小さな冒険
早朝の空にはうっすらとした雲が発生していて、それに囲まれて昇ってきた太陽もどこかもわもわと所在がなかった。海は相変わらず穏やかでいたが、そぞろに風が吹いてくると表面が細かくさざめき立つ。
ミハネは当たり前のようにプライベートビーチに赴き、そこでひと泳ぎしたところだった。小さな海を形作る巨大な断崖絶壁のふもとに出来た水たまりの中にこれまた小さな生態系が出来ていることに気が付き、じっと観察を続けていた。時折さぁっと霧雨が降ってはやむのを繰り返している。最近天候の荒れが目まぐるしいと聞いていたが、その兆候なのだろうか。どこかしら青空のある個所を見つけては、ミハネは不安を払拭しようとするのだった。
(この先迎えが来るまで雨が降るのだとしたら・・・)
ミハネは断崖絶壁の頂上に目を向けていた。
(登ってみようかな)
切り立った崖の表面からはごつごつとした岩があちこちから突出している。考えるが早いか、ミハネは取っ掛かりとする岩にまず足をかけ、体を伸ばして上方の岩を掴んだ。
過去に住んでいたケイオスの森では、ほぼ毎日駆け回って過ごしていた。その地形や薬草の生える場所などは何度もくまなく調べていて、すべて頭に入っている。だが、それが森の全体だとは思っていない。ラヴィに教わった基本的なルートは、中央付近にあるラヴィたちの家からミハネの故郷のミルの村までの道と、その道から外れてヴォルヴを含むニダヴェル国に通じる道、それからニヴルのふもとの魔王城の城下町付近。そのあたりならミハネ一人でも自由に行き、戻ってこれるくらいの土地勘は出来ている。
だが、東と南の国に通じるルートまでもミハネが理解できているかというと謎だった。その為、この断崖絶壁を登り切った先の景色を知りたかった。先に繋がっているのは森なのか、それともまた違うものなのか・・・。
ミハネの額にじわりと汗がにじみ出す。意外と単調にすいすいと登れたのは四分の一ほどの高さで、そこからは腕の筋力に頼るようになってきた。ちらりと下を見ると、まださほど高くは感じない。この地点で飛び降りたとしても無傷で砂地に着地できそうだ。だが彼女は俄然前進以外の選択肢を選ぶ気はなかった。風に体が煽られると、慌てて岩に齧りつく。体が重く感じ、言う事を聞かなくなってきた。半ば朦朧とした意識の中、次に掴む岩を探る。
”右”
はじめは幻聴が聴こえたのかと思った。手を少し右側にずらすと岩があることに気が付いた。必死でそれを掴むと何かが体を押し上げてくれているような感覚がする。
”左足、上”
膝を上げて左足の先で取っ掛かりを探す。手ごろな岩が足の先に当たり、そこを踏みしめた。そこから声の言うとおりに少しずつ手を伸ばし、足を踏ん張って進んでいく。疲れは少しずつ軽減していった。
数時間するとようやく頂上の岩場に手を掛け、登りきることができた。ミハネはその場に横になり、深呼吸を繰り返した。太陽に暈がかかり、その靄に反射した虹がぼんやりと視界に入ってくる。
「綺麗・・・」
やっぱりここは楽園なのだなとミハネはひとりごちた。
優しい風がミハネの上を通り過ぎると、彼女は起き上がり、崖の淵まで行って下界を見た。プライベートビーチが道端の水たまりのように小さく見える。左側にはずっと砂浜が続いていて、宿が不規則に転々と並んでいた。動いているのは宿泊客だろうか。小雨の所為かあまり人の行き来はない。奥にかすんで見える村の様子だって同じようなものだろう。ファリスはいつものように忙しくないからと退屈を持て余しているかもしれない。
人の営みを高いところから俯瞰して様子を見るという経験はとても面白いとミハネは思う。それは先ほど見ていた潮だまりの中の世界と似ているように感じた。生き物のいるところにはその生き物が形成した社会があって、その社会によって秩序が保たれている。それはどの生き物にも当てはまるのだろうか。そんなことを考えていくのが興味深かったのだ。
見下ろすのにも飽きてきたころ、ミハネは後ろを向いて草木の茂る獣道を進むことにした。少し進むとケイオスの森特有の樹齢を軽く千年は超すような大樹が所狭しとそびえている。ラヴィの足音に似た警告音が聴こえてこないことを確かめながら、ゆっくりと森の中に入って行く。
目の前に広がる景色は別段、普段勝手知ったる森となんら変わったところはない。大樹の下に生える薬草の種類や聞いたことのある鳥の鳴き声からそう感じる。ただ、来たことのない地であるということは確かだ。人や獣らしき生き物のいた形跡は今のところ見当たらない。小さな木の実がところどころ食べられた後はあるが、おそらくはこのあたりに住む鳥の仕業だろう。使うかどうか迷ったが、ミハネは思い切って俊足で辺りを駆け回った。しばらく走っているとどこからか水の匂いがする。匂いを感じる方向へ走って行くと、滾々と湧き出る泉へと到着した。
(こんな標高の高いところに湧き水・・・?)
