中身の問題
ヴェインの財布の中身は無事だった。一安心した後女性にお礼を言うと、彼女は首を横に振る。
「私があの子たちの両親から面倒を見るよう頼まれているからな。客に何かトラブルがあったら私の責任だ」
本当に済まなかったと再び彼女は頭を垂れた。
「そうだ。良かったら今夜の晩飯、私が奢るよ。このままじゃ私の気が済まないからさ。あんたらカップル宿のほうにいるんだろ」
「ああ、甲殻類の間ってところだ」
「じゃあ、準備ができたら呼びに行ってやるよ。私はファリス。お前らの名前は?」
ヴェイン、ミハネと返事をすると、ファリスは満足そうに頷いた。
「じゃあ、またあとでな!」
それだけ言うと、ファリスは走って去っていった。
「嵐のような人だったな」
「はい。でも、とても綺麗な人でしたよね」
ミハネはほう、とため息をつく。ヴェインはその様子を一瞥し、考えていた。
こういうシチュエーションで機嫌が悪くなる女の子ばかり見てきたために、ミハネの様に素直な反応は新鮮に感じる。こういうところを見ると、一緒に居ても気が楽だと彼はほっとするのだった。
いったん宿に戻ることにした二人は、到着するとまずヴェインに軟膏を塗った。前回日焼け止めとして塗ったものと同じものだ。粘度の高い薬のため、血止めにも役に立つのだとミハネは言う。
それが済むと机にペンと紙を用意して何かを書き始めた。手持無沙汰になったヴェインは弓や剣技の自主練習でもしようと外へ出た。体を軽くほぐしてリラックスすると、呼吸を整えながらできるだけ遠くを見て集中する。動体視力を上げるための瞑想の一種なのだが、これを始めることで弓矢の命中率が格段に上がる。ヴェインの父バリーには昔取った杵柄で、各国に多くの戦友がいる。その中でも指折りの弓の名手である友人に、剣ではなく弓矢に特性があるのではないかとアドバイスをしてもらったとき、特別に訓練の方法を教えてもらった。
弓を射るのに必要なのは視力の良さや小手先のテクニックでは決してない。常に心の中心が安定しているかどうかだ、と。集中しろ。屈辱や羞恥心すらエネルギーに変え昇華していけ。気持ちが整うと体幹を通じてへその下にある丹田という部分に、深く重みのあるエネルギーが蓄積されていくのを感じる。精神と体が安定すると、自然と自分を良い状態へと持っていくことができるようになった。
今回の旅行に剣や弓矢は持って来ていない。何かあった時にと、護身用のダガーナイフのみをバリーに持たされている。それも、本当に何かが起こった時でない限り、手に取る気はない。その何かとは、単なる窃盗少年達に振りかざすようなものではないはずだ。トランクに積んだナイフを使うことのないように、彼は神経を研ぎ澄ませることにした。
夕陽が海に呑み込まれていく頃、ファリスは二人を迎えに来た。朝食を食べた場所に調理場があるので、そこまで来て欲しいと言われてついてくると、石窯に火がくべられていて、黒い鍋の中に煮えたぎる湯が沸いていた。
「悪ぃな、さっきまで食材を釣っていて遅くなっちまった」
ファリスは懐からナイフを取り出すと、バケツからまだ呼吸している数々の魚の頭を切り落とし、手早く下処理を済ませると、適度な大きさに切って鍋に入れていった。養殖所から採取した貝や野菜を加えてニンニクやショウガ、香草を加え、塩・胡椒で味を調えていく。シンプルな魚介のスープらしい。
ファリスは2人分の食器に出来立てのスープをよそうと、スプーンと共に二人に渡した。火はつけっぱなしのまま、鍋を囲みながら食べるものらしい。
「夕食は皆宿で食べるからな。おかみさんに事情を言ってこの場所を貸してもらったんだ。ちゃんとこっちのほうが豪勢な食材を使ってるからな、お得だぞ」
ミハネは熱いスープを注意深く飲んだ。ぶつ切りになった魚の骨や貝からまろやかなエキスが染み出し、野菜の旨味や香草の香りとも相まってとても美味しい。シンプルな塩味のスープの後味にスパイスや香りのアクセントが効いてくる。初めて食べる味わいだった。二人の夢中で食べる姿を見て、ファリスはほっとしたように笑った。
「気に入ってくれたようで、良かったよ」
食事が落ち着くと、それぞれが少しずつ会話を始めた。ミハネが海を見たいといったことからここに来るのが決まったこと、誰と行くのかを決めるのが大変だったこと。ここの治安が悪いという事も、オブラートに包みながら慎重に話をした。
「あー、なるほどね、外国ではそういう風に見られているというわけか。そりゃぁそうだろうな。あれだけ派手にあんなことばっかしてたらなぁ・・・。あいつらも、本当は悪い奴らばかりじゃないんだけどな。旅行客を見るとどうもカリカリしていけねぇ」
赤く焼けた炭と青い炎がファリスの伏せた顔を照らす。愁いを秘めた表情も伏せた眼もどこか大人びた印象を与える。ミハネは絵画みたいだと見惚れていた。
