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海の馴染み方

 ヴェインは闇の中を歩いていた。慎重に、自分の足音を聞きながら。地元の補正されていない砂利道に似た、砂と草の入り混じったような音がする。何も見えないし、見えてこない。にもかかわらず、自分の体は意思に判して迷わず前を進み続けていた。カサ、とたまに何かが腕に当たる。草いきれだろうか。何かが頭上でザワザワと通り過ぎる。足音が砂利音から徐々に湿り気を帯びてわかった。雑草や腐葉土の豊富に敷き詰められた獣道。これは森の中に入っていったのか。ザワザワしていたのは大樹の葉が擦れ合ったものだ。


『新月の夜には森へ入ってはいけないの』


 ミハネの声だった。どこかに彼女がいるのだろうか。一人で途方もなく歩いているのも良い心地ではない。ヴェインは辺りをきょろきょろと見まわそうとしたが、自分が闇に覆われていることしか判らないので諦めた。足は相変わらず前に前にと歩みを止めない。


(・・・普通に考えて、夢、だよな)


 彼は冷静に状況を把握していた。歩みを止めない足がどこへ行くのか見届けたい気持ちになったし、運が良ければミハネに会えるだろうとも考えていた。


(まぁ、単純に目を覚ましさえすればいいだけの話なんだけどな) 


 ヴェインはあまり夢を見ない。見たとしても要領を得ないような映像の端々が浮かんでは消えていくぐらいで、目を覚ますと忘れてしまうくらいのあやふやなものだ。慣れない土地に来たために頭も体も疲れていたのだろう。ちょっとくらい変な夢を見たぐらいでは驚きはしない。

 しばらく歩いていると、目の前に少女の姿が現れた。背格好はミハネよりも小さく、白に近い金髪も肩ぐらいまでで緩くカーブを描いている。肌は白く、周りが暗い分少女のいるところだけがやけに神々しく光っていた。彼女はうつむいて泣いていた。時々漏れ出る嗚咽は悲壮ながら鈴のように心地のいい声を想像させた。

 絵画に出てくる天使みたいだな。心もちぼんやりとしながら、ヴェインは半ば無意識に彼女に声を掛け、触れようとした。


「おい・・・」


 びくっと肩を震わせて、少女は怯えるように顔を上げる。眼球がない?驚いて後ずさり、よく見ると、彼女の目は白目の部分まで赤く充血しているのだった。血の涙をぽろぽろと流しながら彼女は言う。


―———わたしをみつけて。


「・・・君はどこにいるんだ」


彼女は答えない。


―———わたしをかえして。


 彼女の背後からゴッと突風が吹き、ヴェインはそのまま吹っ飛ばされた。



 鈍い落下音と共に背中に痛みが走る。ヴェインが再び目を開けると、そこには見慣れない天井があった。


「痛え」


 背中をさすりながら起き上がり、ベッドから落ちたことをミハネに見られなかったかこっそり確かめる。人の失敗をからかう奴ではないが、やはりそれは気恥しい。平静を装って辺りを見回すが、ミハネの姿はどこにもなかった。

 誰かに襲われた可能性を考え、一瞬ヴェインは狼狽える。部屋の鍵を確かめるときっちりと閉まっていた。枕元には二つ渡された宿の鍵のうちの一つはまだ残っている。すっと頭が冴えて落ち着きを取り戻した。大体馬よりも速く駆け、木を粉砕するほどの拳を持ち、魔道の心得の在る子だ。誘拐するほうがただでは済まないだろう。多分これは早朝の散歩とかそういうやつだ。

 頭とは裏腹に気がはやっているのには気が付かないふりをして、ヴェインは宿の外に出た。


 朝の早い時間とはいえ、とっくに日の出の時刻は過ぎていた。照り付ける太陽の光を浴びながら、波打ち際を歩いていく。海岸では相変わらず釣りを嗜む人が等間隔を開けて各々楽しんでいた。夜目ではわかりにくかったが、遠浅のこの海の砂を掘り下げて砂浜側に積み上げることで、天然の堀が作られているようだ。堀では小さな魚の群れが太陽の下で鱗をきらりと光らせている。