不思議に思いながらも、喉の渇きを感じていたミハネはその水を掬って飲んでみた。キンキンに冷えた生水はするりと喉を通っていき、体の熱を落ち着かせて癒した。ほう、と一息つくと草の香りとほのかな甘みを後から感じるのだった。
―———パシャン。
目の前で水が跳ねる。ミハネが不思議に思って目を凝らすと、水が地下から噴き出ている部分がだんだん大きくなっていき、ついには人の体ほどの水の柱となった。ミハネが唖然としていると、柱から小さく愛らしい表情が現れ、長い髪の毛をゆらりと垂らし、一枚布をドレスにしたような衣類をまとった少女の姿へと変化した。
『あら。沢山仲間を連れていると思ったから出てきてみたら、貴方ってばとても可愛らしい娘なのね』
水の少女はクスクスと笑っている。体は相変わらず透明のままだ。人ではない、この少女も妖精か何かなのだろうか。
「あのう、あなたは・・・・」
『貴方の連れている子達と大体一緒よ』
「と、いう事は、やっぱり精霊ということになるんですか?」
ミハネがたずねると、彼女は少し面倒くさそうな顔をした。
『あなた、何も知らないの?まだそこまで力がついていないのね。残念』
「すみません。周りも沢山どなたかがいるそうなんですけど、私には見えなくて・・・」
『別にあなたが謝ることはないわ。成長なんて人それぞれだし、何かあったとしたらそれは貴方の後ろの人たちの監督不行き届きだわ。まぁ、ただ、時期じゃないんでしょうね』
少女は興味深そうにニコニコとしている。
「私は貴方の力が必要になるでしょうか」
『ええ、きっとね。でも、今必要なのはきっと私じゃなくて、もう少し森の奥へ行ったところにある物でしょうね』
「あ、ありがとうございます。あのう、あなたのお名前は・・・」
少女は残念そうに首を振る。
『今はまだ言えないわ。姉に会ってもらわなきゃ。でも、気を付けて。もう数日で嵐が来るわ』
それだけ言うと、少女はまた水の柱となり、小さくなって只の泉へと戻っていった。相変わらず風が優しく拭いていて、聞きなれた鳥の鳴き声が辺りに響いていた。
泉から離れ、さらに森の奥地へと進んでいく。ラヴィたちの住んでいた家の近くでは見られなかった寄生木が増えていく。大樹から大樹へと蔓を伸ばしては巻き付いて人の行く手を阻み、邪魔をする。道が開けていない所なだけに多発しているとやりづらい。ミハネは護身用に鞄に入れていた小型のナイフを使って、切りながら前へと進んだ。
その先に小山のようにこんもりと盛り上がっている場所がある。これが少女の言っていた必要なものの在る場所なのだろうか。小山には寄生木の蔓がこれでもかというくらいに巻き付いていて、近寄れなくなっている。らちが明かないので手ごろな大樹に手を掛けると、そこからうまい事よじ登って小山を見下ろすことにした。
小山の中央には大きな窪みがあり、その中には水色の卵が幾つか鎮座していた。ミハネがようやく一つ抱きかかえられるくらいの大きさだ。これが必要となるものなのだろうか。
(もしかしたらドラゴンの卵かもしれない・・・)
そう思いながら巣を眺めていると、そこのほうにキラキラと輝くものがあった。注意深く巣の外側に降りていき、中に潜り込んで光る物を探ってみると、そこにあったのは大量の宝石だった。
(ラヴィの石!)
