楽園と小盗賊
美しい海と砂浜を保つために何も置かず、シンプルな景色を楽しめる浜辺とは違って、ミズガルの村は人の熱気と生活感で賑わっている。白いテントの連なる市場では新鮮な食材から衣類や家具・食器などの生活用品まで、所狭しと並んでいる。各店の前では売り子たちが声を張り上げ、寄って行けと客に呼び掛け、常連の客が楽しそうに井戸端会議をしている。男たちはギターやドラムを合奏し、女たちは歌って踊る。行き交う人々の間を子供たちが縫うように走り去る。そこには、ラズダーザとはまた趣の違った人々の交流があった。
市場のテントを抜けて森のほうへ歩いていくと、簡易的に補正された道の両隣に畑が作られており、いくつかの大人の背よりも高い支柱が立てられ、天井となる囲いが張ってあった。蔓が伸びて支柱や囲いに巻き、緑のトンネルとなっている。蔓の巻き付いた先に、色とりどりのかぐわしい果物がズシリと重たそうに実っていた。ミハネが一つ一つ指さして名前を言っていく。
「マゴリ、バヌ、セナシ。あそこにあるのはパニ。どれも森でよく食べましたよ。こんなに大きいのは初めてですけど」
どうやら元々森に生えていたものの種を植え、品種改良を重ねたようだ。海も砂浜も十分に美しかったが、畑に植えられた数々の果物たちを眺めて歩くのも、その甘くとろけるような香りを楽しむのも、十分に楽園を味わえるのだった。
果樹園を抜けてしばらく歩いていると、日当たりの良い原っぱに出る。砂地のジャリジャリした感触の間に、ところどころ雑草が草が低く茂っている。そこをずっと歩くと石像があり、その奥には森の入り口があった。森の入り口は光が差さない為か、どことなくひんやりとした空気が漂っている。
石像のモチーフはどうも少女のようだった。一枚の布を巻き付けたような服装をして、うねる髪を振り乱し、天を仰いで口を開けている。その様子はまるで祈っているかのようにも見えたし、何かに驚いているような風にも受けとれた。少女像の周りには、彼女の初々しさ、幼さを表現するかのように白い水仙花が沢山生い茂っていた。
「これがおばさんの言っていた石像ですかぁ!」
「多分そうだろうな」
ヴェインは近づいて石像をしげしげと眺める。滑らかな皮膚のに刻まれた襞や柔らかくウェーブしている髪の毛の先、服の裾のドレープ、どれをとっても極めて緻密で精巧に出来ているものだ。よほど名だたる彫刻家がこれを作ったのだろうか。
「どうやって造られているんだろうな、こんな精巧な石像なんて」
「やっぱり外国には沢山の天才的な芸術家がいらっしゃったりするのでしょうかねぇ!」
さっきからミハネが遠くから叫んでいる。会話に支障はないがこの距離は何だというのだ。
「ミハネもこっちに来てよく見ればいいだろう?なんでそんな遠くにいるんだよ」
「すみません!そっちへは、これ以上近づけなくて・・・。なんだか行けないんですぅ!」
「そうか。勝手にしろ」
いつも好奇心旺盛なミハネの態度に違和感を覚えたが、諦めて石像をもう少し眺めることにした。石像のほうに向きなおり目線を落とした先に、何かきらりと光るものがある。赤く透明度の高い何かの結晶のようだ。
―———私をみつけて。
ヴェインは今朝見た夢を忘れたわけじゃなかった。石像に赤い石。どうしても連想してしまう。夢の中で赤い涙を流していた彼女は、この石像ほどの背格好ではなかったか。夢で歩いていた場所は暗闇で何も見えなかったが、砂利と草を踏みしめるあの感触は、この地のようなものではなかったか。彼女はあそこでただ一人泣いて、待っていたのか。みつけてと言った彼女がこの石像だったなら、その後はどうすればいい?