「この国が子供たちにしてやれることって本当に少なくてさ。13,4歳になると自分で身の振り方を考えて行かなきゃいけないんだけど、碌に勉強もできない環境で育って、碌な働き口もない場所で、自分たちよりもはるかに金を持っていますって顔した客たちにおべっか使う大人たちの真似事をしなきゃいけない。それが腹が立って仕方がないんだよね、あいつらは。観光客がこの国にお金を落としていってくれているから生活ができるんだっていうことにまで想像力が働かないんだ。好き勝手に押し寄せてきて、好き勝手に自分の大切なものを奪っていくように見えているんじゃないかな」
あ、喋りすぎてごめんと言って口を押えるファリスに、ミハネは彼女に疑問に思っていたことを聞いた。
「あの子たちにご両親はいないんですか?」
「いるよ。けれども皆朝から晩まで働いてっからな。とてもじゃないけど面倒みきれねぇんだよな。あの子たちの親には私が小さい頃に面倒を見てもらってたから、今度はその順番が回ってきたみたいなもんなんだよ。まぁ、私も飯の用意や聞かれたことを教えるくらいしかできねぇけどさ。あいつらももう自分の考えみたいなものを持つようになる年頃だし、目を離すとすぐあんな質の悪いことしやがる。」
ファリスはその美貌を活かして、歌や踊りを披露したり、宿屋の手伝いをしたりと忙しいらしい。夜には旅行客に呼ばれて一緒に酒を飲んだり、時々人の傷を癒す仕事もしているという事だった。
「めちゃくちゃ忙しいじゃないですか。そんな状態で子供たちの面倒まではとても見られないですよ。なんでそこまで人の為に頑張ろうとするんですか」
ファリスはしばらく考えていたが、なんでだろうな、と笑った。
「この国の人じゃないからかもしれないなぁ。もしかしたら」
「どういうことですか?」
「ニヴル国とミズガル国の間の山脈沿いにはさ、ケイオスの森とはまた違った密林があるんだよ。そこは色んな種族が小規模に固まった集落が沢山あったらしい。まぁ大体はニヴルやミズガルが国として成立した時にどちらかに吸収されたりしたらしいんだが、20年前にそのあたりからミズガルに逃げてきた女がいたらしい。それが私の母だ。女はすでに身重で、私を産んですぐ死んだ。残された赤ん坊はこの村の人たちに寄って救われ、育てられた。そういう、所謂孤児は私だけじゃなく、他にもたくさんいる。観光目的だけじゃなく、いろんな理由を抱えてこの島には人がやってくる。あまり公にはなってないだろうけどさ、治安が悪いっていわれるのはそれもあるんだろうな。私はこの村で救われたから、自分に出来ることをして、この村を救いたいんじゃないかな。多分だけどね」
「・・・国には国の問題があるよな。ニダヴェルも少し前までは貧困がひどかった」
「ムスペルヤニヴルだって問題がないとは言い切れねぇよな。さしずめうちの国には子供たちに勉強を教える場と、仕事がないのが問題なんだよなあ」
「逆にニダヴェルは人手が全然足りないんですよ。せめてドラゴン航空便がミズガルにも出来れば人材派遣も出来そうなんですけどね」
アルコールは飲めない年齢なのに、夜中の気分の盛り上がりでなんだかくだを巻いている三人だった。うだうだと話をしている間に、ミハネがファリスの人を癒すお仕事を見てみたいと言い出した。
「いいよ。ヴェイン、ちょっと面貸せ。いいから貸せ」
ファリスはヴェインの目の上の傷に手をかざした。彼女が手の先を見つめながら意識を集中させていると、手のひらから太陽と月の光をないまぜにしたようなオレンジ色の光が発生し、辺りを明るく照らした。その光が傷口に触れると、瘡蓋のできていた傷口は徐々に塞がっていき、しまいには跡形もなく消えてしまった。
「これをスキルっつーらしいんだが、ヒールと言って人が傷つく前の状態に戻すものらしい。この国ではなんでも人力で行うし病院がないから、頻繁にケガをするし、病気になると深刻なんだ。そういう時に呼ばれてこれをすると治るから、結構重宝されてる」
「ファリスさんて本当に何でもできる美人さんですよね・・・」
ミハネの素直な感想に、よく言われるとファリスは笑う。
「みんな私の事美人だっていうんだけど、美人の価値ってなんだか私自身そんなのどうだっていいんだよ。美人だろうがそうじゃなかろうが私は私だからさ。けど、歌や踊りの指名くれたりお酒を一緒に飲むのは楽しいよ。それで稼いだお金で、皆で一緒にご飯食べて笑ってる時間が一番好きだから、まぁ美人って捨てたもんじゃないなとは思ってるよ」
人は、時に自分の持つ能力や経済力や容姿など、人よりも秀でたものを前面に出して自己を作り上げ、体面を保つことで自分を良く見せようとする。それはある意味より良く生き抜くための知恵であったりもするのだが、潔く自分は自分だと言い切れる人を前にするとそのメッキがいかに剥がれやすいものなのかがわかってしまう。皆の為になるならいいやと豪快に笑うファリスを前に、この人が好きだと思うミハネが居て、この人にはかなわないかもしれないと思うヴェインが居た。




