決して多くはないというのに、その中から割と困難な道を提示されているようで。



 一日前の天候が崩れていた為、晴れの日の釣り堀は釣り人でいっぱいだった。腹をすかせた小魚が集まってくるので釣り糸を垂らせば沢山釣れる。

 ファリスは屋台の台所で次から次へと運ばれてくる魚を捌いて下処理を行っていた。ある程度調理が済んだらミハネのところに行こうと張り切って仕事をこなしていた。彼女は良くも悪くもはっきりとしていて、思ったことをそのまま口に出す所がある。彼女は妹分のようなミハネのことが好きだった。だが、ミハネに起こる様々なことが自分の想像の範疇を越えていて理解ができなかった。ただ、それだけの話だ。彼女は、ミハネが思い悩んでいるという事など露ほどにも思っていなかった。


「おはよう二人とも!」


 いつもの明るい調子でファリスは二人に話しかけた。おはようと二人も返してくる。いつものように笑って雑談を交わしていると、長い間ずっと同じように過ごしていた仲間みたいだ。それくらい三人の様子は馴染んでいたし、誰もが同じ時をずっと共有していたいと思っていた。


「今日は何をしようかな。晴れた日には色々とやることがあるからいいよな」


 ファリスは島の事を知り尽くしている。そのことからも、リーダーシップをとって色んな所へ皆を連れて行ってくれるのも彼女だった。だが、黙っていると雰囲気に呑まれて言いたいことを言う前に事が進んで行ってしまう。そうなる前にミハネは何とか話を聞いてもらおうとした。


「あのう、ファリスさん・・・」


「どうした?」


「・・・私の話を聞いても、私を嫌わないでくれますか?」


 おおよそミハネらしくもないセリフにファリスは目をぱちくりさせる。


「私はお前をとても大事に思っているんだぞ?なんで嫌いになるんだ?」


 不思議そうな顔をして見つめ返すファリスに、少し言いよどんだのち、少しずつ昨日水の精霊に言われたことを伝えた。


「近いうちに嵐ねぇ・・・そりゃ大事だな」


 ファリスはその言葉を何度も噛み締めるように口にした。


「いつ、どれくらいの規模で起こるのかが分かればよかったんだけどな」


「残念ながらそこまで詳しくは・・・」


「だよなぁ。ミハネ、私はあんたを好きだし信用しているよ。けれども、その水の精霊とやらを信じていいかどうかは正直分からん。けれども万が一そいつの言う通りだったなら、早めに対策を打ったほうがいいよなぁ」


 王に相談しに行ってくる、とファリスは立ち上がった。きょとんとしているミハネの頭を撫でてやる。


「言い出せなくて辛かったんだな。こんなこと、後になって嘘でした、なんてシャレにならねぇもんな。勇気出して言ってくれてありがとうな。それに、そんなんで嫌いになんてなるわけねぇだろ。もっと私の事を信頼してくれよ。一人で抱えて苦しいこと程、吐き出してくれていいんだ。な?」


 普段と変わらない表情で、ファリスは笑う。そのことが今まで苦しい気持ちでいたミハネの心を軽くした。

 じゃあ、ちょっと行ってくるからとファリスは走って去って行った。失くした宝物を見つけたような顔で心底ほっとしているミハネに、ヴェインは良かったなと一言だけ呟いた。


 ファリスは王にミハネの事や彼女にまつわる不思議な事、水の精霊については伏せながら、嵐が近日中に来るらしいという事をミズガルの王スランディードに伝えた。信憑性を高めるために、断崖絶壁から降りてくる怪鳥を見たとか、海中の魚の動きがおかしいなどとそれらしいことをでっちあげたのが功を成したらしく、スランディードは警戒に当たることにすると約束してくれたのだ。

 ファリスがスランディードに進言をしたことで、国の嵐に対する警戒が強化され、村人や旅行客に対しても注意喚起が行われた。雲一つない空を見て、人々は訝しんだが、多発する嵐の脈絡のなさを思い出し、荷物を固めていつでも移動できるよう準備をするのだった。


 その日から、念のためにと海での遊泳や釣りも禁止され、人々は貴重品や荷物を携えながら村を行ったり来たりするのを繰り返すか、宿で過ごす事を徹底して飛竜が迎えに来てくれるのを待った。

