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釣りの朝

 ミハネの朝は早い。薬草を育てている畑の状態を朝から点検する癖が身についている為だ。今は春から育てていた薬草を収穫してしまっているので、畑はいったん休ませている状態だが、それでも一度ついた習慣というのは抜けないのだろう。隣にはヴェインが穏やかに寝息を立てている。バリーの厳しい監視がないためか、彼は割と寝起きが良くない。今だってよほどのことがない限り深い眠りにからは覚めないだろう。

 ミハネはこっそりと服を着替えると、外の空気を吸いに部屋から出た。まだ薄暗い朝の砂浜には強い風が吹き、波も荒くて少し肌寒く感じる。それでも森とは違うかたちの自然に囲まれミハネの心は初日とは違ってずっと凪いでいるのだった。

 前世の記憶があるというのは、便利に見えて実は厄介だ。一度きりしかないはずの人生を、過去と合わせて二重に行うために記憶があるまでの成長は早いように見える。実際、過酷ともいえる異世界での生活を比較的スムーズに行えるのは前世で生きていた記憶が助けたためもある。だが、記憶には感情が付随する。その感情の強さが、今の人生の行動動機を結論付けるといっても過言ではない。

 ミハネの人生における行動原理は、”動きたい、知りたい、世界を見たい”。それがミハネの無意識の奥底で蠢いている心理だ。前世での不自由さ、希望の希薄さ、ままならなさを感じていた彼女ならなおさら、この世界でへの期待と渇望は大きくなる。

 海の向こうの東の方角から、徐々に明るくなってきた。それを見逃さずに、彼女はじっとその方向を見つめている。自分が意識してもしなくても、世界は動きを止めることはない。いつだって夜から朝へと切り替わる、その境目を見極めることは難しい。けれども、目を逸らさずに見つめていると、自然から教えてくれることは沢山ある。例えば、水面に太陽が解けて輝く瞬間などが。

 二度目の日の出でも、見ていると自然に涙が頬を伝うことをミハネは知った。彼女はこの人生で初めて、心から満たされるということを体験したのだった。


 太陽が昇ってくると、体感気温が一気に上がる。水の中はまだ冷たいだろうけど、泳いでいるうちになれるだろうと、ミハネはプライベートビーチに向かうことにした。

 相変わらずビーチには釣り人達が集まっている。彼らは釣り糸を垂らしたまま、じっとして動かないが時折ぐっと竿を持ち上げる。するとぴちぴちと尾をはねて暴れる魚が針に引っかかっている。

 ミハネはその様子が気になって、天然の釣り堀の中を覗いてみた。大小さまざまな魚たちが、それぞれ群れを成して泳いでいた。奥のほうの深い場所ほど大きな魚がいる様子で、ゆらりと動く影が見え隠れしている。手前では、まだ稚魚らしき小さな魚がちまちまと稚拙な泳ぎを披露していた。ミハネは、泳ぎに行くのも忘れていつまでもその魚たちを眺めていた。


 日の出時間を過ぎ、人々が活気づいてくるころ、ようやくヴェインは目を覚ました。隣のミハネはまたいない。どうせまた泳ぎにでも行ってるのだろう。今日は夢を見るまでもなくぐっすりと眠りこんでしまっていたらしい。汲み置かれている水をカップに注ぎ口をゆすぐと、木綿の布を絞って顔を拭いた。

 外に出ると容赦なく太陽が照り付けてくる。プライベートビーチに行こうとすると、ミハネのはしゃぐ声が聞こえてきた。


「ファリスさーん!大漁です!すごいですよ!」


「おお!やったな!針を外してバケツん中に入れてやれ」


「お魚がビチビチ跳ねて触れません!!」


「そこは根性で何とかしろ!」


 なにやら妙なことをしているらしいと釣り堀に寄っていくと、ミハネが小魚を釣り上げていたところだった。一本の釣り糸に針が幾つも付いていて、そのどの針にも魚が引っかかっている。見かねたほかの釣り人が魚を針から外してやっている。


「あ!ヴェインさんおはようございます」


「・・・何してるの」


「釣りです!初めて魚釣りしましたよ私」


 ミハネが小鼻を膨らませながら興奮して話す。バケツの中にはヨワウオが4、5匹ほど泳いでいて、時折パシャッと尾で水を撥ねていた。ミハネはそれらを感慨深げに眺めている。


「釣り糸の先に餌を入れておいてから釣り堀に垂らすんです。そしたら、散った餌と間違えて魚が釣り針を食べようとして釣れるんですって。魚がかかったら、針がくくっと動くんです。そこで引き揚げずに少し待っていたら、他の針にも魚がかかっていくんです。すごいですよね。あっという間に沢山釣ることができました」


 そう、ミハネは興奮気味にヴェインに説明した。彼女はわりかしなんにでも感動するなと、すごいを連発するミハネを見ながらヴェインは思ったが、何も言わずに彼女の説明に頷いていた。

 ミハネは隣で釣りをしている人にお礼を言うと、釣竿を返した。


「ありがとうございました。お子さんの釣竿を貸していただいて」


「いや、いいんだよ。どうせうちの子朝早くから起きるのが苦手だし、なんだかんだ言って毎回釣りには来ないんだ。もしかしたら来るかと思って持って来ていたから、君に使ってもらってよかったよ」


