王と言い伝え
大粒の雨は屋台の屋根をたたいてその激しさを示す。外では急な雨に急いで村や宿に戻る人が交錯していた。屋台の食事の片づけを手伝った後、しばらくの間雨宿りをしていた。
「これからずっと雨が続くんでしょうか」
「いや、確かに天候は崩れてきているがこれは通り雨だろう。じきに止むよ」
「雨が止んだらさ、もう一度石像のところに行ってみないか。無理にとは言わないけど、もしかしたらミハネも近づけるようになっているかもしれないし」
ミハネはあまり気は進まなかったが、行けるところまで近づいてみると約束をした。それに彼女は個人的に畑で実っている果物がどうやってこんなに大きく実っているかに興味があった。草の生えているところではとりあえず生態を調べ、薬草図鑑の糧にしたかった。
やがて雨は通り過ぎ、うっすらと太陽も見えてきた。波打ち際で遊んでいる子供たちもいる。近いうちに嵐が来ると水の精霊らしき少女は言っていたが、それは今すぐにやってくるという事ではないらしい。
果樹園に行くのにはファリスもついてきた。ステージが中止となり、時間を持て余しているのだそうだ。
「そういえばファリスさんは森の入り口から中へ入って行ったことはありますか?」
「森に?何度も入って遊んだよ。小さな野生の木のみを食べたり、一番背の高い木に登ってそっから海を見渡したりな。奥のほうには行けなくなってるから、入り口からほんの少し奥まったところまでしか行ったことないけどさ」
「どうして奥まで行けないようになってるんだ?」
「森に少し進んでいくと大樹の根っこがやたら発達して絡み合っているところがあってな、そこに寄生木も寄生していて壁になってんだ。森には何がいるかわからねぇし、なんだか薄気味悪いから進んで入る奴は昔からいない。だから、遊んだり中に入るのは日中までって村でも厳しく言われてる」
ケイオスの森で育ったはずのミハネでも、その話を聞いてなんだか違う森の話を聞いているような気持ちになった。一口に森と言っても、ケイオスは生きている者もそうでない者も、また、見えない者も内包しながら存在している。見えるものだけが真実ではないのだと、地下に蠢いている何かを想像してミハネは軽く身震いをした。
果樹園の果物は雨にしっとりと濡れている。ファリスは手慣れた様子で一つ一つ熟れた果物をもいでいき、そのまま皮ごと食べた。ヴェインとミハネもそれに倣う。もうしばらく歩くと、石像のある場所に着く。
やはり今回もミハネは石像には辿り着けなかった。ミハネの耳の中で警戒音はさらなる危機感を訴え、彼女はそこから一歩も進めなくなってしまった。左腕にくっついた宝石の付いた黒い本を忌々しげに見ながら、こんな時に役に立ってくれればよいのにと憤る。実際、この本は結構重たいのだ。
ヴェインは初日に見た夢を思い出そうとするが、記憶がおぼろげになってしまいよく思い出せない。諦めずによくよく目を凝らしてじっくり見てみると、石像の目じりに赤い砂のようなものが付着していた。赤い石の欠片だろうか。そのことをファリスに伝えると、彼女は首を傾げた。
「赤い宝石の涙を流す人の話?聞いたことねぇよ」
「ニダヴェルでは妖精の言い伝えや伝説が昔話として残っていることがあるんだが、ミズガルではそういうことはないのか?」
「うーん・・・私は聞いたことがないな。そういう伝承というのは、本になってり人から人へ伝えていくものだろう。ここの人たちは本を読まないし、おばあからも聞いたことがない。私じゃなくて、生粋のこの土地の人間に聞いたほうがいいかもしれん」
そういうとファリスは知人を紹介すると言って歩き出した。
「もうこれ以上ここで時間を潰しても仕方ないだろう。ミハネは石像まで来れないし、それだったら別の手に移ったほうがいい。さぁ、行くぞ」
二人も彼女についていくことにした。
移動している間、時折霧雨が彼女たちの髪を湿らせ、空に小さな虹を作った。ミハネはそれを眺めながら微笑んだ。
「雨でも良い事があるんですね」
村に戻り出店を通り過ぎると、ファリスはまだ足を踏み入れていない住宅街のほうへと進んで行った。簡易的なテントで造られた出店と違い、村人の住む家は宿と同く岩を組み立てたような造りになっていて、それに高さが加わった二階建ての住居だ。時折派手な色の洗濯物が干されていたり、住民の女性たちが井戸端会議をしているのに出くわし、通り過ぎる。ファリスはまっすぐに進んで行き、一番奥のひときわ大きな建物の前で足を止めた。ドアの前に設えられた石の輪を持ってゴンゴンぶつけて音を出す。
すると奥からすらりと背の高い男性が姿を現した。
「ファリスじゃないか。珍しい。何か用事かい?」
男性は原住民らしく黒髪で浅黒い肌をしていて、物腰はとても柔らかい。ミハネとヴェインの視線に気が付くと、とても自然に微笑んだ。
「王様はいるか?」
「ああ、奥で書類にサインをしている。もうじき休憩に入るところだが」
「観光に来た友人がこの国の歴史を知りたいらしくてな。この国に伝わる神話だとか、物語があるかどうか教えて欲しいんだ」