「おはようございます。釣れてますか?」


 ヴェインは釣り人に話しかけた。


「まずめ時だからね」


そう言って彼はバケツの中を見せてくれた。両手を合わせたくらいの大きさの魚が5,6匹入っている。時折跳ねてバケツから出るのをサッと捕まえて戻す。


「なかなかの大きさだ。すみません、この辺で俺よりも少し背の低いくらいの女の子見ませんでした?髪の長い子なんですが」


「ああ、その子なら、向こうのプライベートビーチのほうへ歩いていったよ」


「ありがとうございます」


 ヴェインは礼を言うと、足早に駆けて行った。

波の音がうねりを上げると、足元に海水が砂を這ってやってくる。寄せては返す海を感じる余裕もなく、彼はただ走っていた。

 プライベートビーチと称される場所に差し掛かると、ごつごつとした岩場がやたら目立つようになってきた。足元には変わらず白い砂が敷き詰められているのだが、徐々にあの砂と海しかなくて開放的だった砂浜のイメージとは違う表情を見せてくる。とうとうむき出しの崖が現れ、ヴェインの前に立ちはだかった。高さは大体5メートルはありそうだ。そう困難な壁ではない。この奥がプライベートビーチなのだろうか。


「・・・あいつなら通り越していくだろうな」


 クライミングの要領で岩肌を掴むと、ヴェインは足を持ち上げて崖をよじ登ることにした。頭頂からぱっと体を離して着地すると、柔らかな砂が受け止めてくれた。

 そこには断崖絶壁に囲まれた天然の小さな海が出来ていた。恐ろしい高さの崖を見上げる。その頭頂より向こう側には木々が豊富に生えているらしいことが伺える。つまり、崖を上った先はおそらく森へと繋がっているのだろう。そのような壁にぐるりと囲まれ海へと開けている様子は、まさに絶景で小さな隠れ家のようだった。その真ん中で、ミハネは気持ちよさそうに寝ころんでいた。鞄を枕にして、淡い水色のワンピースにパレオを撒いた状態で、体の下半分は海水に浸かっている。上半身は白いブラウスを羽織り、風を感じているみたいだった。ヴェインが近づいていっても、目を覚ます気配はない。呑気なものだと溜息をつき、彼はミハネの鼻を軽く摘まんだ。


「んぅ・・・わあっ、びっくりした!あぁ、ヴェインさん、おはようございます」


「・・・・・・おはよう」


 目覚めた彼女は高揚した気持ちを抑えられないように話し出した。


「勝手に散歩してすみません。仕事柄早朝に目覚める癖がついてしまっていて、ついふらっと外に出てしまって。魚を釣っているおじさんも朝早くから釣ってました。すごいですよね。おじさんと一緒に話しながら日の出を見て、それからプライベートビーチに行ってみたんです。ヴェインさんもあの崖を越えてきたんですよね。この崖に囲まれている海を独り占めしているなんてなんてすごいんだと思って、ちょっと着替えて気が済むまで泳いでました。それから少し疲れたので休憩して・・・いつの間にか眠っていたんですね」


 えへへ、と幸せそうに微笑むミハネを見て、ヴェインはそうだなとしか言えなかった。


 遅まきながら宿のおかみさんに挨拶をする。黒髪でエキゾチックな顔立ちをしたやたらと貫禄のあるおかみさんで、豪快に笑っていた。彼女はミハネ達に島の事や村の事をさらっと説明をすると、近くに朝食をとりたい人の為の出店があると教えてくれた。出店では料金を払うとお皿を渡され、好きなものを好きなだけ食べられるビュッフェ形式のようだった。大半は魚料理だが、蒸したり焼いたりフライにしたりとレパートリーは豊富だ。その中からミハネ達は小魚とジャガイモのフリットや夏野菜のマリネ、魚介のスープなどを選んで食べると、冷たい現地のお茶を注いで飲んだ。最後に熟れたマンゴーをつまんで口に入れると、後はぶらぶらと町のほうまで散歩することにした。