 釣り人はニコニコ笑って受け取ると、自分の垂らした釣り糸の先に向き直った。


「もう釣らないのか?」


 ヴェインが聞くと、ミハネは少し名残惜しそうにしながら魚の入ったバケツを持ち上げる。


「はい。釣るのは自分が食べる分だけでいいって、ファリスさんが言ってましたから」


 海水の入った重たいバケツをよろよろしながら持っていこうとするので、ヴェインは一緒にバケツを持った。しばらく歩くと釣り堀から離れた場所で釣りをしているファリスが居た。彼女は半そでのシャツの裾を胸の下で括り、腰まで海に浸かると、細く長い釣竿をひゅっと遠くまで投げていた。


「ファリスさん!釣れました!」


「良かったなぁ!ヴェイン、お前も起きてきたか。お前も自分の朝飯分釣ってみるか?」


「あ、ハイやります!」


「そこに予備の分の釣竿を用意してるから、餌引っ掛けてから私んところまで来いよ」


 そういうとファリスはリールをぐるぐると回して勢いよく竿を持ち上げた。青々とした大きなササギがバシャンと跳ね、彼女の手に渡った。

 ミハネと同様、ヴェインもまた、釣りの経験はなかった。ミハネの使用していた小魚を釣る為の釣り道具はサビキというのだと、ファリスから聞いた。俺もサビキで良かったんだがと、海に腰まで浸かりながらヴェインは心の中で呟く。細く長い釣竿はずいぶんと扱いにくそうで、自分に釣れるかどうか、少し自信がなかった。どうせなら釣り堀で釣り人と同じようなものを用意してくれていたら違っていたかもしれないのに。そんな心象を見透かすかのように隣でファリスは薄く笑った。


「海は不慣れか?」


「俺もミハネも初めてですよ。海に入ったのは」


「そうか。まぁじき慣れんだろ。ちょっとあっちを見てくれ」


 ファリスが指をさしたのは遠浅が途切れて急に海底が深くなる場所だ。そこから奥に行くにつれて海の色が濃く重たくなっていく。


「あの辺りには大物が腹を空かせてうろうろしている。その動きに合わせて釣り糸を投げ、鼻先に餌をぶら下げて生きてるみたいに揺らめかせてやると簡単に喰らいつく。少し練習はいるがじき慣れる。影を探してその先に投げるようにやってみろ」


 ファリスの言われたとおりに海の深まっている色の濃い部分に目を凝らす。確かに影が見え隠れする。だが、その姿を捉えて鼻先に餌を落とすのは難しい。ヴェインはあてずっぽうに釣り糸を投げた。釣り糸はひゅっと弧を描くと、綺麗に海に吸い込まれる。ゆらりと見えていた影がぱっと姿を消すのが見えた。


「やっぱり筋がいいよなお前は。無意識に生き物に当てに行ってる。けど、海の中では届かない。だから、おびき寄せるんだ。餌を生きているように見せかけて誘い出す」


「・・・そういうの、分かるんですか」


「別に不思議なことじゃぁない。釣りをしていると癖や内面が外に出やすいというだけでな。ここには色んな職業をしている客が来る。騎士や剣士は忍耐強いが技量の要るこの釣り方は向いていない。銛で大物を一突きするほうが得意だ。魔法を使う奴らは思い通りにいかないことを嫌う。ミハネみたいにサビキをするのが一番性に合うだろう。こういった一本釣りは、獲物を狩る奴かそれを生業とするものの専売特許さ」


 釣り糸の先を目で追っていたファリスがヴェインを見る。


「私がお前らのいたところへやって来たとき、ずいぶんと遠くからもう姿を捉えていただろう」


 ヴェインが何か答えようとすると、グンと力強く竿に引っ張られた。慌てて持ち直すと、海の向こうで黒い影が右に左に激しく動き、暴れている。


「ぐっ、重っ」


「暴れて糸を切る気でいるな。急いで糸を巻きながら引っ張れ」


 ヴェインは踏ん張りながらキリキリとリールを巻きあげ、糸を引いた。そして何分か粘ったのち、ようやくオオクロイワウオを釣り上げたのだった。二人は海から引き揚げ、ミハネのいる場所へと歩いて行く。途中ファリスは気分はどうだと聞いてきた。ヴェインは晴れやかな顔で最高だと答えた。魚はバケツに入れた後も何度か外に跳ねては暴れ、しばらく砂まみれになっていた。体力が落ちて動きが鈍ったところで、ファリスは尾びれをつまんでバケツに戻した。ミハネは一部始終を怯えながら眺めていた。

 村の人たちが手掛ける朝食の準備に村人たちが素早く魚をさばいていき、蒸し器に入れたり焼いたり揚げたりしていると、宿の人たちが集まって朝食を食べる。ファリスがミハネとヴェインが釣ったものを別により分けておいてくれたお陰で、釣った魚の味を堪能することができた。ヨワウオはフリットに、ササギは塩蒸しに、オオクロイワウオは身の半分を塩焼き、もう半分がカルパッチョになって出てきた。生の魚を二人はこわごわ口に運んだが、ねっとりと柔らかく旨味の強い美味しさにすぐに夢中になって食べた。

 食事の最中、食事作りを手伝っていたファリスが顔を見せた。


「旨かったか?」


「はい、とても」


 ミハネが答えるとファリスは嬉しそうに笑った。


「今日は昼から村の奥にあるステージで踊るんだ。ミハネ達も気が向いたら来るといい。客も参加できるからな。せっかく来たんだ。楽しんでいってくれ」


 そういうと彼女は走り去っていった。


「・・・忙しそうだな」


「そうみたいですね」


 二人は言葉少なめに会話した。完食はしたが魚の量が多すぎて、喋るのも億劫になっていたのだ。

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