この中にあったのかとミハネは夢中になって乳白色で青く光る石を巣の中から探し出そうとした。赤や青や深い緑など、綺麗に研磨とカットを施された宝石や金や銀で装飾されたものは多く見つかったが、ラヴィの石はなかなか見つからなかった。さすがに諦めようとしたとき、うっすら青く光る石が巣の一番底にあるのを見つけた。
「あった!」
泣きそうになりながら石に手を伸ばすと、バン!!と手に強い衝撃を受けた。青い石が表紙についている黒い書物が自らぶつかってきたのだ。書物についている石をまじまじと見てみる。
(違う・・・ムーンストーンじゃない)
石は深い灰色をしていて、光の加減で青い光を発した。おそらくはラブラドライトだろう。細やかな彫刻が施され、ピカピカに光るほど磨かれている。ミハネはがっかりして書物をもとに戻そうとした。だが、何度手を放そうとしてもくっついてきて離れない。うっかり手を乱暴に振ると卵に当たってしまいそうだ。
(呪いの書物だったのかな。どうしよう・・・)
すっかり気が動転して泣きそうになっていると、背後から低い唸り声が聞こえてきた。書物を手から外そうとするのに夢中になっているうちに、生き物の気配を察知する気が削がれてしまっていたのだ。
恐る恐る振り向くとそこには巨大な怪鳥が口を開けて威嚇してきた。
小雨の降る朝にまで、まさか泳ぎに行きはしないだろうと眠い頭でヴェインは考えていた。目が覚めるとやはりミハネはどこかに行っているらしかったが、もう三日目の事なのであまり気にしないでおいた。
きっとまたプライベートビーチで泳いでいるのだろう。もともとはミハネが行きたがっていた旅行なのだ。自由にしておいたほうがお互いの為だ。そう結論付けると、朝食を食べに屋台へと向かった。天候は前日よりも少し崩れていたが、霧雨にも負けずに根強く釣りを続ける人たちは一定数いた。その釣り堀の手前ではファリスがこそこそと何かを用意している。
また何か得体の知れない物体でも捕まえようと思っているのだろうか。昨晩食べた十ツ足を思い出しながらヴェインは声を掛けた。パッと顔を上げ笑顔でおはようという。可憐な笑顔に内面を知らない男どもならことごとく落ちているだろう。
「おはよう。昨夜はよく眠れたか?」
「ああ、おかげさまで。そうだ、ミハネを見なかった?」
「いや、今朝は見てないぞ。プライベートビーチにでも行ってるんじゃないのか?私はこの仕掛けが終わったら飯に誘おうと思っていたところだ」
「俺も多分プライベートビーチだとは思うんだけど、先にもう朝食を食べておこうと思って。泳ぎ疲れて腹が空けば来るだろうし」
「それもそうだな。・・・よし、私も飯にしよう。ヴェインちょっと付き合ってくれ」
二人は屋台のテントに入って行った。
「お前らに盗みを働きやがったガキどもに詫びを入れさせようと思ってな」
ファリスは山盛りの食べ物を前にそう彼に持ちかけた。初日に財布を盗まれたことを、ヴェインはすっかり忘れかけていたが、ファリスはずっと腹に据えかねていたのだろう。こうして話している間もだんだん目が座ってきている。
「結局被害はなかったんだし、俺もミハネも気にしてないからもうそこまでしなくてもいいと思うぞ?」
「それじゃ私の気が済まんのでな。人様に迷惑をかけたなら謝るのが筋ってもんだろう。特にミハネは突き飛ばされて怪我したらしいじゃねぇか。そこはちゃんと気にしろ。人は舐められたら終わりだからな」
ファリスは奥歯をギリギリ噛み締めて怒っていた。只事じゃない雰囲気にヴェインはたじろいだ。
「あいつらには再三言ったんだ。ちゃんと謝れって。なのに”もう済んだことだ”なんていうからよ。それを言っていいのは被害に遭ったほうだろうが。それで私がちゃんと席を設けるから、来てきちんと謝れって言ったんだ。・・・お前らは面倒かもしれないが、悪いことをしたときはそうだと認識させないと、後々大変なことになりかねんだろう。少しだけ協力してやって欲しいんだ」
真剣な表情で親のようにふるまっている。村の子供たちのことを本気で案じているんだろう。
「いいよ。ミハネも協力するってきっと言うさ」
そういうとありがとう、と小さくファリスは呟いた。
「ミハネの事、信頼しているんだな」
「どうだろうな。信頼とは言えないけど、あいつは結局色々何とかする奴だからな」
「?どういうことだ?」
ファリスはそのあたりをしつこく聞きたがったが、ヴェインは返答に困った。
「・・・そういえば遅いな、ミハネ。もう朝食の時間が終わっちまうぞ」
「多分疲れて寝てるだけだと思うけど・・一応見に行くか」
二人は店を出てビーチへと向かった。小雨の降るプライベートビーチにはいつも以上に人気がなかった。海の中では小魚が群れを成して泳いでいる。
「いない?あれ?じゃあ村のほうに行ったのか?」
「とにかく探そう」
二人がプライベートビーチを離れようとしていたその時だった。巨大な鳥が崖の上から急転直下で降りてくると、羽ばたきながら体制を整えて着地した。
羽ばたいた時の爆風に飛ばされないようこらえながら見ていると、背中からミハネがひょっこり出てきて飛び降りると、鳥に向かって手を振った。
「ここまでありがとうございます。では、さようなら!!」
鳥は満足そうに頷くと、そのまま巣へと戻っていった。ミハネは鳥が小さくなるまで見守っていたが、ファリスとヴェインに気が付くと笑顔で近寄ってきた。
「ファリスさん、ヴェインさん、おはようございます!なんだか私、呪われちゃったみたいなんですよね」
にこやかに物騒なことを言ってのけるミハネの様子を見て、ファリスは一層混乱していた。
「??ヴェイン、これは一体、どういうことなんだ???」
ヴェインはもう何も言えなかった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。今更ですがタイトルを少しだけ変えました。初めての長編で勢いで進めてきてしまい、ネタバレ要素をそのまま書き記してしまっていたので、少しずつ変更していくつもりです。大まかな修正はすべて完結してからしようと思っています。一番初めから読んでくださっている読者様には本当に今更で申し訳ないですが、これからもゆるりと楽しんでいただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。