「あ、そうだヴェインさん、炎天下なんでこれを塗っておくといいですよ」


 ミハネは鞄から怪しげな軟膏を取出し、ヴェインの顔や首に塗りだした。彼が訝りながらそれは何かと聞くと、


「太陽の光から肌を守るための薬です。マリスさんのお墨付きなんでよく効きますよ。ヴェインさん、既に日に焼けて赤くなってしまっているから」


 と答えた。ああ、あの性格の悪い女か。されるがままになりながらミハネを見る。なるほど、日に焼けても赤くもなっていない。ヴェインが女性をいささか警戒するようになったきっかけは、マリスとサペインのやり取りを見てからだ。ニダヴェル国では、農家や騎士の家系が多いため、男性が外に働きに出ている間、女性は辛抱強く家を支えてくれる人か、もしくはともに畑を守る人が好まれる。そのため、少しばかりお転婆ではあっても、男性に対して強い口調で非難したりくさしたりする態度をとるというのはあり得ない。あんなに男に向かって毒を吐く女を見るのは生れて始めてだった。

 浴びた毒気を思い出すのも嫌なので、それ以上は深く考えるのを彼は止めることにした。しかし、彼女の作った軟膏は、既にひりひりと痛みを感じていた皮膚を正常に戻してくれていた。彼はそのことに関してだけは感謝しておくことにした。


 何をするでもなくあてもない散歩を続けているうちに、彼は自分の気持ちが凪いでくることに気が付いた。朝から一人で焦っていた時には感じられなかった、この国の気風と自分の気持ちとのリンクが起こっているのだ。彼はこの国にどこか遠い部分で何故か懐かしみを感じていた。おかしい。ここへは初めて来たはずなのに。ああ、でも、とてものどかだ。自分の国の牧歌的な雰囲気とはまるで違うが、素朴で心の奥が求めているようなものがすんなり入ってくるような気持ちを彼は感じていた。もしかしたら、ここに来たがる人達はこの充足した気持ちになることを求めてくるのかもしれないな。それが彼の中で腑に落ちた答えだった。


 一方でミハネは全くと言っていいほど落ち着きがなかった。まるで自分が求めてやまなかった高名な画家の描いた景色の中に入り込んでしまったかのように感じていた。憧れが強すぎて、うっかりすると涙が零れそうになる。波のさざめきや白い砂を足の裏で感じる心地のよさ、視界いっぱいに広がる広大な景色に、ただただ圧倒されていた。

 初代の王の代より強く希望されていた外観を損ねない暮らし方については、かなり徹底されているという印象があった。宿屋はカップル用と家族用に分かれて建てられていて、両者の間には何も設置してはいけない区域が設けられていた。さらにゆっくりと歩いていくと、砂浜側がだんだん開けていき、草木の生えている場所がぽつりぽつりと出てきた。その奥にはいくつか畑ができており、さらに奥に進んだところに森の入り口があった。森と海とのちょうど中間あたりで、人々の村は栄えていた。

 じっくりと景色を堪能した後は、昼食は村で食べることにした。

 村では沢山の人で賑わっていた。中には遠くのほうで訝し気な視線を送る輩もいたが、多くの人は人懐っこく挨拶を交わし、美味しい食事のとれる店などを教えてくれた。


「若いのによくきたねえ。海以外何もない村だろう?まぁ、ドラゴンで来たのかい?じゃあ、一週間ゆっくりしていくんだね。魚も釣ってみるといい。果物を自分でもいで食べるのもなかなかおつだよ」


 美味しいと評判の店でも、おばちゃんのマシンガントークの標的となった。あの治安の悪さの噂とはいったい何だったのか。おばちゃんの口撃には閉口してしまっていたが、ヴェインはこの国を好きになり始めていた。


「あとは・・・そうだねえ。見学ってほどじゃないけど、村のもう少し森の入り口側へ行くとうちの国の王様に寄贈されたっていう石像があるよ。いうほど大したもんじゃないけど、記念に見ていく人もいる。退屈になったら行ってみるといい」


「はい!是非」


 ヴェインが何か言うよりも早く、ミハネは元気よく返事をするのだった

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