 馬車で旅行に来ていた人たちは既にここを発っている。より閑散とし人気のなくなった海は、皮肉なくらいに綺麗な姿を見せてくれていた。

 ミハネとヴェインはあれから村の市場をうろうろして、リンデルやバリーへの土産の服や日持ちしそうな食料を購入したが、その後はずっと宿の中やすぐ近くで過ごす事にした。



 予定よりも一日早く、飛竜のイーヨに乗ったシグマが迎えに来た。自分たちの宿をノックし、シグマが顔をのぞかせると、ミハネとヴェインは懐かしい顔を見て思わず駆け寄った。


「やぁ!二人とも久しぶりだねぇ。すっかり焼けちゃって。どうだった海は?」


「シグマさん!海、最高でしたよ。毎日楽しくて幸せで。迎えは明日じゃないんですか?」


 ミハネが問いかけると顎鬚を引っ張りながらシグマは早口で語りだす。


「いや、僕も予定通りそっちに向かおうと計画していたんだけどさ。ドラゴン航空便の飛行場からミズガル国の様子を見ていると、沖のほうから凄い速さで真っ黒な積乱雲が近づいてきていてね。このままだと明日には嵐で迎えにはいけない。なら、まだ海も風も穏やかなうちに行ったほうが良いだろうと判断してね。間に合ってよかった。すぐに準備をしてくれ。今すぐここを出ないと危ないかもしれん」


 シグマに促されて荷物を持って砂浜に出ると、既に翼竜は浜辺に何体か待機していた。次々に飛び去る人達を横目で見ながらミハネ達もイーヨの元へと向かった。イーヨは人懐っこい顔でヴェインにすり寄って懐いてきた。ヴェインも懐かしそうに顔を撫でてやる。

 ミハネは海のほうを見て、波が宿のほうへずいぶんと近づいてきているのをシグマに伝えた。空は晴れていて波が穏やかな分、それはとても奇妙な光景だと感じた。


「シグマさん、なんだか水位がかなり上がっているんですが・・・一体」


「逃げろ」


 シグマの顔が一瞬にして恐怖の表情に変化した。海のはるか沖のほうから、奇妙に盛り上がった波がこちらに向かってくるのが見える。


「やばい。これはマジでやばいぞ。皆、早くイーヨに乗れ。イーヨ、準備しろ。早く。何している」


 シグマの普段とは全く違う態度にたじろぎ、イーヨは怯えてしまって動こうとしない。波は近づいてくるにつれかなりの高さがあることが分かる。


「津波だ!!!おーい!!津波だぞ、早く避難しろーー!!!」


 そう叫びながら、シグマは村のほうへ向かって走り出した。他のドラゴンたちはどんどん飛び去って行く。動けないイーヨを囲み、ミハネとヴェインは取り残された。ヴェインは焦りながらも穏やかに撫でながら、イーヨに話しかける。イーヨは凍り付いたように固まり、海の一点を見つめていた。


「なぁ、どうしたんだ?イーヨ、いつも通りに飛ぶんだ。出来るだろう?」


「イーヨ、どうしたんです?」


 無理くりに気持ちを落ち着けながら、ミハネはイーヨの見つめている方向を眺めてみる。いくら目を凝らしてみても、そこにあるのは何ら表情無くすべてを飲み込もうとしている水の壁だ。気が付けば真っ黒な積乱雲は音もなく青空を覆いつくし、強い風が轟音を巻き起こし、津波を急き立てていた。


「ヴェインさん、走って逃げればまだ間に合うかもしれません」


 ヴェインはイーヨを撫で続けている。


「ミハネ、お前は行けよ。ファリスも待ってるだろう」


「ヴェインさんだって、ヴォルヴの街ではバリーさんもリンデルさんも待っているんですよ!」


 そう言いながらミハネもイーヨから手を離さない。その様子を見てヴェインは苦笑した。


「多分行けねぇな、お互いに」


 波は、彼らの頭上まで迫っていた。


(助けて・・・!!)


 ミハネは今まであった沢山の存在の顔を次々と思い浮かべながら強く念じた。


 津波はうねりを上げて全てを飲み込まんとし、彼らの上に覆いかぶさった。


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