―———わたしをかえして。
ヴェインはしばらく考えた後、その石をそっとポケットにしまった。
その間、ミハネはずっと森の入り口を見たまま固まっていた。ミハネが恐ろしいのは石像ではなかった。ぽっかりと開いた空虚な闇の向こう側に蠢く何かしらの存在の気配を敏感に察知したのだ。
その昔、ラヴィが存命だった頃、二人は毎日外へ出ては森の中を縦横無尽に駆け巡り、森にまつわるありとあらゆることを教わった。飲める水の流れる沢や様々な果物の採れる場所、そこでしか採ることのできない薬草のことなど、生きるために必要な知恵はすべて森にあった。ただ、安全なところばかりではない。ラヴィは危険を察知すると、後ろ足を素早く地に叩きつけ、トトトトトト、と警戒音を出した。この音を聞くと何が何でもその先に進んではいけない。そういった場所は一か所や二か所どころでは済まない。その警告がわからない頃に一度だけ、ミハネは知らずに前へ突き進もうとしたことがある。その時ラヴィは音速かというくらいのスピードでミハネに追いつき、襟元に喰らいついて突き進むのとは真逆の方向へぶん投げた。ミハネが進もうとしていた先の薮には、腕ほどの多きさのサソリバチの巣があったのだ。その警告音をミハネはよく覚えていた。命の危険を知らせてくれる音なのだ。忘れるはずがない。
だが、今その音は何故かミハネの頭の中で響いているのだった。
「石像も拝んだし、村に戻るか」
そう言うとヴェインは踵をかえしてミハネと共に元来た道を歩いて行った。
「綺麗な石像でしたね。お花も沢山あって・・・」
「ちゃんと間近で見るともっとよかったぞ。お前も近づけばよかったのに」
「それは・・・そうなんですけど・・・」
ラヴィの警告音が聞こえた事を言うべきかどうか、ミハネは迷った。ヴェインは石像に近づいてまじまじとそれを眺めていた。とても気に入っているのだろう。ミハネだってあの場所を美しいと感じていたし、もっと近づきたいとは思っていた。実際にミハネも危険な場所だとは思っていないのだ。ただ、警告音が聞こえると、足がすくんでしまう。
結局、このことをどう説明をしていいのかわからず、ミハネは口をつぐんだ。
「まぁ、あんま気にすんなよ。旨いもん食って元気出せ。どうせまたすぐに来れるんだし」
「わぁっ、私、気になる食べ物をいくつか市場でチェックしておいたんです。行きましょう!」
そう、笑いかけた矢先だった。背後から思いっきり何かがぶつかってきた。不意を突かれてしまい、ヴェインは辛うじてよろけただけだったが、すっかり油断していたミハネはその場に突っ伏した。いったい何が起きたのか、わからないでいる間に、気づくと同じ年くらいの少年たちに取り囲まれてしまっていた。
「何だよお前ら」
少年たちはにやにやと笑っている。そのうちの一人がヴェインに殴り掛かる。拳を避けてカウンターをくらわすと、逆上した少年が飛び掛かって襲ってきた。決して強い相手ではないが、しつこく掴みかかっては攻撃しようとしてくる。彼とヴェインが取っ組み合いになっていると、そこに少年が一人、また一人と加勢しだした。
残りの少年たちは転んでいるミハネのショルダーバッグをひったくると、そのまま走って逃げて行った。3人で連携を取りながら、バッグのパスを繰り返して挑発しながら逃げていく。その先には二輪車に乗った少年が待ち構えていて、バッグを手に取ると猛スピードでその場から消えようとした。
「ミハネ、先回りしてあの二輪に乗った奴を潰せ」
「わかった!!」
ミハネは”俊足”で二輪車を追った。
少年たちは怒っていた。海はいつも美しかったが、たまにここに住む人々の善なる心を弄ぶかのように荒ぶり、波を使役してすべてを奪う。国はいつも貧しく、国外からの来客の見下す態度が鼻についた。大人たちの媚びるような態度も、子供たちの文句ばかり言って行動しないことにも苛立っていた。何よりも気に入らないのはままならない現実を、そこでしか生きられない自分自身の不甲斐なさ。そんな不幸な星の元に生まれた自分たちを呪うようにして生きていた。いつしか同じ不満を持つ少年たちはつるみだし、金を盗んでこの国から出ることを考えるようになった。