「神話や物語・・・これまたさらに珍しい。そんなことを聞きに来たのはあなた方が初めてです。良いでしょう。ファリス、上がってお客様を応接室に案内してください」
「おう」
ファリスは平然と我が物顔で室内へと入って行く。二人もおずおずと続いて入って行った。
ミズガルの衣食住はほかの国に比べるととても簡素な造りでできている。それは王様の邸宅であっても同じらしい。木彫りの上等な椅子に腰を掛けながら緊張した面持ちで二人はファリスを見つめる。
「ファリスさん、いきなり王様のところに押しかけてしまっていいんですか?私たちド庶民ですよ?」
「うちの王様はそういうの気にしないから大丈夫だよ。あまり畏まるのが好きじゃないんだ。自分でもちょっと人よりも決定権を持っているだけのおじさんだって言ってるし、ずっと何代もそうみたい。だから聞きたいことがあったら何でも聞いたほうがいいぞ」
ファリスはあくまでも気楽そうにそう答えた。しばらくするとさっきの男性に連れられて恰幅の良い初老の男性がせかせかと階段を降りてくる。汗を拭きながらヴェインとミハネを交互に見ると、謙虚な姿勢で頭を下げる。
「お待たせしました。この国を纏めております、ミズガル国国王のスランディードです。後ろにいるのは秘書のフサルト。君たちは、何かこの国のことで聞きたいことがあると・・・」
思い切り腰の低さを見せつけられて二人は怯んだが、穏やかに自己紹介を済ませた後、本題に切り込んだ。
「あの村の外れの森の入り口のところにある石像なんですが、どのようにして作られたのかが知りたくて。出来る範囲で良いので教えていただけませんか」
「ふむ。希望と友情の少女像ですな。あれは十二年ほど前にニヴル、ニダヴェル、ムスペルの三国より寄贈されたものでありまして。なんでもニヴルに凄腕の職人がいるとのことで、ニヴル国に少女像を作成してもらい、その土台をニダヴェルが、装飾と寄贈のための船を出してここへ届けてくれたのがムスペルでした。
美しい海を讃えてくれ、その上この国を友好国として優遇すると約束してくれた、とても素晴らしい時代の象徴となる像です。しかし、あんな辺鄙なところへあるのでさぞ奇妙に思われたでしょう」
王の表情が少し陰りを見せる。
「度重なる嵐や大雨が何度も村を破壊しました。はじめはうちの前に置いていた石像も波によって何度家ごとさらわれそうになったことか。そこで我々は石像を高台へと上げていきました。どんなに高い波が来たとしても、まさか森の入り口付近まではたどり着けまい。あの石像がどうして何のためにあるのかは忘れられつつありますが、私にとっては国と国民に与えられたたった一つの勲章だ。手放すわけにはいかない」
さ、これくらいでいいだろうかとスランディードは一息ついて微笑んだ。
「ほかに何か聞きたいことは?」
促されてヴェインが話し出した。
「この国に伝わる物語や民話というのがあると思うのですが、海や、例えば人魚にまつわる物語ってあるのでしょうか」
「海、人魚の物語か。ふぅむ。・・・人魚ではないが海にまつわる話ならいくつかある。例えば、このあたりの海は魚介類が豊富に獲れる。だが、月に一度は必ず、全く魚を取らない日を作らねばならない。それと、新月の日には森に入ることと海に入ることを禁止している、とかな。ここの住民は自分たちとは異なる者や魔術の類を嫌うが、この二点だけはきちんと守る。海は美しいが自然の一つ。何が起こってもおかしくない魔境でもある。こういった戒律ができた背景には理由があってな、過去に波に攫われて行方の分からなくなった者がおってな。そいつが数日後に奇跡的に生還を果たした際、”海の中に竜が居た”と言ったのだ。その者は竜を恐れて死ぬまで海には近寄らず、畑を耕して果樹園をこしらえた。そのことがあってから村人たちは脅威を避けるために海の竜神様の存在だけは信じ、固く言いつけを護っておる」
古いしきたりの中には、当時は当たり前に受け入れられていたにもかかわらず、時代の流れによって意味が擦り切れて消えてしまい、何故そうするかは分からないがするべきことだとして残っているものがある。そういった実用的だった戒律が時間をかけて物語へと変貌していったような印象を受ける。
それもミズガル国の”顔”の一つなのだろう。その場の空気に打ち解けた皆は、その後も楽しく雑談し、邸宅を出たときにはうっすらと青く色づいた空に赤い太陽が柔らかな光を放ちながら沈みゆくところだった。雨の気配はどこかに去っていき、明日からはまた晴れるだろうとすっきりとした顔でファリスが言った。
”近いうちに嵐が来るわよ”
ミハネの心の奥底で、水の精霊の少女に言われた言葉がずっと引っかかっていた。和やかに続く会話に水を差したくなくて、それに対しては口を閉ざしていたのだ。近いうちがいつなのか、伝えたほうがいいのか、彼女は悩んだ。左手に未だにくっついている黒い本を見て、さらにミハネは暗く落ち込んでしまうのだった。