ここから出ることさえ出来たなら、生きる選択肢は増えるのではないか。こんな生きるのに厳しい偽りの楽園よりもはるかに住みやすく居心地のいい場所があるのではないかと外の世界に希望を持った。
二輪車での走行を続けながら少年は奥歯を噛み締める。くそったれ旅行客どもめ。
盗んだバッグはズシリと重たい。世間知らずのお嬢さんがあれもこれもと好きなものを詰め込んだのだろう。一日中働いて疲れ果てているこの国の大人たちよりも遥かに楽々と稼いだお金で購入した物の数々を。自分たちよりも良い思いをし、見下してくる旅行客から金目のものをかすめ取るのは気持ちが良かった。盗めば盗むほど国内脱出への夢が近づく。苛立ちはいつしか高揚感へと変化していった。
ちょっとつつけばすっころぶ様な隙だらけの少女と、ボーっと突っ立っている男。最近警戒を強めながら来ている旅行客と比べると格好のカモだった。そんなカモの少女に、まさか追い抜かされるなんて夢にも思わなかったのだろう。鼻歌交じりで二輪車を漕いでいた少年は、隣に並んだ少女を見てぎょっとしていた。
「え、何お前。何なの!?」
ミハネはその質問には答えなかった。走りながらにっこりと笑う。
「悪いけど、返してもらうね」
ミハネは勢いをつけて車体を思い切り蹴り飛ばした。その勢いで少年は空を飛びゆっくりと砂地に落下した。二輪車は宙に浮き二回三回横転すると、錆びたネジがあちこちに飛び散り、形を保てなくなり空中分解した。
バッグの中身を確認した後、ミハネは急いでヴェインの元へと向かった。彼は少年たちと乱闘していた場所に一人、しゃがみこんでミハネを待っていた。
「ヴェインさん、大丈夫ですか。怪我はないですか」
「ああ、大したことはない。結構しつこくやり合ってたけど、さっき逃げて行ったよ」
「目の上や口の端が切れてしまってますよ」
「それぐらいならすぐ治るさ」
彼はそう言って笑った。嫌な思いはしたが案外気持ちは晴れやかだった。バリーに毎日稽古をつけてもらってはいたものの、実際に誰かと戦うのは初めてだった。殴られはしたが、バリーの拳とは比べ物にならないくらいに軽い。敵意をむき出しにされても、バリーの威圧感に比べると子犬がキャンキャン吠えているかの様だった。
思っていたよりも自分は結構強いのかもしれない。大剣の騎士の息子という目で見られながら、バリーの鬼のような稽古に耐えてきた、今までの下積みが報われるような気がした。
少年たちが逃げて行った方向から、一人の女性が歩いてくる。白いワンピース姿のその女性は、まっすぐに腰まで伸びる金髪をなびかせている。ほっそりとした首筋や腕は透けるように白く、長いまつげに縁どられた眼は灰色がかった深い青色で、小さく形の整った鼻と柔らかそうな桃色の唇をしていた。彼女は見た人が何度も振り返るくらいに美しかった。
ヴェインとミハネが彼女に見とれていると、彼女も涼やかに目を細めて彼らを見つめながら口を開いた。
「お前ら、旅行客か?」
「え、あ、は、はい」
「ここらであいつらが騒いでたからよ、また何かやりやがったのかと思ってさ。素行の悪い奴らでほんとすまん。この通りだ」
女性は膝をついて頭を下げた。美しい金髪がさらさらと風に吹かれている。
想像を超えた口の悪さに二人はたじろいだが、仁義を重んじる人なんだなと理解して返事をする。
「あの、大丈夫です。盗まれたものは取り返しましたし、あなたが悪いんじゃないんですから」
ミハネもつられて膝をついて弁明すると、女性は顔を上げて革の財布を取りだした。
「女のほうのじゃないんだったら、お前のか?」
ヴェインはぎょっとして女性から財布を受け取った。ニダヴェル国で作られる、革に細工が施された工芸品だ。それは確かに自分の財布に間違いなかった。ヴェインは盗まれたことにすら気づいていなかった。
「あいつらの手口なんだよ。女の手荷物をひったくって大騒ぎして、それに気を取られている間に男から財布を抜き取るの。これに懲りたらズボンのポケットに財布入れて歩くなよ。カモがネギしょって歩いているように見えるからな」
ヴェインは、自分の耳が真っ赤になるのを見るまでもなく感じたのだった。




